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改め Objective Technician

はぐれ技術者のやりたい放題

実に面白い

2009-01-22 21:50:48 | 勉強
学会二日目

今回発表したのと別で平行して進めてるテーマで、僕の考えを暗に支持する発表を聞いた。


帰ったらすぐに確かめよう。



あとは、会場にプロジェクタが二台あって同じ画面が横に並んで二か所に映されてるから、それを交差法で両眼融合して「小さいディスプレイが顔の前に浮いて見えてるぜ」みたいなことをして話を聴きながら遊んでた。










そういえば、自転車に乗りながら大福を食べてる女性とすれ違った。


すげぇ…



思わず二度見してしまった。


学会発表

2009-01-21 22:18:47 | 勉強
面白がってくれる人が一人でもいればいいなぁ、ぐらいに思ってたけど、それなりに話に首を突っ込んでくれる人がいっぱいいて嬉しかった。

短い時間だったけど奥の深い質問(狙ってた質問)が結構な数来たおかげで、考えてたことをほぼ全部はき出せた。

と思う。



僕の発表で興味の対象にしてるキーワードが、今回の学会でやたらいろんな人の話に出てきてビクビクしてるけど、どうも自分の結果と矛盾する内容ではないようだ。

もしかして流行の最先端?



いや、それはカン違いだ。



メガネ論

2008-12-20 23:33:46 | 勉強
高校時代に書いた物理レポートを何気なく読み返してて、それのある箇所を今の知識で補ってちょっとだけ発展させた話。




視力を矯正している人は凹レンズで何を見ているのか。



まず、凹レンズを遠くから眼に近づけていったときの虚像の変化を追う。



ケース1



Fは焦点、青の矢印が物、赤が虚像、右にあるのが眼。

ここから物体と眼の位置を固定して凹レンズを眼のほうに動かす。


ケース2


焦点の位置が物体と同じとき、虚像は実物の半分の大きさ(長さ)。


ケース3


虚像はさらに小さくなり続ける。


ケース4





凹レンズを眼と接近させると虚像の大きさが小さくなり続けることは変わらないけど、観察者にとっての知覚では、虚像が小さくなり続けてある位置で大きさが極小になったあとそこから少しずつ大きくなるように見える。なぜか。

上の図1~4を見ると、虚像が小さくなっていることのほかにもう1つ、虚像と眼との距離が短くなっているという変化がある。

その二つの変化はどちらも線形ではない。
レンズを眼に近づけていくとき、レンズが眼と遠いうちの虚像の小さくなり具合と比べて眼に接近したときはその割合が小さくなる。
無限遠の物を対象にした場合は虚像の位置はレンズの内側から焦点へ限りなく近づき、大きさも限りなくゼロに近づくが、虚像は焦点を絶対に越えないし大きさがゼロになることもない。

したがって、物体がレンズとある程度の距離を持っていれば、虚像はほとんど焦点の位置(よりちょっと内側)にほぼ固定され、大きさの変化もほぼないと考えていい。

この小さくなった虚像をレンズを覗いて見れば虚像がほぼ焦点の位置でレンズと一緒についてくるように見えるから、この状態でレンズを眼と接近させれば虚像も眼に近づいてきて、物体を近くに引き寄せて見るのと同じことになって網膜に投射される像が大きくなる。


幾何学的に計算してみると、虚像の網膜像の大きさはレンズが眼に近づくにつれて単調に増加する(下図)。これは知覚上の現象(レンズを眼に接近させると虚像が小さくなるように見え、ある点を境にこんどは微妙に拡大して見える)と一致しない。




これは、人間の視覚系がもつ「大きさの恒常性」という機能が働いているからで、簡単に言うと、視距離が近くなって網膜像サイズが大きくなってもその物体自体のサイズが変わっているようには知覚しないという、当たり前のようで当たり前でない機能。

これがあるので、光学的に小さくなっている虚像で網膜像サイズが大きくなっても知覚上は虚像が小さくなっているように観察者は思う。

ただ、上の図で分かるように網膜像サイズの変化が非線形で、網膜像サイズがあるところから急激に大きくなるから、ここで大きさの恒常性の補正が追いつかなくなって知覚上拡大に転じる。

そのままレンズと眼を近づけていってコンタクトレンズみたいにくっつけてしまえば最終的に裸眼で見てた場合の網膜像サイズと同じになる。

レンズと眼が離れてると視距離によって裸眼で見た場合と網膜像サイズがずれて、たとえばメガネが眼から3[cm]離れてた場合のずれ具合は下の図。



ほとんど同じ。
ずれることが重大な問題だとしても、視覚野には強烈な可塑性があるので時間が経てば脳が誤差を勝手に吸収してくれてすぐ普通の遠近感に戻る。


話が脱線してしまった。




つまり、近視の人は近くにある物なら自分の角膜と水晶体でフォーカスできるので、凹レンズで世界を小さい虚像に変換してそれを眼に近づけて見ているということになる。



結論:メガネで生活している人が見ている世界は全てメガネから数10cmの範囲に作られた虚像である。








意味わかってますか

2008-12-19 20:19:19 | 勉強
先輩の脳波測定に協力してて改めて思ったこと。


よく「脳波の特定の周波数成分が…」という表現を聞く。


時間窓かけてのフーリエ変換をほぼデフォルトの解析としてやってるんだろうけど、それで特定の周波数の振幅に有意ピークがあるのを見て「脳波のある周波数成分」という言い方をするのはすっごい違和感がある。


そもそも脳波は神経細胞群がある程度の位相コヒーレンスで同期発火して初めて取り出せるもので、さらにその神経細胞一つ一つの活動も多数のイオンチャネルのON/OFFの重ね合わせであることが分かってるんだから、脳波の構成要素となる基本波が正弦波であるはずがない。


フーリエ変換を使うとどんな波でも多数の正弦波の重ね合わせとして数学的に展開できるが、現象として全ての波の最小単位が正弦波であるとは言っていない。


つまり「脳波の正弦波周波数成分」というものは実在しない。


信号処理では波形をいわゆる仮想的な正弦波成分に分解して周波数ごとにふるい分けたり変形したりするので、あたかも正弦波がもともと存在していたかのように思ってしまうがそれは違う。

たぶん。僕が勉強不足でなければ。

(ただ電磁波は正弦波状に振動するけど、脳波などは量子的なものとは現象の階層が違う)


音声信号やニューロン活動などで波形パターンが周期的なものにフーリエ解析をかければ結果としてそのパターン周期と同じ周期の正弦波が他と比べて大きい振幅で出てくるから、その人がパターン周期の逆数を意味して周波数と言ってるのか、それとも何も考えないで正弦波の周波数の意味で言ってるのか、いろんな人の話を聞いてていつも怪しいなぁと思ってる。






ただ、信号を仮想的な正弦波周波数の世界で操作する方法とその高速アルゴリズムが発明されてなければ今の便利な生活は有り得ない。だからこの数学を最初に工学に応用した人はすごいと思う。



例えばインパルス波形は全ての帯域で均一な成分を含むから、線形時不変システムを一回叩いてインパルス応答の各周波数で位相遅れと振幅減衰を見ればそれを正弦波周波数軸で扱う上での特性が全部わかる。



この考え方を使って人間の特性も調べようと思うのが自然な考え方だけど、人間は非線形時変システムのかたまりなのでインパルス応答じゃとても調べられない。


そもそも人間が線形時不変システムだったらこんなつまんないことはないだろう。




だから、いろいろ工夫して被験者にあんなことやこんなことをしてがんばって調べるわけですよ。







好きにして

2008-12-18 00:58:51 | 勉強
バイトでのプログラミングとか研究補助とかやってると、上から具体的な仕様を与えられることが滅多にない。

ほとんどの場合あいまいに「こんなことが出来るようになればいい」とか、さらに目的さえはっきり見えないことも結構ある。


そういうのはもう慣れてるので、「それなら好き放題やらせてもらいますよ」と開き直って、自分の頭で情報を補いながら満足の行くまで良いように工夫させてもらって結果を返す。


というか、おそらく社会での仕事もそういうものなんだろうと思う。



むしろ、抽象的なタスクを依頼されることはある意味ステータスだと思う。


さらに、取り組む価値のある問題を設定するのはもっとハイレベルな仕事だと思う。



研究生活をしてて最近「何が問題なのか」と考えることを強く意識するようになった。



研究テーマが空から降ってきて、やることも具体的に与えられてるなんて研究じゃない。

学生実験みたいにやるべきことがお膳立てされてるならそんなの誰だってできる。


与えられた問題を解決するだけの能力があってもしょうがないのだよ。

というか問題を見つけるフェーズがすでに研究。

そもそも問題意識がなかったら研究ができるわけないじゃないか。


運よく未知の問題を見つけたら、自分の知識を総動員して、既成概念を吹っ飛ばして工夫や応用を何回でも試みなくてはいけない。


そのためには何時間でも何日でも何ヶ月でも自分の頭と体で泥臭く考え続けなくてはいけない。





そんなように、自分がやりたいことを好きなようにやらせてもらえてしかも活発に議論を交わせる今の研究室の自由っぷりがたまらん。



おととい、ついに教授から「うらやましい」って言われた。




現象を理解してますか

2008-12-16 00:42:50 | 勉強
12月11日(Thu) 評定 小雨 暖

jog
ストレッチ
ドリル
200mWS×5

ポール下ろし動作
突っ込み動作
ポール走100m×3

c-down


12月13日(Sat) 評定 晴 涼

jog
ストレッチ
ドリル

200mWS×5
メディシン投げ
ポール操作練習
ポール走100m×3
50mバウンディング×3

c-down



先週、日本中から運動視研究のエキスパートが集まってるなかで自分の研究を発表させてもらった。



可もなく不可もなく…、という感じ。



僕の卒論は、視環境のあるパラメータが運動視機能に影響を与える可能性を仮定して、実験では有意な相違や系統的な影響が出なかったので、どうやらそのパラメータの処理系というものは存在しないらしい、という話。


眼球運動を測ったり錯視を使ったりして3種類の方法で詳しく調べたけど効果が出ないで、ごくたまに「残念だね」みたいな感想をもらうことがあるけど、別に全然残念じゃない。

効果がないことが分かったという結論の何が悪い。

というか科学の考察に残念とかいう感情を挟んじゃダメだろう。


先人の研究を一部補強するぐらいの地味な結果だけど、科学として正しい結果だと自負してる。



今、それの研究とパラレルに進めてるうちの1つの立体視の実験で興味深いデータが出ててすっごい興奮してる。これまでの vision science でほとんど注目されてなかったところに何かすっごいのがありそう。

カッコつけて言うと「対称性の破れ」がごっそりずるずると出てきそう。

今日の研究報告会でみんなを「おぉー」と言わせた。






一般の研究紹介で、錯視を調べてるんですか? と聞かれることが結構多い。

確かに錯視を利用して実験をすることが多いけど、錯視の原因を探って研究が完結する訳では決してない。むしろ手がかりに過ぎない。

錯視を手段として脳の中で起きてる現象を探って、脳機能モデルを考え、最終的には生物の情報処理を工学と結びつけるのが目標だと言うようにしてるけど、つい最近某研究所が脳血流のパターンからその人が見てる画像を逆関数的に再構築したそうだという話を知って、思わず嫉妬しそうになった。これはすごい。


さぁ明日も研究だぁ。


跳躍眼球運動コマンドー

2008-12-09 01:01:11 | 勉強
自分の研究で眼球運動を測ってるついでに遊びで取ったデータ。

絵を眺めてるときの視線の動きをトレースした線。


   


   



さらに遊びで「視線に常に憑いてくるマーカー」みたいなプログラムを書いた。

眼で物を動かしてしまう眼力を手に入れた気分になれて非常に楽しい。



眼球の動き方とか視線位置とかは直感とかなり違う。

眼球運動だけで視覚研究の大きな一分野が形成されててすごく奥の深い世界が広がっている。






12月1日(Mon) 瑞鳳 星空 涼

jog
ストレッチ
ドリル
坂ダッシュ
100m×3
80m×3
50m×3
c-down


12月2日(Tue) 評定 星 涼

jog
ストレッチ
200mWS×5
ポール下ろし動作
ポール突っ込み&踏切動作×5往復

c-down


12月5日(Fri) 瑞鳳 星 涼

jog
ストレッチ
坂ダッシュ
100m×3
80m×4
50m×5

c-down


12月6日(Sat) 評定 快晴 涼

jog
ストレッチ
ドリル
ホッピング

ハードル走
ミドル7歩×5台×7本

100m流し×2

腹筋

c-down


そういえば、ここ一ヶ月以上ずっと一人で夜な夜な練習してるばっかりで太陽の下で走ってない。それと同じくらい合練に出てない!




という状況を土曜日にやっとリセットした。



たとえばなし

2008-11-06 00:49:59 | 勉強
11月5日(Wed) 評定 晴 涼

jog
ストレッチ
ドリル
踏み切りドリル
バウンディングもどき
バウンディング

150m流し×3

c-down





今日、モグリで受けてる授業で、先生がキルヒホッフ電流則のことを「ところ天」と表現していた。


上手いこと言うなぁ、と思って感心してたら、こんどは軸索上のスパイク伝導と不応期の説明で「人間のドミノ倒し」が出てきた。


こういう理解を話してくれる先生の話は面白い。

「ドミノ倒し」のイメージはけっこういろんな場面で出てくる。





今でも強烈に記憶に残ってるのは、高校の化学の授業でクメン法を習ってるとき。


最後にアセトンを脱離するところで先生がいきなり「ダルマ落とし」と言いだした。

それまで理路整然と説明してきてるのに、最後だけ「ここが変っな反応なんだよぅ!」と言って「ダルマ落としでOH基がスコーンと落ちてくる」みたいな説明をやり始めた。



あのときの衝撃と感激は一生忘れない。



帰るのめんどい病

2008-10-20 23:22:05 | 勉強
10月20日(Mon) 評定 晴 涼

jog
ストレッチ
ドリル
踏切ドリル
流し120m
100m加速走(スパイクあり)
3本×2セット
c-down


今日はハードル走やりたかったけど暗くてムリだった。

スパイクでほぼ全力で走ってみたけど、なにかタイミングがズレてる。接地が早い?
体はよく動いてるからまぁいいや。

踏切ドリルで、踏切準備のときにもも上げみたいな動きを強調したらうまく踏切れた気がした。踏切準備は「すり足」だと、ずっと思ってたけど案外「もも上げ」のほうがなんかそれっぽいような気がしてきた。


研究室が片平だから、夜中に評定行ってまた戻ってきて研究の続きをやるということが容易に可能であるために、生活パターンがものすごいことになってる。


ほぼ毎日こんな時間に研究室に戻ってくると、たいてい「帰るのめんどい」「ごはん食べるのめんどい」気分に襲われて、2割ぐらいの確率でホントに帰らないで徹夜してしまうようになってしまった。昨日とか。


非常にまずい。
今日はちゃんと帰ろう。





院生になってから、履修登録しないで授業だけ聴くというのをこの後期に6科目分やってる。

そもそも大学院は研究をするところだから授業はほんの少し取れば良くて、履修登録は最低限にした。





単純に授業面白いし、科学者になる上で複数のビジョンを持つために広い分野を知ってることは大事。


今やってる研究の中には学生でありがならお金をもらってやってる共同研究もあって時間が減るのがやっかいだけどそれより今は引き出しを増やしておくことが大事。だと思う。



学部のころは履修登録しないなんてなかなか出来なかったけど。授業だけ聴いてテストサボるとか、これは院生の特権だ。いつかやってみたかった。


さぁ明日も1限から山の上で「ニセ履修」だ!