[写真左は玄素彰人・印南町長、右は逢坂誠二衆院議員(前ニセコ町長)]
全国最年少首長の玄素彰人・和歌山県印南町長(現在35歳=当選時34歳)が、かつての全国最年少首長(35歳で当選)の前北海道ニセコ町長、逢坂誠二衆院議員を訪ねました。
場所は国会議員会館の最上階にある逢坂さんの議員事務所。衆院総務委員会で、地方分権改革を進める逢坂さんは、町長就任前からの玄素さんのあこがれ。夢の対談の実現に、私は「これは改革のバトンタッチだな」と感じました。
逢坂誠二(おおさか・せいじ)
1959年4月24日、北海道ニセコ町生まれ。北大薬学部卒。ニセコ町役場入庁。企画広報係長を経て、中枢ポストの財政係長に。1994年のニセコ町長選挙に出馬、現職の町長を破り当選。当時35歳は現役最年少首長だった。情報公開を一歩進めた情報共有、分かりやすい予算書の全戸配布に加え、2001年には「まちづくり基本条例」の制定に成功。自治体憲法として全国の自治体関係者から注目を浴びる。2005年9月に町長を辞職、第44回総選挙に民主党公認・北海道ブロック比例単独で立候補、初当選。衆院総務委員。次期総選挙は、健康上の理由で引退する金田誠一さんの後継者として北海道第8区(函館市など渡島支庁・檜山支庁管内)に国替えし、出馬する。
玄素彰人(げんそ・あきひと)
1973年4月17日、和歌山県印南町生まれ。明大政経学部卒業後、新進党東京第11総支部職員を経て地元・二階俊博衆院議員の秘書に。2001年、印南町議に当選。2005年町長選に出馬、800票差で次点。商社設立後、2008年2月の町長選(町長の病気辞職により前倒し)に出馬し、前職後継候補との一騎打ちを制し、初当選。全国現役最年少首長(7月現在)となる。党籍は無所属。
【逢坂誠二さんと玄素彰人さんの対談スタートです】
玄素 私が2年半前、最初の町長選挙に出るときに、周りの人から「玄素君、町長選に出るんなら、ニセコの逢坂さんの本を読んでおいた方がいいよ」と言われ、数冊読んで勉強しました。きょう初めてお会いできて光栄です。
逢坂 こちらこそ。まずはご当選おめでとうございます。
玄素 ありがとうございます。逢坂さんが町長選に出たきっかけは?
逢坂 私はニセコ町の職員だったんですが、31歳の時に町長選がありました。役場内で「今の町長はちょっと駄目だ。新人候補を出そう」という話が持ち上がっていたんです。私はそのとき「今の町長の方がましですよ」と意見したんです。そうしたら「お前は何だ。みんなが現職以外を担ごうと一つになっているときにお前はとんでもないやつだ」と言われた。
玄素 そのときの新人は選挙に勝ったんですか?
逢坂 そうそう。現職町長は当時2期目だったんですが、いったん「降りる」って言っちゃって、支持者に説得されて1ヶ月前になってからまた出馬を決めたんで、準備不足だったんだよね。
私はそのとき(31歳)にはもう役所に見切りを付けて、現職町長に「私はおいとましますんで」と辞表を出していたんです。そうしたら現職町長が「俺はどうしてもやりたいことがあるので、もう1期やる。悪いけどもう1期(4年間)だけ俺と付き合ってくれ。4年経っても、お前はまだ35歳だろう。そのときは(町長選に出たり、辞めたり)お前の自由にしていい」と言う。
年長の町長にも逆らえないし、「じゃあおつきあいします」と言ったら、その町長が選挙に負けたんだよ。私は職員だから、選挙運動はしなかったんだけど、私のことを気に入っていた町民がみんな私を嫌いになった。
ところが(新しい町長が就任して)2年、3年と経っていくと「あのとき逢坂が言っていたことが正解だったんじゃないか」と(言われた)。みんなで新人を担いだけど、(町長になってからの仕事ぶりは)「こりゃ、とんでもねえ」と。
新しい町長のメッキがはがれてきた。そうこういているうちに35歳のときに私がやることになったんだけど・・・ まあ選挙はいろいろあるわね(苦笑)。
玄素 本当にそうですね(苦笑)。
[逢坂さんの著作は一部の自治体関係者では“バイブル的存在”]
逢坂 町内にご親戚は多いんですか?
玄素 いやあ親戚は奥さんの方が多いくらいで。家内は隣の市の職員なんですけど、出身は印南町ですから選挙はやりやすかったです。次点と116票差でしたから、家内の親戚票がなければ大変だったなとつくづく思います。
まあ選挙といっても、(公示後ではなく)その間ですよね。僕は一度浪人していますから。32歳で出て駄目で、2年半、自分の会社を立ち上げたり、それなりに準備ができたというのも(勝因として)ありますけども。
その間も家内は市役所の方に勤めていてくれたんで、それで安定的な生活はできたんですけども。
逢坂 私はね、実は地元に親戚が一軒もなくて、両親も全然ニセコと関係ない人なんです。
玄素 そうなんですか!
逢坂 よく「選挙には不利だ」と言われていたけれども、たしかにそういう意味での不利さはあったけど、でも、かえって良かったと今でも思っています。そのことが結果的に当選した後、私を縛るものが何もなかった。
玄素 親戚が多いからと言って、良いとも限らないですね。
逢坂 他人同士は元々仲良くしないのが当たり前。だけど、親戚同士の仲が悪くなると、その溝っていうのは、グランドキャニオンより広い溝になるからね(笑)。
玄素 同感です。
逢坂 どんな選挙したの?
玄素 僕はもう徹底的にどぶ板選挙をしました。町内をずーっと(前哨戦で)3回、4回まわって、まあ、(当時の)町長がすでに入院していたという関係もあって、「早く準備してほしい」という支持者の声もあったんです。
前回(2006年町長選)もその1年前から手を挙げていましたから。町民の顔と住所と家族構成というのはだいたい頭の中のデータベースに入っているんで。町長になってからも、「○○地区の○○さんが来られた」って聞くと、すぐに、「ああ、あそこの家の前の溝(の話)ね」って言えるっていうのは、徹底的などぶ板のおかげだなと思います。
前回町長選は、自分自身ローカル・マニフェストを書いて、「これでもか!」っていうくらい自分自身作り上げたものを「何だこんなもん、できやしないじゃないか」、「絶対無理だよ」って言われながら貫いたんですけど。それで(前回)落ちた経緯があったんで。これ(マニフェスト)だけじゃだめなんだな、と初めて分かりましたんで。
それでハイブリッド(混合)型で、現実を見据えた選挙をやったつもりです。
逢坂 やっぱり選挙は会うのが一番。大きい選挙でも小さい選挙でも会うのが一番だと思うけどね、私はね。
私の選挙で最初に出たときは私を支持してくれた町議っていうのは1人だけで、あとの町議は全員向こう(対抗馬)。私を推薦してくれた団体はゼロで、有権者と会うことすらままならない。
玄素 そうでしょうね。
逢坂 でもあるときから、会ってもらえるようになった。2ヶ月ぐらいの準備期間しかなかったけど、やっぱり「会う」ということだけで(反応が)変わっていきますからね。やはり会うのがイチバン。
――昨年から町長選でもローカル・マニフェストを配れるようになりました。前哨戦で後援会作成のチラシで、ミニ懇談会を町内全地区でやって浸透することができたようです。ただ、マニフェストを説明するのではなく、はじめに質問をしてもらって、それに玄素候補が返答するという「Q&A方式」をとって、それが良かったようです。(宮崎)
逢坂 私の時はマニフェストはなかったけれど、まさに同じような感じですね。会って話が出て質問に答えて、答えたものを政策に入れ込んで、次回会うときに「あなたの意見を入れて、こんな政策に進化しました」みたいなことをやり続けた。
玄素 前職の支持者は、なかなか会ってくれないですから。
逢坂 で、私は「逢坂を『支持する、支持しない』は言わなくて良い」と言ったんです。私の話を10聞いたら、相手(対抗馬)の話を10~20聞いてくれ。同じ視点で聞いてみてくれ。で、どっちが良いかは投票箱の前に立ったときに考えて。やはりどっちを支持するか色を出すのは難しいところがあるんですよ、話を聞きに行っただけで、非難されるようなところもあって。
玄素 田舎というのはどうしてもそういうところがありますね。その後は選挙は?
逢坂 2回目からは無投票でした。
玄素 そうですか![少しうれしそうな表情]
逢坂 一度なってしまえば“現職中心主義”みたいなものがあるからね。
玄素 そうでしょうね。
[夏のニセコ町=株式会社ニセコリゾート観光協会HP]
[冬の印南町=宮崎信行撮影]
逢坂 で、町長になってどうですか?
玄素 就任してから3ヶ月。馴染めないところもありますが、自分で「長」だなと思うのは、私のところのような小さい町でも一つの課題について、「調べてほしい」、「こういう所(目標)まで持って行きたい」と言えば、すぐに情報が上がってくる。160人ぐらいの職員がいます。そこから吸い上げられる役所というシステムは良くできたものだな、と感じることがよくあります。
町議や代議士秘書のときには、そうそうすぐに上がってくるところはありませんでした。
逢坂 自治体というのはどんなに小さくても数十名から百名のスタッフがいるわけですよね。ある意味、国会議員より戦力は多いんですよ。いろいろな(職員の)力の濃淡はあるかもしれないでしょうが。
玄素 町長の決裁が必要な書類も以前は「20万円以上」だったのを「1円以上」にしたもんですから、(両手を広げて)こんなに(書類が)上がってくるようになって、一日出張に出かけただけでも、大変な量になってしまいます(笑)。
◇
この後、「決裁書類を1円以上にした効用」を語る玄素さんに、逢坂さんは「だから政権交代があるのはいいことなんだよね」と応じました。
さて、その意味とは? 夢の対談(後編)へ。
(前編の初投稿日時は7月11日)