生まれて1年経とうとするころ、幸子は、ハイハイをしながら応接間のソファにたどりつき、な んとか自分の力でつかまり立ちをしていた。
満面の笑みで、今にも一人で歩きだそうとそうとしていた。
私は、「さーちゃん、こっちへ」と大きく手を広げた。
幸子は目をつむって5,6歩とことこと歩いて私の胸の中に飛び込んできた。
祖父母、妻の感動のどよめき・・・・幸子が生まれて初めて自分で歩いた瞬間・・・・
その時のことを、今でも鮮やかに覚えている。
幸子はいつも家族の中心にいた。
アルバムを見ながら、生まれてから、家を出る(住所も言わないで統一教会のホームに入る)までのいろんな出来事を思い出した。
特に私の心を悩ましたのは、ある出来事に対する自責の念であった。
地元の大学を卒業して、就職して1年が経とうとした頃、あることをきっかけに私は幸子に怒った。思わず頭を押さえつけてしまった。
幸子が家を出て行って、わけのわからない活動をしていると、幸子の友人から知らされて以来、そのことに対する贖罪の日々がつづいた。
私が幸子に、あんなことをしなければ、幸子は出ていくことはなかったと・・・・・・。
財津和夫の「償いの日々」(YouTube)という曲がある。偶然この曲を聴く機会があった。
なぜか詞のひとつひとつが、私の心に響いた。
詞は男女の別れを想定しているようだが、当時の私には父とカルトに走った子供の関係そのものに映った。
償いの日々 詞 呉田軽穂
もしも誰かとくらすよなことがあれば
せめて住所を知らせ合おうと最後に云った
・・・・・
思い出の日々姿変えずきらめく君
わがままの罪
道しるべが消えている町
・・・・
誰でもひとつは持ってる
こころの片隅の部屋
自分でさえ開けられずに
・・・・・・・
最近知ったのだが、この歌、実は作詞作曲は、松任谷 由実。
呉田軽穂(くれたかるほ)は、楽曲を歌手に提供する際の彼女の匿名性を持たせるためのペンネームだそうだ。
この歌のYouTubeの映像をみると、輪をひねった8の字の帯を歩く財津の姿がある。
新たな道しるべを見つけたつもりが、出口のない迷路にはまりこんだ幸子。
彼女のこころの扉を開くカギを探しながら、思い悩んだ日々を、
この歌とともに思い出す。