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はだしのゲン

2013-08-30 16:30:00 | アニメ、漫画全般
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「はだしのゲン」、松江で閲覧制限、撤回も検討、文科相は「教育的配慮が必要」

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No.4010
「はだしのゲン」、松江で閲覧制限、撤回も検討、文科相は「教育的配慮が必要」
starr pegasus g
2013/08/21 22:00


「ブラックジャック」は連載開始当時「恐怖コミックス」に分類され、のちに「ヒューマン・コミックス」となった。
「はだしのゲン」の場合、戦争の残酷さを訴える漫画なので残酷な描写はあって当然。
それを子供に見せないのは教科書から「原爆の図」を外すのと同じで、平和教育などしなければいいという結論になる。
「機動戦士ガンダム」などは「戦争を美化している」(実際はジオン兵の戦死による家族の悲しみなども描かれているが批判する側はそこまで見ていない)と言われたが、では戦争の残酷さをリアルに描いたら子供に見せていいんだろうか?

「はだしのゲン」を一漫画として見た場合、保護者からクレームが来るということは「ハレンチ学園」や「がきデカ」と同種と見られているし、ヤング雑誌や「週刊プレイボーイ」に掲載されている中高生以上向けの漫画と同種と思われているのかもしれない。

もちろん子供の頃、学校の図書館で「がきデカ」を読んだ奴はいないだろう。
「はだしのゲン」は何度も実写映画化され、アニメ化され、実写ドラマ化された。
学校の図書館に置かれなくても子供同士の情報網で、書店で買うこともできるはずだ。

今の子供は漫画ですら学校で与えられないと読まなくなっているのか?

「はだしのゲン」は「終戦」当時小学校低学年だった作者の自伝的な話であり、本当の自伝漫画「おれは見た」もある。
だから作者が見たのは1945年8月6日の原爆投下前後の広島の様子であり、劇中で描かれた沖縄戦の集団自決も、満州の引き上げも、中国大陸での戦闘も、作者は自分では見ていないだろう。
だからゲンが語る「戦時中のアジアにおける日本軍の蛮行」などは伝聞であって、作者の実体験ではなく、今回問題とされたのはそこである。

戦後68年経って戦争を経験した人は終戦当時子供だった世代がほとんどになり、戦争を経験したお年寄りの証言などは、子供の時に戦時下で見聞きしたことと、後になって情報として仕入れたことなどが、混ざっている。
「はだしのゲン」も作者の目の当たりにした部分と後付けの伝聞によるものが混ざっていて、見る側がどれが本当でどれが嘘か見極める必要がある。
「ゲン」では、アインシュタインが原爆開発に直接にかかわっていたかのような描写があるが、作者はもちろんマンハッタン計画の時にアメリカにいたわけではないから、思い込みも入っているだろう。

しかしゲンは完全な反米ではない。
戦中・戦後、日本人がアメリカ人の捕虜を憎んで石を投げたりする場面があるが、ゲンの父は「あのアメリカ兵の捕虜にも家族がいるだろうに。戦争は人と人が憎しみ合うだけだ」と言い、ゲンも「アメリカ(人)は(日本にいた)自分の国の人間(アメリカ人)も原爆で殺してひどい奴らだ」という感想を持っていた。

ゲンの母親が亡くなった時、ゲンはマッカーサーと昭和天皇の両方を「戦犯」扱いしていたが、他の場面でのゲンの論法では「原爆投下」以外に戦争を終わらせる選択肢が提示されておらず、「原爆を落とさなくてもいずれ日本は降伏していた」という視点が欠落しているように見える。

「ゲン」は「戦争を起こした昭和天皇や旧日本政府」と「ピカを落としたアメリカ」の両方を批判しており、前者の自国・日本への批判になるとまるで某元大臣の「原爆しょうがない」発言のようになり、「原爆が戦争を終わらせた」「原爆がなかったら戦争は続いていた」「日本人は原爆の犠牲者に感謝すべきだ」という結論に達する(可能性が高い)。

「ゲン」の閲覧制限は市民団体や保護者からのクレームに始まっている。
ゲンの父親が戦争に反対した時、周りの広島市民は彼を「非国民」と呼び中岡家を迫害した。
原爆投下後、ゲンが知り合った被爆者は周りの人たちから「ピカの毒(放射能)が移る」として疎外された。
つまりゲンにとって第一の敵はマッカーサーでも天皇でも日本政府でもなく周りの市民だったわけだ。

福島第一原発の事故の後、風評被害が問題となったが、「ゲン」でも被爆者が受けた差別という形で似たようなことが描かれていた。
今年(2013年)の広島原爆の日に広島市長が語った平和宣言でも、原爆の被爆者が受けた差別が語られていた。

日本国民は自分たちで政府の政策を支持しながら、結果が悪いと自分たちの責任を棚に上げて政府を批判する。戦争でも原発でも同じ。
今も昔も大して変わっていない気がする。

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>ドラえもんののび太の父親と母親は何歳位だと思いますか?

2013-08-12 14:12:00 | 漫画、アニメ
gurumeresu14さん
ドラえもんののび太の父親と母親は何歳位だと思いますか?
質問日時: 2013/7/24 14:18:57


komasaram

原作については他の回答の通りです。
なおのび太の父・のび助が終戦直前の疎開を経験していたのは1970年当時の原作連載開始1年目の時です。
この場合、単純計算で、のび太が1970年当時10歳、1960年生まれ。
のび助は1945年当時10歳であれば、1970年は終戦から四半世紀が経過していたので、35歳くらいということになります。

てんコミ2巻収録の「ぼくの生まれた日」ののび太は昭和39年(1964年)生まれです。
「地下鉄をつくっちゃえ」ののび助は定期券にある「49年」は昭和49年とすると、1974年当時で36歳なので、1945年当時7歳になりますかね。
てんコミ1巻収録の「プロポーズ作戦」ののび助と玉子(のび太の母)の結婚が昭和34年(1959年)なので、これは「ご成婚」の年ですね。
藤子F不二雄氏が今年で生誕80年なので、終戦当時12歳、ドラえもん原作開始の時は36~37歳ですね。

前の回答にあるように玉子が38歳というのは1985年当時の「恐竜の足あと発見」によるものですが、のび太が小学4年生か5年生とすると満年齢は9歳から11歳まで幅があるので、2歳くらいの違いは誤差の範囲内でしょう。

ここ数年のアニメで考えます。
2007年放送の「ママのダイヤを盗み出せ」では玉子は1980年代前半に7歳で、松田聖子(1980年歌手デビュー)のサイン会があった設定なので、玉子は1973年~1977年生まれになり、2007年の放送当時は30~34歳になります。

2012年の映画「のび太と奇跡の島」ではのび太が2012年の夏で11歳として、30年前の1982年の時代から来た少年時代ののび助は2012年ののび太とほぼ同じくらいの少年でした。すると劇中ののび助が1982年当時11歳であれば、2012年の大人ののび助は41歳になります。
逆に2012年でのび助が36歳なら、劇中に登場した子供ののび助は6歳になってしまいます。
のび太が6歳の時はどうかというと、入学直前ののび太はもっと幼かったと思います。

回答日時:2013/7/27 15:11:30
編集日時:2013/7/27 15:13:18