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>もしも暴れん坊将軍と水戸黄門の悪者だったら…

2011-11-06 01:12:00 | ドラマ、時代劇、歴史
質問&回答ページ

komasaram

(暴れん坊将軍では悪人が将軍に抵抗するのに水戸黄門ではそれがほとんとない件について)
考えられるのは、水戸黄門の場合、悪人を最後まで裁いてはいないということでしょう。
ほとんどの場合、例のシーンで水戸老公が言っているのは「藩侯より厳しい沙汰があるであろう」。
要するに水戸黄門は各地で起きた不正を現地の行政のトップに報告しているだけで、最終的な裁きはそのトップである藩主や所司代などに任されています。
水戸黄門の場合、悪人が最終的には裁かれずに「おとがめなし」で済む可能性が残っているから抵抗をやめるのでしょう。

水戸黄門に出てくる悪人の立場で言えば、とにかく水戸老公が地元(目の前)にいる間だけ頭を低くしておけばいいわけで、水戸老公が去った後には、やり直すチャンスが残っているかも知れないということでしょう。逆にそういう手法にいつまでも頼っている水戸老公と江戸幕府も問題ですがね。

おっしゃるとおり、水戸黄門は引退した水戸藩主で、余所の藩の内政に干渉する権限はなく、水戸黄門のしていることは職権乱用の越権行為です。しかも水戸黄門の旅はモグラたたきのようなもので、各地の不正を根本からなくす効果が何一つありません。一行が去るとまた各地で問題が起きる。それに対して水戸黄門が葛藤や疑問を感じないのが問題なのです。
むしろ何度も何度も光圀の旅に頼ってばかりいる綱吉の方も問題です。

それから水戸黄門で舞台が京都や敦賀の場合、印籠に平伏しなかった悪い公家が何度か出てきており、悪人ながらこの麻呂が一部で人気のようです。
印籠の権威というものが所詮は一時的な作り物であり、水戸黄門のやっていることが所詮は徳川の権威による一時的な押さえつけにすぎず、したがって悪人にも一部は同情の余地があることがその「麻呂の人気」の理由でしょう。

暴れん坊将軍の悪人の場合、すでに行政のトップである吉宗公に自分の悪事が知られているので、悪人が助かる余地はなく、どうせ切腹処分を食らうなら上様と刺し違えた方がいいという考えでしょう。

その意味で吉宗が毎回、相手の家の庭先で「この場でいさぎよく腹を切れ」と言うのも短絡的で、大岡忠相など信頼できる幕臣を多数連れて、悪人を捕縛させ、処分は後日伝えるという程度でよかったと思います。

何か松の廊下の時に浅野内匠頭に切腹を命じた5代将軍・綱吉と似ていますね。

暴れん坊将軍の悪人たちの抵抗は赤穂浪士の吉良邸討ち入りと同じか、もっと直接的です。赤穂浪士が本当に浅野内匠頭の仇を討ちたかったら江戸城の将軍綱吉を襲って切腹してもよかったはずです。大石内蔵助が吉良上野介を斬ったところで仇討ちにはなりませんから(吉良は浅野を殺したわけではないので、大石が吉良を主君の仇と思うのは逆恨みの大間違い)。

それから今の水戸黄門のシリーズでは印籠の前の殺陣が少なく、弥七や格さんが参加していない場合もあったりします。
なお里見浩太朗が演じた松平長七郎など、他の葵の御紋系の時代劇では、暴れん坊将軍と同様、主人公が名乗る→悪人平伏→悪人が「こやつは偽者だ」と言って抵抗というパターンがほとんどで、殺陣の後に葵の紋というのは水戸黄門だけというのをお忘れなく。

水戸黄門の場合、石坂浩二や里見浩太朗が主人公を演じるなら長七郎のように若い光圀(水戸黄門)が江戸を舞台にして悪人を斬りまくる時代劇にすべきでした。
スタッフが東野英治郎・西村晃の時代の「水戸老公」の設定を継承しようとしたのが失敗でしたね。一番問題なのは東野・西村時代の水戸黄門をいつまでも求めている視聴者(ただし水戸黄門のファンだけ)の保守性かも知れません。

fsfs2784さん

>助さん格さんだけじゃなくて、お銀や八七、さらに毎回増えていって

「八七」でなく「弥七」です。「矢七」と書く人も多いようです。
格さん(渥美格之進)を「角さん」と書かないだけましですが、みんな「水戸黄門」をちゃんと観ていないんですね。これなら終了も仕方ないか、あるいはよく今まで続いたものです。

回答日時:2011/10/30 17:10:24
編集日時:2011/10/31 12:27:31

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