【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

1991年夏、小沢一郎さんが狭心症で6週間入院したことについて、政治的意図なしにまとめました

2010年08月20日 23時27分27秒 | 第175臨時国会(2010年7月)ねじれ

 1991年秋の自民党総裁選。泣く子も黙る、超最大派閥、経世会こと竹下派(金丸信会長)。

 この総裁選に、竹下派は消費税法と予算を成立させたうえでリクルート事件の責任をとる格好で、平成元年参院選の直前に総辞職した竹下登元首相の再登板か、それとも平成元年参院選後に発足した海部俊樹内閣で党幹事長を務めた小沢一郎さんの出馬か、で揺れていました。

 しかし、小沢さんは1991年6月、狭心症で6週間(42日間)入院し、その後の静養を含めて8週間政界の表舞台から不在となります。そして、秋の総裁選で、経世会の支援も受けた、宏池会会長で元蔵相の宮澤喜一さんが総理大臣になります。

 ①小沢一郎さんが自民党総裁選に出た経験がない。

 ②小沢さんが経世会支援候補を選ぶ上で、年長の宮澤喜一、渡辺美智雄、三塚博氏の3候補の事務所に出向かずに、逆に経世会事務所に来てもらい、“面接”したことで、傲慢のイメージがついた。

 この2つはすべて、1991年夏の入院が最大の要因です。

 小沢さんが心臓を患ったことは、まさに全国民が知るところなのに、その経緯を知らない人が多いことに、私は国政の枢機に関する判断がゆがむのではないかと、かねがね危惧していました。

 ここまで書いたことに初めて知る(ないしは忘れていた)事実が含まれていた、と感じた方は、これは小沢一郎さんの熱烈な支持者(いわゆる小沢信者)の方も含めて、このエントリーはニュートラル(中立)な立場で読んでいただきたいと思います。別段、何らかの政治的な意図でこのエントリーを書くわけではありません。


 まず、1991年6月30日朝刊で、小沢さんが前日(1991年6月29日)に東京・千駄木の日本医科大学付属病院(日医)に入院したことを1面で報じています。


(毎日新聞より全文引用はじめ)


小沢一郎氏が入院、軽い狭心症
1991.06.30 大阪朝刊 1頁 1面 写図有 (全235字)  


 二十九日午前九時五十分ごろ、東京都世田谷区深沢六の自民党前幹事長、小沢一郎氏(49)宅から、小沢氏が胸の痛みを訴えていると一一九番通報があった。


 駆けつけた東京消防庁救急隊が東京都文京区の日本医大付属病院に運び、そのまま入院した。


 小沢一郎事務所は二十九日夕、「今朝、急に胸が苦しくなり、救急車で都内の病院に入院しました。診断によると、軽い狭心症で、大事をとって二週間程度静養することになりました」と公表した。このため三十日、新潟県長岡市で予定されていた講演は中止となった。


(毎日新聞から全文引用おわり)


 政治家の入院は情報を隠蔽することが多いのですが、かなり詳しく載っています。小沢事務所が「軽い狭心症で大事をとった」「2週間程度静養することになった」と公表したのは、結果として6週間(42日間)の入院になったとはいえ、良心的な情報開示だったと、私は評価したいです。


 そして、同じ新聞の社会面では、より詳しく載っており、当時、自民党経世会に所属しており、入院先が当時の選挙区内だった鳩山邦夫議員のコメントも載っているのが次の記事です。


(毎日新聞より全文引用はじめ)


小沢一郎自民党前幹事長、軽い狭心症で緊急入院 面会は家族だけ
1991.06.30 東京朝刊 31頁 社会 写図有 (全982字)   


 「剛腕」でならした自民党前幹事長、小沢一郎氏(49)が二十九日、緊急入院した。「軽い狭心症で、入院は二週間程度の見込み」と、病状の軽さを強調する小沢氏周辺や病院関係者。だが、「将来の宰相有力候補」と言われる若き実力者の入院に、永田町にさざ波が立った。


 小沢氏が入院した東京都文京区千駄木の日本医科大付属病院には同日夕から親しい国会議員らが次々と見舞いに訪れた。しかし、病院側は家族以外の面会を断ったため、議員らは病棟の廊下で家族から説明を聞き、ヒソヒソ話。周囲に緊張した雰囲気が漂った。


 病院を出た鳩山邦夫議員は「何も心配いらないよ。(本人は)お酒を飲みたいと言っていたそうだ」。しかし「直接会えたのか」と聞かれると「いや」と言葉を濁し、足早に車に乗り込んだ。


 病院内で会見した主治医の平川恒久・第三内科助教授によると、午前九時ごろ小沢氏から「胸が痛い」と電話があった。救急車で来てもらい、心電図をとったところ狭心症とわかった。症状が強いため、ICU(集中治療室)でニトログリセリンをなめさせ、点滴などを行ったところ、まもなく回復、心電図も安定したという。また、「コレステロールがややたまったり、一九八〇年ごろからストレスがたまった際などに食道炎などがあったものの心臓の病気は初めて」という。


 家族以外を面会謝絶にしたことについては「ストレスがたまると、症状の出る病気なので、議員さんが大勢来るのを断った。容体が悪いからというわけではない」と説明した。


 自民党竹下派の関係者によると、小沢氏は、四、五日前から頭痛を訴え、「腕や肩がだるい」「握力が落ちた」と漏らしていた。二十九日朝も本人が「体調が悪い」と言い出し、救急車を呼んだ、という。


 小沢氏が入院した二十九日午後、東京・永田町の自民党本部では、政治改革法案を審議する総務会が開かれていた。衆院への小選挙区比例代表並立制導入をめぐるギリギリの党内協議。出席したある中堅議員は「幹事長時代の小沢さんは、口をすっぱくして政治改革の必要性を訴えてきた。関連法案を総務会で党議決定したこの日に入院したことは、何か因縁めいたものを感じる」と話した。


 側近の一人は「海部さんに代わって国会運営を引き受け、身をすり減らしていた幹事長時代に比べ、最近は心身ともにリラックスしていた。入院した、と言われ驚いている」と動揺を隠せない様子だった。


(全文引用おわり)


 記事を読むと、19年前の新聞は小沢さ



最新の画像もっと見る

コメントを投稿