ウチの学校は文武両道を目標というか、キャッチコピーにしているがそれって可能なのだろうかと疑問を持つ。つまりだ。右手で鉛筆を持ちながらセンター模試を解き、左手ではボールをバウンドさせながらバスケットまで走り続けるという行為が出来るかということだ。
出来ないことはない。ただどちらの行為も満足の行く結果は出ないだろうし、何よりその光景が想像つかない。いかにカオスになっていることだろう。(笑)
文武両道が出来ないという意見は勉強も運動も全く身についていない人間がいう言葉だ。もちろん僕はそのどちらも身についているはずがないから文武両道が出来るやつを弄る。いじめはしないが。どんな言い訳をしていようがとにかく勉強や運動しろ!とかいわれそうである。もちろん分かっている。
だが断る。それだけのことだ。
さて、今日は右手に何を持って左手に何を持つかについてもう少し書いてみたい。
「こちら亀有公園前派出所」にファーストフード店なのにもかかわらず、おにぎりや高級腕時計までも売り始め最終的に経営に失敗、駐車場になってしまったという話があった。これが例えとして適当ではないことはわかっているがスルーしてほしい。手に握ることが出来るものは限度がある。欲が出て物を握りすぎるといつかは腕の筋肉が痛み出して、最終的につかんでいたものを逃がしてしまうのである。どの分野においても何かと何かを上手に共存、融合させることは困難なのだ。
ここでやっと車の話に入る。SUVという分野は素晴らしく右手と左手の話がうまくいっている。セダンの快適さとクロスカントリーのオフロード性能が上手く両立できているのだ。ハリアーを作った、トヨタは優秀だし。そのブームに乗っかった欧州メーカーも賢い。SUVだけじゃなくレガシィアウトバックやXC70もよく考えられたクルマだと思う。
ここまで意味不明なことを書いてきてもう疲れたので本題へ。
スーパーカーを造るメーカーが4ドアを作ることがブームなのだろうか。決しておかしい選択ではないと思う。一部を除いては。
アストンマーティンが市販に向けて作っているセダンはアストンマーティンの味がどこからともなく滲み出ていてよく仕上がっていると思う。少し前にラゴンダという迷車を作ってしまったが、これは期待できると思う。クーペのようなセダン。CLSやパサートCCとは違う。流麗、という言葉はこのクルマのためにあるのではないかとも。。。
ランボルギーニは美しいというよりもカッコいい。男性ならカッコ悪いという人はほぼいないと断言できる。アストンマーティンと違って、むしろ下品なくらいに開いたエアインテーク。出っ歯のように見える。なぜここまで心がくすぐられるのかは分からない。男の感性に訴えかけるスーパーセダン。
と、ここで話題の問題作。
ブガッティはセダンなんか作ってはいけない。フェラーリがSUVを作ること並にやってはいけないことだと思う。なぜか。ブガッティのクルマはデザインが悪いからだ。EB110、ヴェイロン。なんだあれ!と叫ぼうと思った。醜悪とまではいかない。かといってカッコいい個性があるわけでもない。やはりブガッティなのだ。EB110の仕上げをしたザガートは何をやっていたんだ。(怒)
この新型セダン、名前を忘れてしまった。結構長いコンセプト名だった気がする。リアのポルシェのパナメーラみたいだし、どうかんがえても美しくもカッコよくもない。もうちょっと頑張れなかったものだろうか。
このジャンル、スーパーカーセダンはいくら資産があろうがあまり欲しい車たちではない。世の中には何台かこの手のクルマはあるが、アストンマーティンとランボルギーニ以外はお断りだ。
右手にはウッドパネルやレザー、左手にはスーパーカーにも搭載される高スペックエンジン。こんなに欲張りなクルマがあっていいのだろうか。だからこそ、デザインも中身も素晴らしいクルマであって欲しい、というよりあるべきなのだ。誰が、ブスで性格が悪い女性と美人で性格の悪い女性の2択で迷う?(まあ少しは欠点があったほうがかわいい、というのが持論なんだけどね。なんだこの話w)。
これらクルマはまるでSMAPの楽曲のように感じる。何箇所か口ずさんでしまうメロディやフレーズがあったとしても決してCDを買ったり、借りたりするほど魅力的なものではない。まあ、ジャニーズもスーパーカーセダンも嫌い、というわけではないのだが。
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