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9:「影の友情・左門メモ」~星飛雄馬は「投手」に留まって良かったか

2022-04-24 07:20:32 | teacup掲示板

/巨人の星、侍ジャイアンツ、ドカベン、野球狂の詩など - 81~90件目 (teacup.com)/

東京MXTV『新巨人の星』

東M『新巨』/「影の友情・左門メモ」  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時01分46秒 返信・引用 編集済
  「影の友情・左門メモ」I  2006/11/11 15:19 [ No.1343 / 2233 ]  ★

「見えないスイング」の英語表現について。
Matthew Fargo [maeθju: fαrgou]という人が『空想英語読本』で書いています。
「見えない」を invisible と譯してもいいが、そうするとバット自体が透明になっているように聞こえてしまう裸子く、The imperceptible Swing と言えばバットが速くて見えないという雰囲気になるようです。

invisible は「視覚不可能」ですが、imperceptible は「知覚不可能」です。
in-とim-が「不」、-vis-が「視覚」、-percept-が「知覚」、-ible が「可能」に当たります。

in(否定)+後羅visus(視覚)+ible,able(できる)
in→im(否定、b,p,mの前)+percept(近く)+ible,able(できる)

ちなみに最近、TVでやっていた透明人間の映画『インビジブル』は日本でついた題名で、現代は《HOLLOWMAN》(空虚な人)です。

原作「新巨人の星」では左門を料亭に誘った伴が額に汗をたらし不自然に料理をパクつきながら「左門メモをわしにコピーさせてくれんか?」と言い、「いや、その、わしはとっくに現役を引退した身、ただの趣味に過ぎん」と言っており、原作では土下座はしていません。
左門も表情を変えずに無言で黙って聴いていました。
伴は「大洋の投手のデータはないからチームに迷惑はかからんじゃろ」と言った、「それに巨人のは不要」とうっかり口をすべらし、慌てて口を塞ぎ、それまで聴いていた左門は「巨人のは不要」と呟いて「よかとです」と快諾し、鞄から「MEMO」を取り出して伴に渡しました。
アニメでは伴が土下座するわ、左門が驚いて落涙するわ、双方、感情が豊か過ぎますね。

ところで、このやりとりの前、アニメでもあったように左門が「星君が失踪しているので酒ば、断っちょりますたい」と告白しています。この会話の舞台は1975年の秋を迎える頃ですが、では、前に左門が飲酒したのはいつでしょうか。

1970年の飛雄馬失踪前、消える魔球打倒を花形に先取りされた左門は夜の東京都心(新宿?)に繰り出し、「酒ば、飲めたら、どげん、楽か」と独り言を言っています。この年、左門豊作は21歳で、車のハンドルも握らない彼は法律上、飲酒は問題ありませんが、酒を飲んだことのない人は「酒を飲んだら楽」とは考えないはずで、左門は飲酒経験がありながらこの時点からシーズン中ということで酒を断っていたのでしょう。
その直後、彼は映画館で飛雄馬や京子たちと遭遇します。

左門と飛雄馬が京子に連れられておそらく夜の新宿のクラブに入ったとき、飛雄馬はこの年19歳で京子も未成年ながら両名とも飲酒をしています。一人成人でありながらコーラを飲んだ左門は飛雄馬をたしなめ「そこまでやけっぱちになるものじゃなか」、「お互い未成年ばい」と言います。その後、飛雄馬はオールスターで大リーグボール3号を開発し、続くペナントレースの最中、秋の対中日戦で完全試合を達成してから失踪しているので、左門は京子との初対面以来、酒を全く口にしていない可能性があります。

すると左門は大LB2号の消える魔球と初対戦した1969年、20歳になったとき、一度だけ酒を覚えたことになります。それから1976年の飛雄馬G復帰まで禁酒していたのですから偉い男です。
左門の弟、妹たちは兄・豊作が熊本農林高校に入った1965年頃から数えると「新」では10年はたっており、大方、成人しているはずですが、「新」でも全く成長していません。特に末の妹(名前は左門みち?)など。

一徹は1969年の飛雄馬の第1次G入団時代、「飛雄馬が巨人の大きな明星になる日まで禁酒」を宣言しました。
その後「新」では御覧の通り、屋台で酒を飲むようになったので、飛雄馬が一度は「巨人の星」になったことを認めたのでしょう。75年、飛雄馬がG復帰を目指した当時、一徹は「あれでも巨人の星を完全に掴めたとは言えなかった」と懐疑的になりますが、飛雄馬の蜃気楼の魔球を打たれた78年から現役を引退する79年までの間の時期、悩む飛雄馬に対し一徹が「二度も巨人の星になりおおせたではないか」、「本望と思え」と言っています。

「影の友情・左門メモ」I 訂正  2006/11/15 0:30 [ No.1351 / 2233 ]  ★

「見えないスイング」の英語表現について。
Matthew Fargo [maeθju: fαrgou]という人が『空想英語読本』で書いています。
「見えない」を invisible と譯してもいいが、そうするとバット自体が透明になっているように聞こえてしまう

裸子く→らしく、

The imperceptible Swing と言えばバットが速くて見えないという雰囲気になるようです。

Re: 「影の友情・左門メモ」I  2006/11/15 0:50 [ No.1352 / 2233 ]  ★

『英語読本』の英譯案も作者個人の考えが反映されており、絶対ではありません。

サンダーが脚を負傷する話は原作になく、アニメオリヂナルですね。

一徹は動揺して双眼鏡を落としましたが、原作ではレンズが割れています。あれは花形のものでは?

一徹は牧場春彦が記録した巨人軍左腕投手時代の飛雄馬のスコア(試合記録表)を見て動揺し、ノートを地面に落としていますし、明子も飛雄馬の「代打專門でも役に立てる」の一言を聴いて驚いて、ワインと軽食の乗った盆を床に落とし、瓶は割れました。勿体無い、勿体無い。

左腕時代の飛雄馬も川上監督から登板を告げられて驚き、コーラの瓶をベンチの床に落として割っています。

どうも、星一家は驚くと、人から拝借したものや貴重なものでも、所かまわず手から落としてしまう危ない癖があるようです。

花形は一徹と話すとき、飛雄馬を「飛雄馬君」と呼びながら、明子を「明子」と呼び捨てにしていました。話し相手の息女なので、そのときは「明子さん」と呼ぶべきでは?
しかもアニメ「巨人の星」(飛雄馬左腕投手編)の設定では、明子は花形満より6歳年上です。

ちなみに花形の会社は「新」で「花形コンツェルン(Konzern,財閥)」となっていますが、アニメ「新」の会社の門を見ると、社名は変わらず「花形モータース」のようです。

伴宙太の親父・伴大造は「新」でも出てきて、相変わらず宙太と喧嘩をしていますが、花形満の親父はまじめすぎて面白くないのか、「新」ではほとんど出てきません。原作漫画「新」で一徹が明子の結婚式(披露宴?)を回想した場面でそれらしき伯父さんが描かれているだけです。

東京MXTVの再放送では巨人の星DVDの会社がスポンサーのようですが、続けてみているとDHCの廣告が結構目に入ります。

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東M『新巨人の星』、『ベルサイユのばら』  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時06分0秒 返信・引用 編集済
  新・巨人の星、ベルサイユのばら  2007/ 3/28 22:06 [ No.1536 / 2233 ]  ★

原作ではサンダーの阪神入りは伴が主導です。
飛雄馬の代打、走塁の活躍が一区切りしたので、本来の目的である右投手としての復帰を早めるためでした。

伴の会社が阪神の親会社と提携したのも理由の一つです。
もちろん、伴の真意を理解できなかった飛雄馬は、一時的に不調になります。

掛布がサンダーコーチ入団前から自分で飛雄馬の「跳び蹴り」を受けるとは凄い演出です。
これは花形がプロ球界に復帰するまでに、掛布がその役割を果たしたのでしょう。
「コロコロコミック」でも「掛布選手物語」があり、当時の彼の人気は凄かったことがうかがえます。

また、左腕編の初期で巨人以外の他球団の打者のうち、ライバルの花形、左門以外の実在の打者たちがショッカーの戦闘員のような「やられ役」扱いだった不自然さからの反動でしょう。

左腕編でも後半では消える魔球が花形に打たれたあと、南海ホークスの野村とロッテのアルトマンがそれを打ち、大LB3号に至っては大洋(現・横浜)の平松と阪神の江夏だけがはっきりとしたヒットを打ち、ライバルは無安打という結果になりました。

題名から見て、「侍ジャイアンツ」は巨人の選手が主役であり、「巨人の星」は明らかに巨人軍の星飛雄馬が主役です。
1970年までの「巨人の星」を花形中心に編輯しなおしたアニメで「猛虎花形満」があります。
また、柳田理科雄は「空想科学漫画読本」で左門が「巨人の星」の主役を乗っ取る可能性を述べ、「タイトルは『大洋の左門』、やっぱり地味かな」と書いています。

「ベルばら」を少し観ました。
イギリスがアメリカの独立を認めたという話がありました。

アメリカの独立宣言は平賀源内のエレキテルが出た1776年で、アントワネットとオスカルは当時21歳でしたが、この独立をイギリスが承認したのは1783年のようで、オスカルとアントワネットは28歳。
オスカルはさすがに酒豪になっていますね。

この次の回は「首飾り事件」のようで、調べると1785年から翌1786年までですから、大黒屋光太夫がロシアに漂着して3年ほどたっていますね。

1787年に松平定信の寛政の改革が始まりました。
ロシアではエカテリーナ(2世)女帝の時代です。

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東京MXTV『ベルサイユのばら』、野球中継
2007/ 4/10 23:47 [ No.1542 / 2233 ]  ★

オスカルも第1話で生まれたと想ったら、その第1話の内にもう14歳くらいに成長していました。

今日4/10は東京MXテレビの「新巨人の星」は休み。
代わりにソフトバンクとロッテの試合。今の王貞治を実写で観るのもいいものです。

フジテレビでは巨人×廣島戦。
アニメ「新巨」冒頭で描かれた1975年の巨人と赤ヘル軍団の戦いから32年近くたちました。
76年、星飛雄馬の「SSスライディング」が掛布によって破られた後、飛雄馬はオールスターに出ますが、当時のセ・リーグの監督は廣島の古葉監督(当時)でした。

掛布選手は日テレの明石家さんまの番組に出ていました。
さんまが昔の掛布の人気や板東英二(1958年甲子園で活躍→中日入団→1969年現役引退)の活躍を話すと、若いタレントが驚いていました。

新聞で、今の若者にとって70年代は完全に「未知の世界」だとありましたが、そうでしょう。
「若者」を10代後半~20代に限定しても今の30歳は1977年ごろの生まれ。
アニメ「新巨人の星II」の最後で花形満と明子の間に子供が生まれましたが、78年生まれとすると酒井美紀や間下このみと同世代です。

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→「ベルサイユのばら」第39話(全40話)  
東M新『巨』/「対エース作戦開始」  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時09分4秒 返信・引用 編集済
  > No.88[元記事へ]

「対エース作戦開始」  2006/11/15 21:55 [ No.1353 / 2233 ]  ★

花形の寝タバコは危ない。明子は「寝るならタバコを消して」と言ってよさそうなもの。
それに明子は花形を「あなた」でなく「満君」と呼んでよさそうなものです。
花形は独身時代と同様、年上の明子を「明子さん」と呼ぶべきで、今のように一徹と話すときまで「明子」と呼び捨てにするのは失礼です。

サンダーは伴から貰った帰国用のチケットの入った封筒を破り捨てました。
あれを買うのに伴重工業から予算が出たはす。
航空会社に返せば金は戻ったはずで、あんなことしていいのでしょうか。

原作では一徹が満を自宅アパートの部屋に呼んだ時点で、サンダーを飛雄馬から引き離す策を頼んでおり、すぐ花形は大阪で阪神の監督と会います。

アニメでは花形は東京から大阪まで乗用車で移動。ガソリン代も相当かかったでしょうが、流石に大財閥です。

予告編を見ると阪神のユニフォームの代名詞である縱縞がありません。絵を動かしやすくするためでしょう。

飛雄馬の左腕時代からブランク(空白期)を挟んで右腕時代まで通して現役なのは大洋Wの左門豊作と平松政次の他、G王貞治、堀内恒夫、日ハムFからGに移籍した張本勲、そしてT田淵幸一などです。
飛雄馬は左腕時代実質3年(67入団→68一軍→70失踪)、右腕時代3~4年(76入団→79コーチに)。
長嶋茂雄は17年(58入団→74引退)現役で、王貞治は21年(59入団→80引退)ですから、飛雄馬の投手生命は短かったわけです。性格は正反対ですが、飛雄馬は江川や新庄のように、記録より記憶に残る選手だったわけです。

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「対エース作戦開始」(訂正)  2006/11/15 22:11 [ No.1355 / 2233 ]  ★

長嶋茂雄は17年(58入団→74引退)現役で、王貞治は22年(59入団→80引退)ですから、飛雄馬の投手生命は短かったわけです。性格は正反対ですが、飛雄馬は江川や新庄のように、記録より記憶に残る選手だったわけです。

王選手の現役年数は入団した年を勘定に入れると22年でした。
長嶋選手の「現役17年」は入団した年を入れた年数です。

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東M新『巨』/「新しい標的・タブチ」  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時17分59秒 返信・引用 編集済
  > No.90[元記事へ]

「新しい標的・タブチ」  2006/11/22 1:08 [ No.1367 / 2233 ]  ★

1942年 星一徹G入団、徴兵される。春江懐妊(この子供が明子)
1942~3年 星明子誕生
1946年9月 田淵幸一誕生
1949年頃 花形満、伴宙太、左門豊作誕生
1950~1年頃 星飛雄馬誕生
1967年 星飛雄馬G入団、花形T入団、左門、大洋W(現横B)入団
1968年 田淵T入団
1970年 花形T引退

花形は阪神現役時代は田淵を「田淵さん」とさん付けで呼んでいましたが、今回は「田淵君」と呼んでいました。
阪神のティームメイト時代に花形と田淵は君付けで会話する仲になったのでしょう。
花形の方が阪神の選手としては1年先輩ですが、年齢では田淵が上です。

1969年2月頃、星飛雄馬が日高美奈の死で不調に陥(落ち入)った時、阪神の練習中にコーチが田淵に花形に負けないよう命じた際、花形は「田淵ではこの花形は燃えんのだ」と独白。田淵が可哀想でした。

70年、傳統の一戦で田淵は擬似本盗で消える魔球の土煙を両手で防ぎ、花形の第一打席目の消える魔球打倒に協力しました(結果は柴田に捕られてアウト)。花形は次に帽子落とし作戦で打って長嶋に捕られてアウト。3打席目で一本足打法で飛雄馬を動揺させ、やっと消える魔球を打ちました。

大LB3号については「本塁附近で球の推進力が零に近くなり、そこにプロ打者の猛スイングがくると風圧で流される」とあります。

伴は弱いスイングで3号をスタンドに入る大ファウルにしますが、球の推進力が零だと球を飛ばす力はスイングの速度だけで、これでスタンドまで飛ぶとは思えません。

柳田理科雄が『空想科学読本2』と『空想科学漫画読本4』で2号と3号を検証しています。

「新しい標的・タブチ 」II  2006/11/22 1:31 [ No.1368 / 2233 ]  ★

「新巨」原作では花形が大阪で阪神の監督と会ってから、いきなり星たちの練習後にサンダーが阪神Tコーチの話があったことを通譯を通じて告白しています。

アニメでは阪神の監督もワイングラスを倒したりして危ない人です。

このサンダーが田淵の打撃を見た過程や、花形夫妻から星飛雄馬の話を聴いた場面など、原作では台詞での説明だった部分がアニメで補充されたわけです。

原作ではサンダーは当初、日本語ができず、伴宙太の秘書の若い女性が通譯を担当しましたが、アニメでは通譯者が省かれています。

この通譯は夜になるまでグラウンドでサンダーと伴たちの間の通譯をしていましたが、野球部の面々と同様の残業手当は出ていたのでしょうか?

アニメではかろうじて左門メモを伴の秘書らしき女性が英譯してタイピングする場面があり、これは原作にありません。

左門メモは当然、日本語で書かれたでしょうから、原作でサンダーがマウンドで見ていたメモが何語だったか不思議でしたが、アニメではこの疑問が氷解しました。

花形とサンダーの会話シーンは原作になく、アニメオリヂナル。
アニメではサンダーも日本語を使っていますが、原作で花形は幼少の頃に5年程英国に留学、辯論大会で優勝したことになっていますから、英語は達者なはずです。

花形の寝タバコも危ないですが、星一徹と飛雄馬はもっと危ないことをしています。木造長屋の井戸の傍で一徹が硬式ボールにガソリンを掛けて火を着けてノックし、逆立ちした飛雄馬が火の球を足で一徹に蹴り返し、次には1塁方向の角度に蹴るという練習を連日やったことがあり、よく火事にならなかったものです。

東京消防庁は黙っていなかったのでしょうか。

星一家の破損癖についてですが、幼い飛雄馬が野球を嫌がって一徹の手で路地に放り出されたとき、持っていたナイフで柱に「トウチャンノバカ」と刻んだことがあり、これは飛雄馬が巨人に入ったて大LB1号が打倒されるまで修復されず残っていました。
昔の子供は鉛筆削りや工作などのために「肥後守(ひごのかみ)」というナイフ(EVA初号機の武器と似たタイプ)を持たされていたようで、僕も小さいカッター(EVA弐号機のナイフと似たタイプ)を今でも使っており、隔世の感があります。

また、一徹は飛雄馬が幼い頃から長屋の壁にボール大の穴をあけ(冬、暖房が効かなかったのでは?)、1958年に小学生の飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつけたとき、一徹は酔っ拂って家のテレビを壊したこともあります(1966~7年に飛雄馬が甲子園に行った時期に新規購入)。

また、飛雄馬はオズマから「お前は俺と同じ野球ロボット」と言われてショックを受け、アニメではおそらく1968年師走に飛雄馬が柄にもなくクリスマスパーティを企画。しかし、誘った相手(花形、左門、明子など)は誰も現れず、一人ぼっちの飛雄馬は借りた部屋でテイブルをひっくりかえし、ツリーを倒し、部屋中めちゃくちゃにして一人で暴れまくりました。
これは「テレビ探偵団」と「トリビアの泉」でも紹介されたので、結構、有名です。

また、1970年のオールスターの時期、飛雄馬はマンションの自室の鍵を京子に渡し、中の物を洗いざらい持っていけと言い放ったこともあります。幸い、京子は何も盗らず、部屋は綺麗なままでした。

「新しい標的・タブチ」III  2006/11/22 1:35 [ No.1369 / 2233 ]  ★

一徹と花形は野球のことになると明子を少しのけものにするような感じがあります。「男の世界のことだ」、「明子は黙っていなさい」という台詞が頻出し、明子が気の毒です。

しかし、結婚前の明子も飛雄馬たちの戦いを嫌がるようでいながら、一方で飛雄馬がやる気をなくすと復帰するよう促したり、飛雄馬のもとから去ったり、伴に中日への移籍を薦めたり、結構、男たちの戦いを煽っていました。

飛雄馬は消える魔球で勝利したあとのヒーローインタヴューで「姉ちゃん、帰ってくてくれ」と泣いて叫んでことがあり、それでも明子は戻りませんでした。

それでいて左腕を壊した飛雄馬が失踪し、花形邸に来てまた出て行ったとき、明子は「飛雄馬もお父さんもどうしてうちで一緒に住んでくれないのか」と嘆き悲しんでおり、結構、自分勝手です。

アニメの「巨人の星」左腕編の終盤で、明子は「飛雄馬が完全試合を達成すればお父さんも野球をやめて、また3人で暮らせる」と夢を語っていましたが、自分で進んで父とも弟とも離れていた彼女の言としては矛盾しています。
父と弟が戦っている間は、どちらとも一緒に暮らしたくなかったのかもしれません。

なお、「新巨」で飛雄馬が右腕投手として復帰したあと、花形満が自分の誕生日パーティーを自宅で開いており、そこには飛雄馬、一徹、左門、牧場も訪れ(伴も来ていたか?)、珍しく星一家全員集合となりました。
ただ、一徹は「若い人同士にしておこう」といって、すぐ、別室にこもったようです。

花形は阪神時代、明子には「明子さん」と呼んで敬語で接し、一徹には「星さん、あなたは卑怯だ」などとタメクチで批判していました。
結婚後は反対で、一徹に「お義父(とう)さん、お久しぶりです」と言い、明子に対しては呼び捨てで、タメクチになっていま。

花形は一徹との会話で星飛雄馬を「飛雄馬君」、ところが、明子を「明子」と呼んでいます。
伴は一徹や明子に対して話すときも飛雄馬を「星のやつ」と言っていましたが、これは失礼では?

「新しい標的・タブチ」III(訂正)  2006/11/24 5:30 [ No.1372 / 2233 ]  ★

飛雄馬は消える魔球で勝利したあとのヒーローインタヴューで「姉ちゃん、帰ってくてくれ(誤記)→帰ってきてくれ(訂正)」と泣いて叫んでことがあり、それでも明子は戻りませんでした。

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東M『新巨』/星一徹と星明子  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時22分17秒 返信・引用 編集済
  > No.91[元記事へ]

Re: 「新しい標的・タブチ 」  2006/11/28 21:25 [ No.1388 / 2233 ]

東京消防庁と文部省から警告が出そうな火だるまボールのノックは、一徹が飛雄馬をグラウンドでなく長屋で、しかも1対1で鍛えた不自然さによります。一徹がもし少年野球の監督で飛雄馬をグラウンドで鍛えていれば「巨人の星」の悲劇も少なく、飛雄馬の選手生命も長持ちしたでしょう。

左腕編で大LB1号を失って意気消沈した飛雄馬は、花形が明子に惚れたことを知って喜び、「俺たちの勝負が残した唯一の華かもしれない」と言いますが、明子は怒って飛雄馬を平手で殴り、「何て情けないことを言うの、父子二代に渡る勝負が、たかが姉一人の幸せのためにあったなんて」と言っています。

飛雄馬が新魔球を開発してもなおライバルと姉の間で悩んでいると、明子は飛雄馬から去り、結果、花形と飛雄馬は戦いました。

一方、「新」では一徹が「父と弟の野球地獄の犠牲であった明子は花形滿と結婚、玉の輿に乗ったるはせめてもの救い」と回想、飛雄馬と似たような感想を漏らしています。

明子は夫と弟の戦いを夢見て、うなされましたが、それなら、花形が明子に好意を寄せた時点で、「お父さんも飛雄馬も花形さんも野球をやめて、4人で一緒に暮らしましょう」と言えばよかったわけです。

この二重人格は、敢えて辻褄を合わせると、明子一人で男たちの勝負をとめられないなら、むしろ勝負をあおって決着を早めた方がいいという明子の計算だったかもしれません。
また、明子は飛雄馬が名実ともに「巨人の明星」になることは応援していたのでしょう。
一徹が故意に敵に回ったのもそのためでした。
ただ、明子は一徹のやり方について「お父さんは私と飛雄馬がマンションに引っ越したのを根に持っているの?」などと低次元な恨みを言っており、どこまでわかっていたか疑問です。

もう一つの理由は、恐らく原作者・梶原一騎がこの星明子に「主役とライバルたちの戦いを嫌悪し嘆き悲しむ役」と、逆に「主役たちに戦えと言って発破をかける役」の2役を演じさせたことにあるのでしょう。

母親代わり、恋人、姉、むすめといった役割を明子がやっていたわけで、キャラクター設定の不足です。

もし、春江(飛雄馬の母)や日高美奈が健在で、更に京子がもっと早く登場していれば、飛雄馬や伴が弱気なときに慰めて「戦いはやめましょう」と言う人と、厳しく「頑張りなさいよ」と言い放つ役の「分業」ができた可能性があります。戦隊シリーズで女の子が二人だと、ボーイッシュとお嬢様に別れるようなものです。
また、左門豊作の妹2人(「ちよ」と「みち」)がもう少し個性を発揮して飛雄馬や花形とも関わったら話は違ったでしょう。

実は一部で、飛雄馬の(橘ルミは除いて日高美奈に続く)第2の恋人候補として左門の妹のどちらか1人を予想する向きがあったようですが、それは実現していないようです。「新」で飛雄馬が惚れた女性は別の人です。

ただ、一徹が「終戦」後、やる気を失っていたとき、さりげなく野球用具を傍に置いて、復帰を即したのは妻・春江でしたから、みんな二重人格になる可能性もあります。

むしろ、見守るだけなのはむしろ、飛雄馬の学友で漫画家となった牧場春彦の役回りでした。しかし、牧場も善人ながら結果として何度も飛雄馬たちに災いをもたらしてしまった意味では、明子と似ているかも知れません。

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めぞん一刻  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時26分33秒 返信・引用 編集済
  めぞん一刻  2006/12/ 6 14:36 [ No.1398 / 2233 ]

最近、一部だけ見ましたが、作品そのものはいいと思います。
しかし高橋留美子の絵のアニメ化だと、やはりラムや乱馬やパンダが出てきそうな気がしてしまいます。

「めぞん一刻」の本放送(1986年)の際は、失礼ながら斉藤由貴の唱が余りに下手で、視聴する気がしませんでした。
「悲しみよこんにちは」は玉置浩二の作曲ですが、当時は安全地帯の「悲しみにさよなら」(1985年)が出た直後だったので「作り方が安易だな」と思ったものです。
玉置浩二といえは元妻の薬師丸ひろ子が出ていた「三丁目の夕日」も「夕焼けの詩」という漫画のドラマ化でした。
「スケバン刑事」も「セーラー服と機関銃」もリメイクされました。

また、「めぞん一刻」の映画版は石原真理子主演でしたね。
今は何しているかと思ったら本を出版してメディアに出てきました。
伊東美咲主演でドラマ化されるそうです。

「ふぞろいの林檎たち」(1983年~)は1997年までやっていたようです。
もう最終作から10年目ですね。「ふぞろいの林檎たち」は新キャストで作り直しなどしないのでしょうか。走っていると決まってロコモーション、涙だとエリーなど、SASの曲を安易に使いすぎでSASファンからは不評だったようです。

めぞん一刻・補足  2006/12/ 6 14:39 [ No.1399 / 2233 ]  ★

「三丁目の夕日」も「夕焼けの詩」という漫画のドラマ化でした。

「三丁目の夕日」も「夕焼けの詩」という漫画のドラマ映画化でした。

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東M新『巨』/「サンダーの裏切り」「カケフとの対決」  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時29分22秒 返信・引用 編集済
  > No.91[元記事へ]

「新巨人の星・サンダーの裏切り」  2007/ 4/26 19:41 [ No.1556 / 2233 ]

http://www.mxtv.co.jp/kyozin/
毎週火曜日21:00~21:30放送
4月3日 26話「サンダーの裏切り」
4月10日 休  止
4月17日 27話「非情のバント作戦」
4月24日 28話「血みどろの挑戦」

"ビッグ"ビル・サンダーは歌舞伎座で連獅子を観賞。
一徹から「親獅子が仔獅子を千尋の谷に突き落とす親心」という説明を受け、サンダーは感激し、阪神に入って飛雄馬と戦おうと決意します。

連獅子のあと、アフリカのライオンの親子が戦う場面。
アフリカの草原に住むライオンは、子供を谷に突き落とすようなことはしません。「巨人の星」でお馴染みのライオンの話がシナの傳説で出てくる「獅子」をアフリカの獅子(=ライオン)と混同した俗説だとわかりました。

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「新巨人の星・カケフとの対決」  2007/ 5/ 9 14:23 [ No.1596 / 2233 ]  ★

http://www.mxtv.co.jp/kyozin/
毎週火曜日21:00~21:30放送
5月1日 29話「カケフとの対決」
5月8日 30話「オールスター戦の謎」
5月15日 31話「大遠投の波紋」
5月22日 32話「長島宣告の怪奇」
5月29日 33話「王貞治ノーコン投法」

1566 「新巨人の星・血みどろの挑戦」から続き。

(左門の妹、弟たちが成長していない点について)

あれでは「左門と京子の子供たち」と解釋されても不思議はありません。子供は生まれていないのでしょうか。

掛布がやった「SSスライディング破り」ですが、改めてみると、よくボールを落とさなかったものだと想います。

結果として落球しなかったからよかったものの、あとで倒れた掛布に他の野手が「ボールをよこせ」と言っていましたから、それなら掛布のジャンプの間だけ他の野手が近寄ってボールを預かっておけばもっと現実的でした。

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東M新『巨』/「血みどろの挑戦」 >左門の妹と弟はまったく成長していません。「巨人の星」での初登場から劇中で10年たっており、もう20歳前後になっているはずです。

Re: 「新巨人の星・サンダーの裏切り」  2007/ 4/29 12:22 [ No.1567 / 2233 ] ★

SSスライディングは飛雄馬が巨人軍のテストに合格するための「一夜漬けの攻略法」で、ウルフ・チーフや土佐丸高校ならともかく、飛雄馬がやる野球ではないでしょう。
早めに潰したのは正解でした。

伴宙太も柔道部時代は敵でしたし、一度は一徹に呼ばれて飛雄馬の敵に回った男です。「新巨」では周りが皆、伴を「元中日の伴」と盛んに連呼しています。

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→東M新『巨』/「非情のバント作戦」  


東M新『巨』/「非情のバント作戦」1~2  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時35分28秒 返信・引用 編集済
  > No.94[元記事へ]

「新巨人の星・非情のバント作戦(1)」  2007/ 4/26 20:04 [ No.1557 / 2233 ]  ★

投稿者 :  starr_pegasus_of_the_giants

http://www.mxtv.co.jp/kyozin/
毎週火曜日21:00~21:30放送
4月3日 26話「サンダーの裏切り」
4月10日 休  止
4月17日 27話「非情のバント作戦」
4月24日 28話「血みどろの挑戦」

中日の監督はウォーリー与那嶺。Wikipediaによると与那嶺要(よなみねかなめ、1925年6月24日 - )は沖縄系ハワイ移民の日系2世。本名はWallace Kaname Yonamineで、72年から中日監督。
前任者の水原茂(1969年~70年中日監督)と同じく巨人OBです。

飛雄馬の左腕時代、サンケイアトムズ(→アトムズ→ヤクルト)の別所毅彦(べっしょたけひこ)監督や阪神の藤本定義監督も古巣讀賣に立ち向かいました。

実は、水原ドラゴンズの後半、1970年に伴宙太が中日に移籍して、一徹・伴コンビが飛雄馬と対決したとき、与那嶺は中日のヘッドコーチになってたはずですが、「巨人の星」では69年から続いて星一徹コーチが水原監督をサポートするヘッドコーチのような役割でした。

70年シーズン終了で星一徹も伴も中日を去り、「侍ジャイアンツ」では与那嶺はルーキー・大砲万作を使って巨人の番場蛮を苦しめました。
伴は「新巨」では「元中日」とだけ言われながら、中日への思い入れはなく、巨人OBに戻っています。

76年に行われたこの試合で、中日の投手は「鈴木」で、鈴木孝政(すずきたかまさ)でしょう。73~89年現役で、76,77年最優秀救援投手、76年最優秀防御率を記録しています。

飛雄馬は鈴木とは初対戦ながら、「左門」メモとサンダーコーチによる擬似対決で慣れていました。

原作の「野球人間ドック」でサンダーコーチに投げてもらった練習では、飛雄馬は中日の星野仙一のナックルを打っていましたが、鈴木のデータもあったわけです。
星野仙一は69~82年現役、87~91,96~01年中日監督、02~03年阪神監督。

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「新巨人の星・非情のバント作戦(2)」  2007/ 4/26 20:42 [ No.1558 / 2233 ]  ★

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毎週火曜日21:00~21:30放送
4月3日 26話「サンダーの裏切り」
4月10日 休  止
4月17日 27話「非情のバント作戦」
4月24日 28話「血みどろの挑戦」

与那嶺は恐らく「ジャンプして星にタッチする策」を高木(守道?)に傳授したのでしょうが、高木も廻轉して落球。ほとんどSFかギャグ漫画すれすれですが、梶原作品でいうと「柔道讃歌」の巴二段投げや「侍ジャイアンツ」の「ハイジャンプ大回転(=大廻轉)魔球」に似ています。

与那嶺いわく「アメリカのディフェンスも駄目ね、キャッチャーやアメラグの完全武装が必要ね」との辯。

記者がサンダーの阪神入りを飛雄馬、長嶋に傳えました。
ここでも記者は相変わらず仲介者の伴宙太を「元中日ドラゴンズ、今は伴重工業の伴宙太常務」と紹介していました。

伴宙太は水原茂、与那嶺要、落合博満と同様、「巨人OB兼中日OB」だから、周圍の人は伴が讀賣にいたことも言えばいいのに、「新巨」では長嶋の番記者も星飛雄馬も一徹も伴宙太を「中日OB」、「中日ドラゴンズを引退前に」などと、中日にいた経歴だけを言っており、こうなると嫌味としか想えません。

与那嶺は王貞治765号本塁打の77年まで中日監督で、飛雄馬が「蜃気楼の魔球」を開發した78年に古巣・巨人に戻り、同年正月にハワイで飛雄馬と会って長嶋に報告していました。
高木守道は60年から80年まで現役、1992年から95年まで中日の監督を勤めました。
昇竜亭 中日ドラゴンズ歴代監督

しかし、実在の選手の現役は長いですね。星飛雄馬や番場蛮など線香花火のような短さです。

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→東M新『巨』/「非情のバント作戦」3~4
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TOKYO MX TV『新巨人の星』2007年放送ラスト3回
10月2日 50話「右投手用ギブスの成果」
10月9日 51話「コンピューター対飛雄馬」
10月16日 最終話「はばたけ!飛雄馬」  
東M新『巨』/「オールスター戦の謎」「大遠投の波紋」  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時39分17秒 返信・引用 編集済
  > No.94[元記事へ]

「新巨人の星・オールスター戦の謎」  2007/ 5/ 9 14:38 [ No.1597 / 2233 ]  ★

オールスターで古葉監督が星をライト(右翼手)に起用。

今にして想えば、飛雄馬は「投手」というポジションに執着してよかったのかどうか。左腕時代、「打たれたらよく飛ぶ」と判明した段階で、他の野手を目指せばよかったと想います。

あそこから長嶋Gが飛雄馬を「投手兼外野手」または「投手兼それ以外の内野手」として育成すればよかったと想います。

川上哲治と王貞治は投手から一塁に轉向した大打者で、そもそも飛雄馬を育てた一徹も三塁手でした。
星飛雄馬のあらゆる悲劇は結局、「元三塁手が」、「一対一で」、飛雄馬を「速球投手に」育てたせいだと言えます。

飛雄馬が長嶋引退後の三塁や国松引退後の右翼手を目指していれば選手生命がもっと長く続いたはずです。

江川卓が入団した直後の79年、長嶋監督は飛雄馬に二軍コーチ就任要請という形で戦力外通告をし、飛雄馬は二軍コーチ就任を希望しますが、あそこで「星三塁手」を目指すこともできたはず。それこそ一徹のかなえられなかった夢でしょう。

まあ、69年の初め、一徹は川上監督から「巨人二軍コーチ就任」を要請されて断っており、結果として息子・飛雄馬が10年後に古巣の要求に応えた形です。

投手を主役にしたがる野球漫画の性質が不自然さを生んだと言えます。
(その点はバット職人の息子がなぜか投手になってバットを折る剛球を使う貝塚ひろしの漫画「父の魂」も同じ)

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「新巨人の星・大遠投の波紋」  2007/ 5/20 13:53 [ No.1614 / 2233 ]  ★

アニメではもったいぶって後に引きますね。

原作では田淵と掛布がその場で「巨人戦を前にわしらにケガさす気か」と言い、吉田監督とコーチが「その巨人戦対策なんや」と言いいます。田淵と掛布はすぐに星の大遠投を想い出し、打席に戻ります。

吉田監督は「勘のええ男たちやで」と言う。

その後は私の記憶では、コーチが「しかし、左腕時代、針の穴を通すコントロールだった星が、右投げになるとはいえ、あないなノーコンになるもんかいな」と首をかしげ、監督が「そりゃ、サンダーに一任するほかない」、「復帰前の星を知っているただ一人の男やさかい」と言っていたと想います。

漫画やドラマでは何か大事なことをする際、味方にまで秘密にして、雰圍気を盛り上げる傾向があります。

投手の位置を前にずらして投げる打撃練習は、作品で言われたように、昔、巨人の澤村榮治を打ち込むため、阪神(ひょっとすると当時は大阪タイガースだったかな?)がやっていた練習で、飛雄馬左腕時代には大洋の左門もやっていました。

http://www.mxtv.co.jp/kyozin/
巨人の星&ドカベン>2005年の日本シリーズ 前後一覧

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星飛雄馬は「投手」に留まって良かったか  投稿者:starr_pegasus_of_G  投稿日:2008年10月 5日(日)22時44分25秒 返信・引用 編集済
  > No.96[元記事へ]

星飛雄馬は「投手」に留まって良かったか  2007/ 5/ 9 15:31 [ No.1598 / 2233 ]  ★

星飛雄馬は右腕時代、3年で引退し(在籍67年秋~70年秋)、5年休んで(71年~75年)右腕投手としても3~4年(76年宮崎キャンプ~79年前半)。

星飛雄馬は川上哲治の現役時代の「背番号16」と長嶋の現役時代の「栄光の背番号3」を受け継いでいますが、それなら初めから投手でなく打者を目指した方が長続きしたのではないでしょうか。

飛雄馬失踪の期間、明子や左門など関係者が飛雄馬を心配することはあったでしょう。

ただ、前期の飛雄馬がすぐにやめて5年間「休んで」よかったことは、伴と花形がそれぞれの親の会社をついで家の仕事に專念できたことですかね。

伴宙太と花形満が野球をしていたのは高校3年の終わりからの3年間だけで、大学の1年~3年の代わりがプロ野球だっただけの話。

伴の会社と花形の会社はライバル関係とはいえ、2人の父親はどちらも喜んだでしょう。

75年、伴は飛雄馬との再会をきっかけに、会社の地位に留まりながら再び野球に関わっています。
花形満は76年にヤクルトに入って野球界に戻りますが、アニメでは78年後半に蜃気楼ボールを打倒して再び引退しております。球界復帰は77~78年で実質2年間でした。
「巨人のサムライ炎」での79年飛雄馬引退後の花形の消息については私も知りません。

次は「大遠投の波紋」。
「ボールが届くまで1週間」というわけではありません。作品の中では数秒以内。
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注釋

しかし、「作品の中の時間」でも矛盾は多く、飛雄馬は66年春に高校に入り、2学期で中退してG入団したら1年ワープして67年後半の川上V3の時期。
第1話の舞台、1958年当時の飛雄馬と花形満の年齢も計算すると矛盾が結構あります。

水島新司は梶原一騎に対抗して野球漫画の現実路線を目指したようでありながら、60歳くらいで現役打者の「あぶさん」、現実の野球の話でも「最強の打者は」と訊かれて「山田太郎、景浦安武」と答える水島新司本人の發言など、梶原以上に荒唐無稽です。

「ドカベン」の山田、岩鬼、里中、殿馬、微笑らは74年春高校入学で高三夏の甲子園準決勝が85年、高校三年2学期でのドラフト指名が94年秋。
公称で「山田18歳、岩鬼17歳」でしたが、実際は「山田38歳、岩鬼37歳」。
「野球狂の詩」の日下部了が早稲田大学に入ってから74年秋にメッツに入団するまでの「4年間」は時代背景で言えば1年しかたっておらず、それどころか半年後のメッツ一軍入りでは時間が半年過去にもどっています。

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野球漫画の「投手」偏重  2007/ 5/17 16:09 [ No.1611 / 2233 ]  ★

日本は野球の原産国でなかったので、漫画家たちはまず、投手と打者の「個人の対決」に焦点を当てて、日本人にわかりやすい時代劇や柔道など格闘技の世界をボールとバットに置き換えて漫画にしたのでしょう。

「アストロ球団」で川上が魔球を打つ場面など、まるで忍法に立ち向かう剣客のような凄まじい世界でした。

「侍ジャイアンツ」など武士道の漫画で、武士道は「巨人の星」ですでに頻出しています。

ですから日本の漫画は最初に非現実的な世界に始まり、徐々に現実的になっています。

「巨人の星」もその前の「黒い秘密兵器」などから比べれば相当、現実的になっており、飛雄馬も初め速球投手で、最初の大リーグボールはバットに当てて凡打にするもの。
おそらく人気が出て連載が長引いたので、消える魔球や見えないスイング、バットをよける大LB3号などの設定が出たのでしょう。

水島新司は「ドカベン」を始めるとき「巨人の星」を意識したと言っており、梶原漫画へのカウンターのつもりだったのでしょうが、漫画界全体から見れば水島氏は梶原路線を継承した結果になります。
そもそも、「文化の継承」が「先駆者に対する批判」から始まるのは世の常です。

貝塚ひろしの「父の魂」では主人公が剛速球で相手のバットを折りまくりながら、最後に「近頃のバットはすぐ折れてだらしない」と無責任なことを言って、親父と同じバット職人を目指すという展開でした。
もし、これがイチローや松井のような打者であれば、別の展開になったでしょう。

水島新司の場合も「男どアホウ甲子園」や「一球さん」、「球道くん」では剛球投手を主役にせざるを得ず、「ドカベン」も柔道漫画として始まりました。
「ドカベン」の場合、「捕手の役割」を詳しく教えてくれた功績はありますが、それでも山田太だけでは話は成り立たなかったでしょう。
味方に岩鬼と里中、ライバルに不知火、雲竜、土門、影丸、坂田、犬飼兄弟などといった個性豊かな主役級の投手を配置し、バランスをとっていました。
そこに真田一球や中西球道が入ったのが「大甲子園」というわけです。
(他分野では「ガンダム」と「エヴァ」も主役がつまらない少年だったので、脇役が人気になり、主役以上にメディアでの露出が増えた経緯があります)

「野球狂の詩」も基本的に投手の物語が多く、岩田鉄&清、日の本、千藤、日下部、富樫、火浦、立花、水原勇気など、投手が次々と主役を受け継いでいました。

もちろん、白新高校で三塁手の座を争う山井英司と国立玉一郎の逸話を描いた「熱球白虎隊」もあります。

今ではプロ野球のスカウトを主役にした漫画まであるようです。

ただ、「野球狂の詩」でもスカウトが重要なのはもちろん、野球場を職場にするスリや球場整備員、主審まで主役になったくらいですから。


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