【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「実子だと認知して養育費を払ってほしい」木原誠二副長官に2年越しの逆襲、七五三詣の「元銀座クラブホステスの娘」は木原氏の実子と主張、ずっと虚偽説明か

2023年06月28日 23時02分58秒 | 自民党
[写真]木原誠二官房副長官、おととし2021年9月、宮崎信行撮影。

 おととしの政権発足以来、報道されている、木原誠二官房副長官の正妻である元銀座クラブホステスとは、別の元銀座クラブホステスとその娘と七五三詣をしてホテルに宿泊したとの一連の報道で、女性が2年越しで「娘は誠二さんのこどもだから、認知して、養育費を払ってほしい」との趣旨の主張を週刊文春電子版で語りました。

[画像]週刊文春電子版にエンベッドされた動画からスクショ。

 木原さんはおととしから、病気の友人を仲間で金銭支援しており、娘の父親代わりや、官邸へのクルマの送迎を手伝ってもらっているとの説明をしていました。

 女性は、おととしの報道の直後から、木原さんの実子だから、認知をして、養育費を払ってほしいなどと交渉。木原さんは私立学校の年310万円の学費を肩代わりしているとも報じられていますが、毎月定額の養育費は、認知していないのですから、支払っていないと考えられます。

 女性は、娘の出産の際に入院する保証人として木原さんがサインしているのが、木原さんのこどもである証拠的な文書となるとの趣旨の説明を文春にしています。

 9月にも召集されるとみられる、第212回臨時国会では、この2年間のつじつま合わせも含めた木原さんの答弁が注目されます。

 木原副長官の地元、東京では、アベノミクスによる貧富の格差の増大で、こどもの居場所が深刻となっており、午後9時過ぎに、明らかな未成年女性が「客引き」をしています=今月某日午後9時過ぎ、宮崎信行撮影=。ここは、「豊島区巣鴨2丁目」で、東京都客引き禁止条例の規制地域。風俗営業規制・適正化法にもとづく「キャバクラ」ではなく、横座り接待がないカウンターバーの「ガールズバー」または対面座りの「コンセプトカフェ」の客引きだとして、未成年が客引きをしていると思われます。

 いわゆるキャバクラは軒先営業のみで、従業員の客引きも、成功報酬歩合制のフリーランスの客引きとも禁止されており、「紹介所所長」も逮捕されるといった規制強化がされていますが、「ガールズバー」「コンセプトカフェ」は風営法・児童福祉法・労働基準法が全くの「特区」として準・合法化された店が大多数だとの世論が出ており、自民党(岸田文雄総裁)東京都連(萩生田光一会長)と警視庁生活安全部の関係をいぶかしむ声も出始めています。

 以上です。

[霞が関人事]岡田克也副総理の秘書官だった江島一彦さんが財務省関税局長に 2023年夏

2023年06月28日 20時30分14秒 | 岡田克也、旅の途中
[写真]岡田克也副総理(右、当時)の鞄を持つ江島一彦事務秘書官(当時)、今から11年前の2012年、東京・霞が関の「合同庁舎4号館」で、宮崎信行撮影。

 政府は、2023年夏の各省幹部人事を閣議決定し、2012年に岡田克也副総理の事務秘書官をつとめた江島一彦さん(平成2年大蔵省入省)を財務省関税局長に充てる人事を決めました。令和5年2023年7月4日付。同期入省の奥達雄さんは理財局長。

 岡田さんは、副総理として首相官邸に執務室を持っていたほか、内閣府4号館に行政改革・マイナンバー・社会保障と税の一体改革・共生社会などの担当大臣としての執務室を構えていました。

 秘書官は、岡田事務所で試験採用組の政策担当秘書をつとめた本庄知史さん(現・衆議院議員)が外務大臣時代に続き、政務担当秘書官に就任。財務省は「消費税10%」を見据えたのか、別の財務大臣の秘書官経験をもつ江島さんを、内閣官房・内閣府に送り込み、岡田国務大臣秘書官事務取扱となりました。経産省など他省庁からも事務秘書官が派遣されましたが、岡田さんはある時から、大臣の鞄は江島秘書官に持たせていました。

 民主党政権から自民党政権に交代してからの江島さんは主税局・主計局が中心で、大臣官房文書課長を経て、官房審議官。きょねんの国会では政府参考人も務めました。

 秘書官時代には、本庄政務秘書官が、現地で様子を見るため記者会見に出席した際、建制順が上の本庄政務から、秘書官席を一つずれるよう求められる人間らしさを見せたこともありました。

[写真]財務省、きのう、宮崎信行撮影。



[画像]衆議院財務金融委員会で政府参考人として答弁する江島一彦・財務大臣官房審議官(当時)、きょねん2022年、衆議院インターネット審議中継からスクリーンショット。


[写真]岡田克也副総理(右、当時)の鞄を持つ江島一彦事務秘書官(当時)、今から11年前の2012年、東京・霞が関の「合同庁舎4号館」で
、宮崎信行撮影。

 以上です。