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【佐田玄一郎】「経世会2階から竹馬コンビ」は佐田さんが(今回は)脱落、政界引退は否定、30代・経世会初当選

2017年10月09日 23時53分05秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]国政情報センターさんの「国会議員要覧平成2年2月版」から、左は佐田玄一郎さん=64ページ=、右は岡田克也さん=106ページ=、筆者・宮崎信行がキャプチャー。

 「経世会・30歳代で初当選の2人組。

 連続当選9回で、佐田玄一郎さんが脱落しました。

 もちろん、今後の復帰は有りますが、あす公示の第48回衆院選には立候補しないことになりました。

 1990年2月。竹下登さん、金丸信さん、小沢一郎さんが牛耳る自民党最大派閥、泣く子も黙る経世会。バブル期とともに権力の頂点にあった経世会ですが、1990年は、前年参院選の「おたかさんマドンナブーム」に乗る、最大野党日本社会党の土井たかこ党首が強敵となりました。

 そこで、海部俊樹首相・総裁を支える、小沢一郎自民党幹事長は、非世襲の若手をスカウトしました。このため、1990年初当選の自民党議員は、選挙で勝てる、県会議長経験者などが多い傾向があります。そのため平均年齢が高い。

 ところが、この泣く子も黙る経世会で、30歳代、非世襲で初当選した人が2人います。1人は佐田玄一郎さん(1952年12月22日生まれ)、もう1人が岡田克也さん(1953年7月14日生まれ)です。すでに30代後半ですが、当時の衆議院では、岡田さんは12番目に若く、佐田さんは18番目に若かったようです。ともに、県会議長ではないけれども、地元経済界の閨閥ということでスカウトされたと思いますが、さすがに中選挙区の中で一番下の、自民党公認では一番下での初当選でした。

 「経世会・30歳代・非世襲」--これは今の政界ではたとえようがない、「シンジロウ」どころでないスーパースターであり、二階から竹馬に乗って出てきたような議員です。

 それから、27年。両者とも連続当選9回。ずっと自民党にいた佐田さんは、岡田さんより5年早く大臣になり、衆議院議院運営委員長を2回つとめました。一方の岡田さんは、政務次官すら経験しないまま19年が経ちましたが、その後、外務大臣、副総理として、入閣回数も佐田さんを抜きました。

 あす公示される、第48回衆院選に佐田さんが立候補を断念。今回に限っては立候補を見送ることになりました。前々から、清和会所属の参議院議員が佐田おろしをブログでも展開し、清和会閣僚経験者の娘(前職比例議員)が小選挙区から出ることになりました。中曽根派の新人は比例単独となりました。経世会の黄昏。

 もともと、意識していましたが、公示日の直前のニュースとなり、あわてて調べているので、冒頭の岡田さんの写真も少し曲がっていますが、岡田さんはたまには曲がってもらった方が良いとして、こういう時が来ました。

 私は日経新聞政治部で、小渕恵三総理候補番記者というのをやった1週間があり、その時、3期生の佐田先生が、外務省の小渕大臣室に来て、記者の囲み取材に応じ、「この後、村に帰る」と言いました。私は長くやっていますが、派閥または派閥事務所を「ムラ」と呼んだ先生は、この時の佐田先生が唯一で、私は「ムラと呼ぶ議員本当にいるんだな」と感じました。この後の小渕首相が経世会最後の総理となりました。

 これに先立つ、佐田さんは、橋本龍太郎首相・総裁の「総裁担当副幹事長」というのもやっていました。これは、他派閥の先輩と2人組で、総理にも必ず2人組で会い、党本部との連絡をしました。執務室から出てきた佐田さんと先輩議員の2人を取り囲んだところ「この話は、(梶山静六)官房長官のお耳に入れた方がいいんじゃないかな」「アポ取ってないけど、とりあえず行ってみるか」と官房長官室に向かいました。この1人では総理とあわせない、「総裁担当副幹事長」という自民党のシステムのすごさ。それと、総理も官房長官もみんな経世会だった時代です。

 いう間も出なく、岡田さんは2期目の途中からは野党暮らし。ただ、野党・民主党結党にあたっての、懇談会のようなものがあっても、岡田さんの周りには、私よりも先輩の記者がいて、なかなか、そちらの机に移れずに、枝野幸男さんや北橋健治さんとお話しする、というシーンも経験しました。まさに、下野しても岡田さんは二階から竹馬に乗っていたのです。遠い昔の物語。

 21世紀になりました。もはや経世会の栄華はかけらもありません。

 たまたま見た光景は、社会保障と税の一体改革法を、担当大臣兼副総理として衆議院通過を迎えた岡田さんが、議員会館内で、佐田さんと遭遇。がっちり握手して、通り過ぎて行った姿を見ました。その年の暮れから、佐田さんが与党になりましたが、活躍の場はありませんでした。

 佐田さんの9期27年、「ピンクエレファント」とか、国会外での噂もいろいろ出ました。ただ、野党時代に、赤坂で、数少ない経世会(平成研究会)の後輩の元職を、気づかって、食事し、叱咤激励して、赤坂議員宿舎に引き上げる姿を見ました。自民党経世会とともに、黄昏を迎えたというところのようです。

 とにかくあわてて書いていますので、事実関係は違うかもしれませんが、野党・岡田さんは、あす公示の第48回衆院選で、無所属として、二大政党再編にのぞみます。当選すれば、言うまでもなく、10回、二けたになります。

 佐田さんが出馬を模索した衆議院群馬第1区の立候補者について、2017年10月10日から22日までに当ブログをご覧になる方は、群馬県選挙管理委員会のホームページで、立候補者を確認していただければ幸いです。

 このエントリー記事の本文は以上です。



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