【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田卓也さん「だいたい負けるんとちゃいますか」としながら息子に期待

2009年05月16日 08時42分19秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]朝日新聞三重県版

 イオン環境財団理事長として、植林活動の一環として北京を訪れているイオン(旧ジャスコ)創業者で名誉会長の岡田卓也さんが次男・克也さんの民主党代表選について、「だいたい負けるんとちゃうんですか。そういうふうに仕組まれているのでは」としながらも、「政権交代したらどうか、という機運が出てきた時だ」として息子への期待を示しました。

 北京支局の特派員が、日本国内で民主党代表選が盛り上がっていることから、北京市政府が「名誉市民」を授与するタイミングで取材できたようです。

 岡田克也さんのお父さんがイオン創業者・名誉会長の岡田卓也さんであることはあまりにも有名ですが、あまりその関係が報じられることはありません。

 克也さんが昨年6月に出版した『政権交代 この国を変える』では、イオン創業に明け暮れ、夕食もあまり共にしたことがない父親に複雑な感情を持っていることを吐露しました。

 三重県四日市市立中部西小学校、中部中学校卒業後、大阪に出て、当時2つのスーパーを買収してジャスコの基盤を作り始めた単身赴任中の父と2人ぐらし。大阪教育大学附属池田高校入学と直後に校舎がバリケード封鎖され、数ヶ月間授業に参加できず。自主的な生徒集会で数回「授業再開」を発言しながらも「封鎖継続派」の演説にも興味を示した16歳の克也少年。機動隊の突入でバリケードが破られ授業が再開する様を眼のあたりにするという16歳には強烈すぎる体験のなかで、「将来は何か社会のために役に立つ仕事をしたい」と漠然と思い始めました。

 大学進学にあたっては、克也さんのおじいさん、お父さん(卓也さん)、お兄さん(元也さん)がみんな早稲田大学(旧東京専門学校含む)を卒業しており、「父は、自身の母校である早稲田大学の商学部を勧めた」「父には早稲田でなければ大学でないとの思いがあったのかもしれない」という干渉に反し、「公の仕事」につくために東京大学法学部に進み、自分の道を歩き始めました。

 
[写真]国内で植樹する岡田卓也さん=日経ネット

 母校を愛する卓也さんは早稲田大学の「評議員会議長」といって、学校法人の理事長と同窓会長を兼ねたような役職に就きました。2007年の「創立125周年記念事業」の前には、毎月、「総長・白井克彦教授」と「岡田卓也・評議員会議長」の2人が並んだ「寄付のお願い」のパンフレットが送られてきて、私としては卓也さんの顔を見ると、「また寄付か!」と思ってしまいます(^^;)。

 ひとつ、気付きました。「生まれた時から現在まで父親が商業の会社経営者である次男坊」という共通点が克也さんと私にはあります。初めて気付きました。だから、岡田さんへの共感が私の中に強かった側面はあると思います。でもそれを修正しても、岡田克也が日本丸1億人全員の船長にふさわしい人間であるとの信念にいささかの揺るぎもありません。

時事ドットコム:「息子は負けるんとちゃう」と父・岡田卓也氏=民主党代表選

【北京15日時事】「負けるんとちゃう。そういうふうに仕組まれているのでは」-。訪中した岡田卓也イオン名誉会長相談役は15日、北京市内で記者団と懇談、16日の民主党代表選に立候補する息子・岡田克也副代表について、「勝ってほしいか」との問いにこう答え、笑いを取った。
 「日本にいるとマスコミがうるさいから中国に逃げてきた」と卓也氏。代表選に関し、「(援護射撃は)一切していないし、(克也氏も)何も言ってこない」としつつ、「『政権交代したらどうか』という機運が出てきた時だ」と語り、政権交代に意欲を燃やす克也氏に期待感も示した。 (2009/05/15-21:15)

「「政権交代の機運出てきた」 岡田氏父のイオン名誉会長」:イザ!

 イオンの岡田卓也名誉会長相談役は15日、北京で記者団に対し、息子の岡田克也民主党副代表が同党代表選に出馬したことに関し「小沢一郎さんと一緒に自民党を出て苦節十数年。やっと政権交代の機運が出てきた時だ」と語った。克也氏の勝機については「だいたい負けるのと違うんですか」と冗談めかした。

 岡田名誉会長は、北京近郊の万里の長城周辺での植樹活動などに参加するため訪中した。(共同)



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