北風と太陽・保存版 統一教会から娘を家族のオープンな話し合いで取り戻した父kokoroのブログ。

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償いの日々(財津和夫)と私の償い

2009-07-21 23:27:57 | 心の手記

生まれて1年経とうとするころ、幸子は、ハイハイをしながら応接間のソファにたどりつき、な0025dscn0025 んとか自分の力でつかまり立ちをしていた。

 

満面の笑みで、今にも一人で歩きだそうとそうとしていた。

私は、「さーちゃん、こっちへ」と大きく手を広げた。

 

幸子は目をつむって5,6歩とことこと歩いて私の胸の中に飛び込んできた。

祖父母、妻の感動のどよめき・・・・幸子が生まれて初めて自分で歩いた瞬間・・・・

 

その時のことを、今でも鮮やかに覚えている。

幸子はいつも家族の中心にいた。

 

アルバムを見ながら、生まれてから、家を出る(住所も言わないで統一教会のホームに入る)までのいろんな出来事を思い出した。

 

特に私の心を悩ましたのは、ある出来事に対する自責の念であった。

地元の大学を卒業して、就職して1年が経とうとした頃、あることをきっかけに私は幸子に怒った。思わず頭を押さえつけてしまった。

 

幸子が家を出て行って、わけのわからない活動をしていると、幸子の友人から知らされて以来、そのことに対する贖罪の日々がつづいた。

 

私が幸子に、あんなことをしなければ、幸子は出ていくことはなかったと・・・・・・。

 

財津和夫の「償いの日々」(YouTube)という曲がある。偶然この曲を聴く機会があった。

 

なぜか詞のひとつひとつが、私の心に響いた。

 

詞は男女の別れを想定しているようだが、当時の私には父とカルトに走った子供の関係そのものに映った。

 

 

               償いの日々     詞 呉田軽穂

    

もしも誰かとくらすよなことがあれば

せめて住所を知らせ合おうと最後に云った

・・・・・

 

思い出の日々姿変えずきらめく君

わがままの罪

道しるべが消えている町

・・・・

 

誰でもひとつは持ってる

こころの片隅の部屋

自分でさえ開けられずに

・・・・・・・

 

 

 最近知ったのだが、この歌、実は作詞作曲は、松任谷 由実

 

呉田軽穂(くれたかるほ)は、楽曲を歌手に提供する際の彼女の匿名性を持たせるためのペンネームだそうだ。

 

この歌のYouTubeの映像をみると、輪をひねった8の字の帯を歩く財津の姿がある。

 

新たな道しるべを見つけたつもりが、出口のない迷路にはまりこんだ幸子。

 

彼女のこころの扉を開くカギを探しながら、思い悩んだ日々を、

この歌とともに思い出す。