【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

おめでとう岡田克也先生 きょう誕生日 あの水谷豊さんより1周り若い

2015年07月14日 05時00分00秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也先生、2015年7月10日(金)、東京・永田町の民主党本部内、筆者・宮崎信行撮影。

 おめでとうございます!


 日本を代表する政治家であり、ことし1月から民主党代表・ネクスト総理を兼ねる、岡田克也先生が、きょう平成27年2015年7月14日(火)、お誕生日を迎えました。

 俳優生活50周年を迎える、水谷豊さん。同じく、きょうがお誕生日です。俳優生活50年。「熱中時代」の頃さながら、今も若々しい水谷豊さん。岡田克也さんはその若々しい水谷豊さんよりも一周り若いことになります。(注・一周りは、地球が太陽を公転する1周のこと)。

 水谷さんの50年と比べて、若い岡田さんの議員生活は25年となりました。しかし、1期生として体を張っているころ、5期生で大臣だった船田元さんは「あの日」1993年6月18日以降、一度も大臣になっていませんが、岡田さんは17年遅れで初入閣し、外務大臣、副総理を歴任しました。たたき上げの岡田さんと、世襲の船田さんは同い年です。

 衆議院民主党随一の経済通である、岡田さんは、4月3日の記者会見で、「日銀が国債を大量に買うことによって金利が人為的に低く抑えられていることは事実で、問題はそれがいつまで可能なのかということだと思います。永遠に続けられるものではもちろんないと。大きなリスクを抱え込んでいる」と語りました。 

 同日の記者会見では「メディアに対するいろいろな攻勢は看過できないところに来ているとは思います。是非メディアの皆さんもそれに対してしっかりと声を上げることをされないと、いつの間にかどんどん縛りがきつくなることになりかねないのではない」とも述べました。

 これだけ聞いていると、「今すぐ岡田さんに総理をやってほしい」という方も多いでしょう。

 しかし、果たしてそうでしょうか。心の奥底から岡田克也先生を尊敬してやまない、私・宮崎信行は、民主党下野時のエントリー記事で、こう予想しました。

 「岡田内閣は99%ありません。あるとすれば、日本が今以上に国難になったときです。だから、岡田内閣なんてない方が良いに決まっています」(2012年12月31日付岡田克也さん、初官邸11ヶ月で去る 「ガラスのコップいまだに分からず」)。

 「第2次羽田内閣の夢」が儚く(はかなく)破れ、「99%ありえない岡田内閣」のために、粉骨砕身している私ですが、岡田さんの「還暦過ぎても親に対して反抗期」は見習いませんが、「極端な楽観主義者」は見習いたい。

 裏切り者が跋扈する永田町。政権交代ある二大政党政治のために、「岡田が決めたらどこまでも。」、少なくとも私だけは、岡田克也先生に、100%、完全なる忠誠を、これからも引き続き、お誓い申し上げてまいります。

 このエントリーは以上です。  



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