華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪10年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

悲しみは続く

2018年07月13日 23時34分40秒 | Weblog
今日も午後シフト。午前中は先のブログにも書いたように、散歩で海へ。あとは掃除などをして過ごした。

お昼から仕事へ。
どよーんとした気持ちは拭えぬまま、作業を開始。
今日はフロアに出るはずが、インチャージの予定だった看護師が病欠していたため、私にお鉢が回ってきた。
スタッフ数も不足しており、私も患者さんを担当しないといけない状態だったけど、フロアスタッフが「新規入院もあってインチャージの作業が忙しそうやから、なんとか2人でやってみる」と言ってくれた。助かった。

昨日とおとといで書き留めた患者さんの情報は、今日インチャージになるとは思わなかったので処分していた。あらかた頭に入っているとは言え、あんちょこがあるのとないとでは作業をする上でだいぶ違う。今日も含め、ここ数日で新規入院が10名ほど来ており、顔と名前と病名、病歴が一致しきってないこともあって、なんだかんだで看護記録の読み直し。ほかにも細かいことがたくさんあって、やっぱり今日もとっても忙しかった。

そうそう。
そういえば夕方に、各病棟のインチャージが持つポケベルがなった。これはいずれかの病棟で緊急事態が起きた時に鳴らすもの。ちょうど某ドクターと患者さんのことで話をしているときに、胸元でビービー。これが鳴ったら何が起こったのかを把握しなくてはならない。ドクターとの電話を切り上げたら、隣の病棟から連絡が入った。そしてそこの師長が言う。

「病院前の駐車場でShootingが起きてるって!」。

え? Shootingってシューティング?? 誰かが銃を持ってるってこと!?

インチャージとして現場に駆け付けなくてはならない。「ちょっと行ってくる!」とフロアスタッフに言い残して、現場へと走っていった。そしたらもう落ち着いていた。「え、銃じゃないの?」と不思議に思っていたら、「Shooting up」だと言う。
Shooting upというのは違法ドラッグを打つという俗語なんだそうな。私はそのフレーズを聞いたことがなかったので、てっきり銃が絡んだ事件だと思って、ひとりテンパりまくっていた。
実際は何が起こっていたかというと、病院内の駐車場で、違法ドラッグを使用している人がおり、それを見た受付スタッフが緊急事態としてベルを鳴らした、ということだった。あぁ、よかった。

薬中毒の人が病院の敷地内にいたのには、考えられる理由があるのだけど、それは省くとして、この件で怖いのは薬を打った後の暴力。オーストラリアでは現在、覚せい剤の使用がまん延しており、これが原因で病院に運ばれてきた人が薬の副作用で医師や看護師に暴力を働く、という事件が絶えない。昨年から病院スタッフは簡単な護身術のコースの参加が義務付けられたほど。
今回のことは最終的に病院代表が解決してくれ、大事に至らなかった。よかったことやけど、怖い話には間違いない。

こういうこともありつつ、今日も忙しく働いた。疲れた。さすがに4日目。毎日忙しいとなると疲れてきたよ。

帰宅。
私の顔を見て、Dは寝室へと消えて行った。

朝から続う沈んだ気分は今も続いている。今日、もう少し情報が入ってきた。亡くなった知人の伴侶には何の病歴もなく、また予兆もなかったらしい。知人が故人とともに緊急外来に到着し、車を降りた後すぐに倒れ、病院で蘇生を試みたものの、そのまま帰らぬ人となったとのこと。もう本当にやりきれない。
今夜も変わらず、Dとワンコが私の帰宅を待っていてくれたことに感謝。
コメント

独り言

2018年07月13日 11時40分34秒 | Weblog
独り言。でも吐き出したいので書く。

先日、知り合いの伴侶が突然死した。年のころは同じ。亡くなられた方のことは知らないけど、故人が知人に「病院に行く」と連絡を入れてきたときにそばにいたので、この予想もしなかった結果に少なからず動揺している。詳しいことはまだ聞いてないけど、知人のことを思うととてもつらい。

詳しいことをまだ知らないのは、今朝になってSNSでの投稿を見たから。共通の知人たちがメッセージを送っていたけど、詳細を知らない私はまだ何も言えずにいる。

なんだかやりきれなくて、散歩を兼ねて海へ行ってきた。ひとりでぼんやりしたかった。自然の不変性を感じたかった、というか。
多かれ少なかれ、毎日何かの変化の中で生きている。それはいいことも悪いこともある。そしてそこには必ずストレスとプレッシャーがある。そんな感情をうまくコントロールできる場合はいいけど、そうではない場合、海や山といった“変わらずそこにあるもの”に癒されるような気がする。
だから海を見ながらぼんやりしてきた。憂う気持ちは晴れないけれど、家で悶々考えるよりはよかった。知人にできるだけのことをしてあげたいと思う。

ここでも何度か書いたことがあるけど、若いころにうちの兄が言った言葉。
「健康で、仕事があって、借金がなければ幸せ」。
定期的に思い出してはその意味をかみしめている(同時に、こんな言葉を20代半ばで言った兄に、一体何があったんだ!?とも思う)。
なくしたもの、得られなかったものにとらわれるのではなく、今、自分の周りにいる人、あるものに感謝をして、これからも生きて行こうと思う。
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