[写真]野党4党幹事長から国会召集要求書を受け取る、川端達夫衆議院副議長、国会内副議長応接室、2017年6月22日、筆者・宮崎信行撮影。
川端達夫さんが、後述のgoo=産経=ニュースによりますと、政界引退を発表しました。
来週、平成29年2017年9月28日(木)の衆議院解散にともない、衆議院副議長や衆議院議員を辞めて、次の第48回衆院選には立候補しないとしました。
これはきょう、21日、滋賀県大津市内の民進党滋賀県連で記者会見して発表したものです。
川端達夫衆議院副議長は、さる、平成29年2017年9月8日(金)に青山葬儀所で開かれた、羽田孜先生の、羽田家・民進党合同葬で、衆議院を代表して弔詞を朗読したばかりでした。
川端さんは、1986年の死んだふり解散第38回衆院選で、当選。東レというと、昔も今もすごい企業ですが、1986年頃はそんなでもありませんでした。滋賀全県区は、宇野宗祐首相、「最後の田中派」山下元利さん、武村正義元知事らがひしめく激戦区でした。
その後、新進党結党に参画。いったん離党したものの、復党。しかし、解党。
ここで、連合系のI衆議院議員(自動車総連)から新党結成への参加を求められ、幹事長就任を打診。しかし、翌朝、市議出身の中野寛成さんとともに、事務所に行き、中野寛成代表、川端達夫政調会長の「新党友愛」をつくりました。
その後、「民主党」の枝野幸男さん、「民政党」の岡田克也さん、「新党友愛」の川端達夫さん、「民改連」の北橋健治さんの4人で政策をすりあわせ、「私たちの基本理念」いわゆる「民主党98綱領」を一週間で書き、「民主中道の政権担当能力のある勢力の結集」を呼びかけました。
後輩の岡田克也代表の下で幹事長。社会保障と税の一体改革では、岡田克也副総理のもとで、消費税の半額を所管する総務省の大臣として200時間審議を支えました。
前回衆院選で、10選すると、岡田克也代表・枝野幸男幹事長の全幅の信頼で、副議長推挙。向大野新治事務総長が選挙をとりしきり、副議長に当選しました。その後、町村信孝議長が逝去し、新議長選挙を、副議長として取り仕切り、大島理森議長が当選しました。
先の通常国会では、平成天皇ご退位特例法で与野党との意見の集約につとめました。
[gooニュース=産経新聞=から引用はじめ]
(【衆院解散】川端達夫衆院副議長が政界引退を表明 「体力、気力、能力に限界を感じ、終止符を打ちたい」
【衆院解散】川端達夫衆院副議長が政界引退を表明 「体力、気力、能力に限界を感じ、終止符を打ちたい」
川端達夫衆院副議長(72)=民進党、比例近畿=は21日夜、大津市内で記者会見し、次期衆院選には出馬せず、政界を引退する意向を表明した。「時代の変化の中で体力、気力、能力を発揮して重い責任を果たしていくことに限界を感じ、終止符を打ちたいと決心した」と語った。
川端氏は昭和61年に初当選し、当選10回。旧民主党政権で文部科学相や総務相を歴任、民主党幹事長や国対委員長などを務めた。平成26年12月から副議長を務めている。
[gooニュース=産経新聞=から引用おわり]