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ニュースサイト宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

もはや小沢ではない 最前列に民主党7奉行そろう 世代交代、受ける立場に 無私の心で突き進め

2012年10月02日 17時35分50秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

[写真]野田第3次改造内閣の記念撮影、2012年10月1日、首相官邸ホームページから。

 小沢一郎グループの離党後、初めての内閣改造となった野田第3次改造内閣で、記念撮影の最前列5閣僚が、民主党7奉行でそろう場面がありました。第1次民主党結党時の共同代表である鳩山由紀夫さん(第93代首相)、菅直人さん(第94代首相)、そして、9年前の民由合併で入党した小沢一郎さん(現・国民の生活が第一代表)ら「トロイカ」の時代から、世代交代を印象づけました。同時に、民主党7奉行が世代交代論の対象となり、受けて立つ時代となりました。民主党第1次与党期は民主党7奉行が政権を担い、いずれくる第2次野党期に一気に世代交代が進むでしょう。そのときは、1970年代生まれの会(細野豪志・政調会長、高山智司事務局長)や、あるいは2009年初当選の会まで時計の針が進み、40歳前後の代表(ネクスト首相)が生まれるかもしれません。そのためには、第46回衆院選の必勝か、あきらめずに第47回衆院選までしっかり活動するしかありません。

 ちなみに、wikipedia(ウィキペディア)には「7奉行の会」という項目がありますが、これは正しくなく、実際には「7奉行の会」という組織は存在しません。渡部恒三さんが次の7人を選んで「民主党7奉行」と名付け、玄葉光一郎さんが幹事役を務めて、「恒三さんの誕生日を祝う」「樽床さんの国政復帰を祝う」というきっかけに不定期に会食しているメンバーであり、組織ではありません。

 メンバーは次の7人です。

 野田佳彦 当選5回 55歳
 岡田克也 当選7回 59歳
 仙谷由人 当選6回 66歳
 前原誠司 当選6回 50歳
 枝野幸男 当選6回 48歳
 玄葉光一郎 当選6回 48歳
 樽床伸二 当選5回 52歳

 野田首相、岡田副総理、玄葉外相、前原国家戦略・経財相、枝野経産相、そして樽床総務相が初入閣しました。仙谷さんは閣外ですが、昔の自民党で言う闇将軍、キングメーカー的な存在となっています。

 世代交代はあがなえない権力闘争。世代交代を否定することは、人間社会を否定することです。吉田茂曰く「3000年いや4000年生きたい。しかし人はいつか死ぬ。しかし国は生き続ける」。民主党7奉行からの総理は、イチバン苦労した野田さんということになりましたが、その小沢一郎さんが去った後、民主党が遅ればせながら、政権担当できる布陣になりました。これまでの民主党は「小沢か反小沢か」でしたが、これからは、民主党7奉行がより若い世代を育てながらも世代交代論者との攻防が与党・民主党の活力となりそうです。

 もちろん、7奉行になれなかった人もいます。そもそも安住淳さんが入っていません。岡田さんの盟友で、枝野さんの同郷でお兄さん的存在の簗瀬進さんは落選し、来年夏の参院選で全国比例から国政復帰を目指しています。野田さんと前原さんは永田元衆院議員の重い十字架を背負っています。そういう選ばれなかった人たちの夢の続きを実現する使命を選ばれた人たちは背負っています。

 2012年10月2日(火)副大臣・政務官人事も発表されました。

 参院議員で新党きづなに対する刺客候補として衆院宮城2区に転出する(過去のこの選挙区で当選した経験がある)今野東さんが復興副大臣になりました。財務副大臣には野田首相の信頼が厚い武正公一さん、そして大久保勉さんが就任しました。民主党を代表する金融通の大久保さんですが、意外にも初めての政務三役となります。おそらく以前務めていた証券会社のストックオプションを大量に所有し行使することで多額の所得があったことから、政務三役になりづらかったのでしょうが、おそらくていねいにやって、満を持して財務副大臣になったのでしょう。財務大臣政務官には、2期生の柚木道義さんと1期生の網屋信介さん。このほか2009年初当選政権交代チルドレンの1期生は、総務大臣政務官に「礎会」を組織していた石津政雄さん、国交政務官に元農水省林野庁長官の川村秀三郎さん(追加公認)、経産政務官に民主党税制調査会(党税調)事務局長・衆議院社会保障と税の一体改革委員を務めた岸本周平さん、そして環境政務官に国民新党枠から中島正純さん(民主党で当選し、政治倫理問題で離党)。民主党の4人はともに、50歳以上で年長者と経歴で登用した格好になりました。中島さんは国民新党枠がはじめから決まっていました。政権交代チルドレンの中で、将来的に首相を狙っていると思われるメンバーでは、年齢や党の役職に配慮して岸本さんを登用したことになります。2010年初当選の参院議員からは、民主党では大野元裕さんが防衛政務官に起用されました。2007年初当選では、新生党34人衆の血をうけつぐ羽田グループの金子恵美さんが復興政務官となりました。来夏福島での厳しい改選に党を挙げて取り組み意思が明確になりました。風間直樹さんが外務政務官、梅村聡さんが厚労政務官になりました。ただ参院1回生については、専門的な知見のある議員がそのまま政務三役についていますが、この人事でもまだまだ、政務官が務まりそうな人材はかなりいて、全体的に政務官登用は遅れ、割を食った印象があります。

 2回生以上では、苦労した佐世保から出ている宮島大典(みやじま・だいすけ)さんが一体改革委員を経て、防衛大臣政務官に。危険をいとわず「反小沢」を唱えた村越祐民さんが外務政務官、2期生の糸川正晃さん(1期目は国民新党)が厚労政務官、議事進行係を務めている鷲尾英一郎さんが農水政務官となりました。また6月26日の一体改革法案に造反した3期生の村井宗明さんが文科政務官、2回生の橋本清仁さんが国交政務官となり、党残留をめぐって何らかの「手形」が切られていた可能性があります。

 認証官である副大臣では、参院議員の白真勲さんが内閣府副大臣に、生方幸夫(うぶかた・ゆきお)さんが環境副大臣になり、長年「反小沢」を唱えてきた人がようやく政務三役入りしました。政権交代直後に防衛大臣政務官になったものの、「当選回数からして副大臣ではないか」と指摘があった長島昭久さんが防衛副大臣、連続3回小選挙区で勝ちながら次回は維新の会との闘いを控える長安豊(ながやす・たかし)元・国交政務官が国交副大臣になるなど工夫がみられる人事となりました。

 もう少し、2009年初当選組が入るのかと思っていましたが、意外と少なかったです。ただ、第44期衆議院でも小泉チルドレンで政務三役に登用された人はだれ一人小選挙区で勝ち抜けませんでした。おういったことからも、世代交代はとにかく、第2次野党期になってから、そのためには逆風の守備戦で勝てる足腰をつけるか、連続当選しやすい選挙区に国替えするかしかありません。ですから、やっかみはまったく不要だし、すべては、第46回総選挙という「神の声(かみのこえ)」ならぬ「民の声(たみのこえ)」。ある意味で悩む必要のない楽な仕事です。民の声は絶対です。ただそれは、「第45期衆議院で民主党だったダレダレ」に対する「2013年何月何日」の小選挙区というマッチレースでの判定であり、人間として絶対的に評価されるわけではありません。ただ、少なくとも、「知名度がない」「顔を見たことがない」と言われると、守備戦を支える運動員はどっちらけになります。候補者不在の街宣車の中に乗って街を回れば、4年間何をしていたか、一発で分かります。まさに、泣くのが嫌ならさあ歩けとしかいいようがありません。

 遅すぎましたがようやくスタートラインについた内閣改造なんでしょう。もちろん、菅直人民主党最高顧問はこれからも長く衆議院議員を続けてがんばっていただきたいと考えております。

 ようやく脱小沢が完了しようとしています。一人一人には力があるんですから、それを引き出す体制をつくる。それが政治におけるすべてのスタートラインであり、政権交代のその先にある政治を国民の手に取り戻すことにほかなりません。見て見ぬふりをすること、政治に対して傍観者であることは国家と子どもたちに対する犯罪である、と私は考えています。

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人をつなぐ、心をつなぐ政治へ 田中慶秋法相(拉致相)誕生 野田さんの優しさ感じる第3次改造内閣

2012年10月01日 13時23分29秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散

[写真]田中法相。

 野田佳彦首相は、第180通常国会の閉幕と代表再選をふまえて、内閣改造を断行。2012年(平成24年)10月1日(月)、(第1次)野田第3次改造内閣が発足しました。ひと言で言うと、心をつなぐ、心をくだく民主党が実現したかな。野田さんの優しさを感じる布陣です。政権交代ある政治のために長年苦労した人の労に報いる内閣。これは野田さんはよく分かっているなというメンバーです。

 野田総理は内閣改造の理由を「内閣の機能強化のため」としていますが、野党党首は「年内の(早期の)解散に追い込む」と一致したとの報道があります。野党党首もいい加減分かってほしいところです。

 ところで、2012年10月1日、米軍岩国基地から米海兵隊普天間飛行場に軍用輸送機(戦闘機ではない)「MV-22 オスプレイ」が移動しましたが、これは「ボーイング・ヘリコプター社」の製品で、このことがカギだし、ある意味すべてです。この件は別の機会に。

 それはさておき、民社協会から田中慶秋法相が入閣しました。民社協会会長として長年取り組んできた拉致問題担当相も兼ねます。連続当選7回で牧場主・世襲議員の小平忠正・国家公安委員長、城島光力・財務相が誕生し、古典的5省(法外財内防)のうち、3省(法財内)の大臣が民社協会となりました。「わが党は綱領をつくれ。その節は俺たちにやらせろ」の民社協会が、「2009年マニフェストの約束を守るために離党する」小沢グループとの仕分けられた結果です。頻繁な内閣改造に関しては、国民のみなさんに申し訳ない気がしますが、わが党がこれからも与党であれ、野党であれ政権担当可能な責任政党として日本を担っていくためには必要な改造であると同時に、国民を裏切った政治家を歴史の階段から転げ落とし、決められる政治で、歴史を前に進めるためには必要な改造でした。どうかご理解いただきたい。

 玄葉光一郎外相が続投し、日本からJAPANへと政府のあるべき姿を見せました。内閣官房長官には藤村修さんが続投し、大阪7区に帰って日本維新の会(大阪維新の会)に備えるよりも、野田さんを支えきり心中する道を選択しました。小沢グループとの仕分けで貢献し、政権交代後一貫して衆院常任委員長(文科、外務)を務めた田中眞紀子さんが文科相として民主党員として入閣。衆院財務金融委員が長い中塚一宏(なかつか・いっこう)さんが当選3回47歳で金融相や、内閣府男女共同参画局の担当大臣に抜擢されました。田中秘書軍団の伝統を受け継ぐ新生党秘書会青年部出身者では初めての閣僚になります。羽田グループ政権戦略研究会からは三井辨雄(みつい・わきお)厚労相が就任しました。ただ、三井さんって製薬会社社長だったと思うんですが、その辺はていねいに整理しているのか気になるところです。郵政改革担当大臣には、下地幹郎さんが就きました。内閣府の防災相も兼ねます。悪く言う人もいますが、政局センスにすぐれ、行動力のある素晴らしい方だと私は認識しています。延長国会以降、沖縄県選出でただ一人の与党議員となりました。下地さんは初当選後、2回連続で落選し5年間浪人した経験がありますが、国会議員資産等報告書で「自動販売機貸し出し業」の所得を計上しているおそらく唯一の国会議員で、根っから政治にのめり込める議会の子だと感じます。防災担当も兼ねるようで、下地防災相は頼りがいがあります。

 第46回衆議院議員総選挙の事務を扱う総務相には樽床伸二さん、環境相には日本新党代表室長出身の松下政経塾2期生で岡田克也幹事長の下、民主党財務委員長を担った長浜博行さんが入閣。長浜さんは政権交代後に厚労副大臣として、たばこ税の増税で国民の健康を確保しようとしたところ、税制調査会で「かえって減収になると困る」「地方の減収にある」など各方面からの意見に合い、与党らしくなりました。長浜さんの後任の内閣官房副長官には参院議員、芝博一さんが入り、衆参ねじれの連絡役として苦労することになります。岡田系はヘビーローテーションで人使い荒く使われまくっていますが、官職が高くなるので文句は言えまい。岡田副総理、羽田国交相、郡司農相らは続投します。

 午後5時からの皇居宮殿での天皇陛下の認証式を経て、正式に国務大臣になり、首相官邸に帰って、総理から補職辞令を受けます。 

 田中法相に関しては、きょうだけでもいくつか縁のあるところで動きがありました。故郷、福島県浪江町は、きょう役場を引っ越したそうです。3・11から1年7ヶ月、4度目の場所、二本松市内では2度目の場所になるそうです。浪江町民のみなさんには筆舌に尽くしがたい思いが続くことと拝察します。慶秋さんの入閣が少しでも勇気づけることになればいいな。

 また、これは思い出したくないところですが、リクルートが創業52周年ということで、リクルート・ホールディングスとしてグループ各社を再編したとのことです。年度後半のスタートである10月1日といえばこういった新聞のカラー全面広告で埋まっていた時代がありますが、きょうの新聞ではリクルート1社で、「社内ベンチャー」という斬新で活力ある、「入りたい会社1位」になったこともある同社の一人勝ちを感じました。小糸工業労組支部からゼンキン同盟(現在のJAM)の応援を受けて神奈川県議会議員を務めた慶秋さんは、1983年(昭和58年)の第37回衆院選で初当選。しかし、リクルート事件に巻き込まれました。リクルートの創業社長で「風雲児」江副浩正さんは安定株主対策として、本社がある神奈川で、自由主義野党の民社党の田中慶秋さんにリクルート・コスモスの株を買ってもらいました。これは法律上まったく問題なく、しいていえば、未公開株なので、一般の投資家には扱えないということもありますが、ちゃんとお金を払って手に入れた物です。しかし、自民党の悪狸が次々と無償でもらったり、政治献金を受けていたことを隠して答弁していたことが発覚し、五月雨式に、役職を辞任するという「明日は誰?」の恐怖が自民党を1年間覆い、竹下内閣総辞職の日まで続きました。このとき、舌鋒鋭く追及していた野党でも、民社党委員長(後に自民党入党)に続き、田中・国会対策副委員長も購入していたことを自ら発表し、道義的に謝罪しました。この件では、民社党から起訴者は一人も出ていません。ただ、中選挙区単記制の恐さで、「野党で、リクルートで、田中」にあえて投票する積極的動機は少なくなります。2回連続で落選し、中選挙区時代には国政復帰できませんでした。小選挙区でも郵政解散で落ちていますので、現在6期生です。

 ところが、慶秋さんは選挙区内のとくに、横浜市戸塚区では驚くほど日常活動量が多い人です。中小企業の集積拠点である戸塚では、野党時代から、中小零細企業の社長は田中事務所をとても頼りにしていました。戸塚の社長たちの間では、「田中けいしゅう」は一般名詞化しており、「あと、それから社長さ、田中けいしゅうの忘年会のときに話したあの件だけどさ・・・」という風に日常会話に頻出します。かつては、プロ野球球団を経営していた全国的に有名な大手食品スーパー、これも二代目の元社長がきょうの読売新聞で敗戦の弁を語っていましたが、今はイオングループによって再建・継続しているこのスーパーチェーンに置いてある和菓子はほとんどこの戸塚区にある会社がつくっています。この社長さんは大変すばらしい方。横浜市内の他区で会社を徐々に大きくし、戸塚区の中小企業工業団地に大規模な土地を調達して本社ごと転入し、最新鋭の技術を持った工場をつくりました。日経新聞横浜支局記者だった私は政治部出身でなかなか企業記事が書けなかったのですが、役所から「あの会社すごい」と教えてもらい、取材し、記事を書きました。その後、問い合わせが殺到し、引き合いも増えたそうです。しばらくして、会社を再訪すると、社長は私にこう言いました。「宮崎さんは命の恩人様だ」。いくらなんでも大袈裟です。そして、こう言いました。「宮崎さんのおかげでね、我が社もついに、新卒者を4月1日付で採用するような会社になりましたよ」。大学を3月に卒業した人を4月1日付で採用することが中小零細企業の社長の夢なんです。ステータス(社会的地位のあかし)なんです。社長は生まれてからきょうまでの歩みを私に話してくれました。その後、3人採用した新卒者、そういう人はたいてい社長室の扉を開いてすぐの近くの机に座っていますから、社長は私の手を引いて紹介してくれました。「ほら、宮崎さん見てください、そこで働いている彼女、ドコドコ大学を3月に卒業して、田中けいしゅう事務所の紹介で4月1日付で我が社に入社したダレダレです」。戸塚区では「新卒で」「けいしゅう事務所の紹介で」社員を雇う会社が、信頼できる会社のあかし。

 この会社、今久しぶりにホームページを見ましたが、不況に強い業種ですし、しっかりとした足取りで経営を続けておられるようです。

 このほか、バブル絶頂期に、税金と企業の協賛金をミックスさせた実行委員会で大成功し、全国的に地方博ブームを巻き起こし、大震災・戦災・航空貨物による劣勢から大復活をとげた横浜開港130周年(明治維新121周年)記念の横浜博覧会(YES'89)を担当した公務員は「いやー打ち上げで田中けいしゅう事務所の主催で川下りしたんですよ」と思い出を語り、「横浜八景島シーパラダイス(シーパラ)」では毎年恒例のイベントとして、5000人規模の「けいしゅう祭り」をどーんと開催しています。みなとみらいから八景島までヨコハマを縦横無尽に田中けいしゅう事務所は人と人の心をつないでいます。

 民主党にはみかけない政治家です。当然、悪く言う人もいます。弁が立つ人ではありません。イケメンでもありません。だけど、横浜のテレビに映らない地味な路地に「けいしゅう」が日常会話のまちがあります。

 拉致問題では国の外は明るくなってきましたが、むしろ国内がまとまらなくなりつつあります。そして、法相。いうまでもなく死刑執行という日本の刑法体系を守る上でもっとも重要な任務があります。前任の滝実法相は4ヶ月の間によくその職責を果たし、元内務官僚(自治官僚)、元自民党員らしい責任を果たしました。その大任に、心と心をつなぐ政治家が就きます。しかし、私は自民党政権の後藤田正晴法相が執行するよりも、けいしゅう法相の方が信頼できるように思います。それは心と心をつなぐ政治をしてきた人だと分かっているからです。民社協会というすばらしい仲間がいます。選挙区にも社長さんがいます。社長でなくてもいます。ふるさと浪江町には、今は人はいないけれども、心があります。やがて人も戻るでしょう。一人じゃない。74歳の最年長閣僚だからすべてを達観しているわけでもありません。みんながみんな支え合っているんだ。人と人、心と心の交差点。それがけいしゅうなんだ、政治家なんだ。

 野田第3次内閣は、最後の最後の最後まで見せてほしい。みんなの心を一つにして、第46回衆院選で、倒れるにしても、必ず前に向かって倒れましょう。

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