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日本の安全保障に関する情報戦(プロパガンダ)(第三回) -日本政府の隠蔽、虚言-

2023-02-06 | 小日向白朗学会 情報

はじめに
一、      NATOとは何か
1.    NATOの沿革
2.    東西ドイツ統一と核問題
3.    NATOの核とウクライナ
4.    核共有というNATOの核管理方式
二、       国防費増大はトランプの提言
1.    トランプ大統領とNATO
2.    張り子のトラNATOの装備
3.    恐慌をきたしたNATO
4.    自民党崩壊の危機
5.    ストルテンベルグNATO事務総長来日の意味
三、       五年以内という期限を限定した意味
1.              核共有を日本に導入する
2.              日本国内の政治動向
まとめ

はじめに 
 今回は、昨年末(2022年12月)から突然浮上してきた防衛費急増の理由と周辺有事の関係について明らかにしてみる。まずは、政府はどのように説明しているから確認してみる。
すると2022/11/29、毎日新聞「防衛費「2%」発端はクリミア併合 積算分野巡り意見割れる」という現代日本で問題となっていることがらを羅列したような記事がある。
『……
 岸田文雄首相が28日、関係閣僚に指示した「防衛関連予算の国内総生産(GDP)比2%」は元々、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国が2014年に設定した「目標」だ。
①NATO諸国はロシアによるウクライナ南部クリミア半島の「併合」宣言を受け、各国の経済力に応じて国防費を積み増すことで合意していた。日本はNATO加盟国ではないものの、②17年に就任したトランプ米大統領(当時)が「同盟国は防衛力強化に取り組むべきだ」と要求したことに応えるため、NATO加盟国と同じ「2%」達成を自国の防衛費増額の目安として意識するようになった経緯がある。
 こうした考えは、ロシアのウクライナ侵攻や中国の台湾に対する軍事的圧力の高まりを受けて政府・自民党内に浸透していった。自民党は4月にとりまとめた提言で、防衛費を巡り「③2%以上も念頭に、5年以内に防衛力を抜本的に強化するために必要な予算水準の達成を目指す」と明記した。首相も5月の日米首脳会談で「防衛費の相当な増額を確保する」とバイデン大統領に約束し、防衛費の積み増しに向けた検討を本格化させていた。
……』

 一、NATOとは何か
  1、NATOの沿革
 上述の記事の中に幾度も登場するNATOについて正確な情報を集めてみる。最初は外務省の説明から始める。すると外務省は北大西洋条約機構(NATO:North Atlantic Treaty Organization)について、同機構は「「集団防衛」、「危機管理」及び「協調的安全保障」の三つを中核的任務としており、加盟国の領土及び国民を防衛することが最大の責務です。」としているが、これだけではNATOの本質は見えてこない。
その歴史は、これまた第二次世界終了まで遡ることになる。NATOの始まりは1946年3月5日、イギリスの前首相チャーチルがアメリカ合衆国ミズーリ州フルトンで「バルト海のシュテッティンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが降ろされた」という演説から始まったとされている。
 その後、1947年3月4日、フランスとイギリスは、ダンケルク(フランス)で「第二次世界大戦後のドイツの攻撃に対して同盟して相互支援する」というダンケルク条約を締結した。ダンケルクという場所は、第二次世界大戦初頭、イギリス、フランス軍はドイツ軍によるフランス侵攻で追い詰められたものの、ドイツ軍の攻勢を防ぎながら輸送船だけではなく小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員して、40万人の将兵をイギリス本国に脱出させたことがあるという苦い経験のある地である。つまり第二次世界大戦初頭にイギリス、フランス軍はヨーロッパから追い落とされたのである。
そのような因縁の地で、イギリス、フランスの占領しているドイツが新たな脅威となる可能性があって、その際は相互に援助すると約束したのである。両国はドイツを占領しているのであるから占領政策を変更して危険を除去すればすむ話である。それにも関わらず、わざわざ条約まで締結したのは、イギリス、フランスが占領している地区はドイツの西部であって、東側はソビエト連邦が占領していたからであった。要するにイギリスとフランスは東側を占領するソ連が危険な存在であるいうことを内外に表明したということに他ならない。第二次世界大戦終了からわずか2年しか経過していないにもかかわらず、かつての連合国同士が対立する関係になっていたのだ。
 このドイツを占領する国同士が対立する原因を戦後賠償から見てみると面白い側面が見えてくる。ソ連は第二次世界大戦で軍人だけでも13,850,000人の犠牲者を出したにもかかわらず戦後賠償交渉も進まないなかで、その代わりとして戦後満州で見られたような代物弁済と、これもまた日本の事例であるあるが日露戦争終盤に樺太に上陸しことにみられるように占領地の拡張を狙ったことが、第二次世界大戦直後のソ連を理解するうえで参考になると考えている。つまり戦後の冷戦は、イデオロギーの対立から始まったものではなく、賠償金、すなわち「お金の問題」から始まった。イギリスの賠償金の取り方は、インドのように植民地として長期(100年単位)に渡りインドを生かさず殺さずイギリスに奉仕させる方法であるが、対するソ連は、経済も疲弊していたことから、普仏戦争でフランスがドイツに賠償金を直接受け取る方法をとった、この違いではないのか。この視点は、現在問題となっているウクライナとロシアとの戦後処理についいて考えるうえで重要な視点となるはずである。
 話を戻すことにする。1948年3月、このダンケルク同盟にベネルクス諸国が加入してブリュッセル条約(ウェスタン ユニオン、Western Union alliance)となった。そして1949年10月にドイツのソ連占領地域に、ドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik :DDR、通称東ドイツ)が建国している。それに先立ち、1949年4月4日、アメリカのワシントンでアメリカ、イギリス,フランス,カナダ,イタリア,オランダ,ベルギー,ルクセンブルク,デンマーク,アイスランド,ノルウェー,ポルトガルなどが参加して北大西洋条約(North Atlantic Treaty)を締結した。この条約によって準備することになった軍事同盟が北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization 、略称NATO)なのだ。
 しかし、条約は締結されたものの、朝鮮戦争によって本格的に活動を開始してNATOを設立するまで、ほとんど休止状態だった。1951(昭和26)年に連合国最高司令部(Supreme Headquarters Allied Powers Europe、略称SHAPE)を設立して、装備の標準化に関する協定やヨーロッパ諸国への外国軍の駐留に関する協定など、ウェスタンユニオンの意向に沿って組織の整備を開始している。そして、1952年3月24日、第二次世界大戦でチャーチル・イギリス首相の首席軍事顧問を務めたイスメイ(Hastings Lionel "Pug" Ismay)はNATO初代事務総長に就任した。イスメイによれば、NATOの目的は「ソ連を締め出し、米国を引き込み、ドイツを抑え込むことだ」と言ったとされている。また、NATO拡張の支持者でもあって、NATOは「自由世界全体が1つの傘の下に収まるまで成長しなければならない」と「自由世界」という表現で利害関係をイデオロギー問題にすり替え、「成長」という言葉を口にしていることから、やはり賠償金の回収方法はインドと同様の方法であることは明らかである。しかし、イスメイはワルシャワ条約機構が発効する前の1954年にソ連がNATOへ加盟を申し込んだ際は反対している。つまりNATOの仮想敵国は、1945年まで連合国の一員として共に戦ったソ連であったことは単なる方便で、本来の敵、ロシアとの戦いになったのだ。金の切れ目が、縁の切れ目であったようだ。

 この節の終わりに、NATOの特徴について述べておく。NATOとは、加盟国が第三者による攻撃を受けた場合に、集団的自衛権を行使して反撃する組織である。その集団的自衛権行使の中心にあるのは、核兵器の使用も容認していることだ。つまりNATOの本質は「核同盟」なのだ。この点に付いては外務省も認めていることである[i]。これだけでも十分に論議されるべき問題だとおもうが、さらに問題なのがNATO の詳細を公表したのが「令和4(2022)年7月」なのだ。そして、令和4年09月30日、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」を開催して、内閣官房国家安全保障局が提出した「安全保障環境の変化と防衛力強化の必要性」とする国防戦略を決定する重要文書には「NATO」の羅列が続くことになる。つまり外務省主導で開催した有識者会議の結論は、NATOの戦略を無条件に採用したものなのだ。まとめたのはNATOとRUSI(イギリス王立防衛安全保障研究所)が密接に連携して作成して、そのポイントだけを日本政府に下付してきたものであろう。そのため、国防方針を決定する重要文書であるのも関わらず、用語の定義もない直訳文章で、さらには体言止という、新興企業が多用するプレゼンテーション(presentation)形式となっていて、何ら国民の心を打つ文章とはなっていない。
さらに問題なのは、このようにいい加減な国防戦略により、何兆円という莫大な金額を永遠に支出することを国民に求める日本政府は、とても正気の沙汰とは考えられない話なのだ。

  2、東西ドイツ統一と核問題
 NATOの本質が核同盟ならば、NATOが関係した国際問題は、すべて核を中心に検討しなければ、本来の意味が分からないはずである。ならばソ連の崩壊と東西ドイツ再統一を、NATOが核同盟であることを念頭に考えてみる。

 1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊する。これに続いて、1989年12月1日、東ドイツ憲法第1条からドイツ社会主義統一党(SED)による国家の指導を定めた条項が削除され、SEDの一党独裁制が終焉した。
早速、東ドイツ崩壊後の体制をどのようにするのかにつてアメリカとソ連の協議が始まった。1990年2月9日、アメリカのベーカー国務長官とソ連のゴルバチョフ書記長はモスクワで会談をおこない「われわれは、ドイツの中立を望んではいない。何故ならば、中立ドイツは自らの核兵器潜在能力を持つ決定をするかもしれないからだ。米軍がNATOの枠内でドイツ駐在を維持することができるのならば、現在のNATO軍事管轄範囲から1インチといえども東方方向へ拡大することはない」と述べたとされている[ii]。また、ベーカーは「東西ドイツと米英仏露の『2+4』の6カ国協議機関を設置し、統一ドイツがNATOを東方へと拡大しないように保証する」とも述べた。つまりドイツがNATOの中核として東方に拡大しないことを約束するという巧妙な話術で説き伏せているのだ。ゴルバチョフは、ドイツがNATOの仮面を被ってソ連に再び拡大してくることを心配していたようであるが、ドイツはそのままで、ドイツを抑えるために必要なNATOが東方に拡大してゆくことは考えていなかったと思われる。かくしてベーカー長官は、東西ドイツの統合とアメリカ軍によるドイツ軍管理をゴルバチョフ大統領に認めさせた。当時のアメリカおよびNATOは、ドイツ統一問題の行方により大きな関心と利害を持ち、ドイツを含むNATO領域の東方拡大については、できるだけソ連側の要求を認める、という立場だったと思われる。しかしながら口頭の合意だけで、合意文書を作られることはなかった。
1990年8月31日、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)とは、ドイツ民主共和国を消滅させた上でドイツ連邦共和国に編入させることでドイツを再統一するというドイツ再統一条約(Einigungsvertrag)に締結した。
 1990年9月12日、ドイツに関する最終規定条約が調印され、4か国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連)は、ベルリンを含めドイツにおいて保持してきた全ての権利を放棄することに合意している。
1990年10月3日、西ドイツは、基本法第23条にある新たな州の「加盟」を認めるという定めを利用して、東ドイツにある5つの州、および東ベルリンが、西ドイツ(「連邦」共和国)に新たに「加盟」するという形式で国家再統一を成し遂げた。そのため、ドイツの法律解釈では、ドイツは「再統一」したのではなく、ドイツ民主共和国の領域を構成していた全ての州がドイツ連邦共和国に「加盟」したという形式となっている。つまりドイツ再統一の問題は、西側が主権を持つ統一ならばアメリカの核の傘の下となり、東側が主権を握るならばソ連の核のもとに置かれるかが問題だったのだ。この点に付いて東西ドイツは対立を避けるため、東側が西側に加わることで統一することになった。したがって1955年に既にNATOに加盟していた西ドイツは、統一ドイツとなったのちにも北大西洋条約機構(NATO)に加盟することとなった。
ドイツ再統一問題の本質は、東西どちらの核の傘に入るかの問題であって、NATOが加盟国を東方に拡大することはロシアの安全保障上の危険が増大し、NATO加盟国が減るということはイギリス、フランスの安全保障上の危険が増大するということになる。
 この点を考える上に格好の例題がある。2022年9月26日、海底パイプライン「ノルド・ストリーム」(Nord Stream)爆発事件があった。この事件を初代NATO事務総長イスメイの言葉を借りて説明するならば、ドイツ経済はロシアから海底パイプラインを通して送られてくる天然資源に依存することによりNATOの経済圏は、その仮想敵国ロシアに侵食され縮小することになる。これは、あの悪名高い奴隷を交易品とした三角貿易からはじまる海上貿易と決済(SWIFT)を経済の中心に据えて成長を求めてきたNATO及びイギリスにとって「成長」とは裏腹な「衰退」となる。NATOの目的は、加盟国がNATOの提供する核の下で経済成長を図ることをことであるから、ドイツがNATOの経済圏を次第に離れることは衰退なのだ。幸か不幸か、その衰退を食い止めたのが、2022年9月26日に発生した海底パイプライン「ノルド・ストリーム」の爆破事件であったと考えることもできるはずである。NATOの衰退に歯止めがかかったものの、ドイツ経済を含め加盟国はエネルギーの高騰という大変な激痛を伴うことになっているのは周知の事実である。

 実はNATOが存続の危機に瀕していたとする証拠がある。次回以降に詳しく説明する。
(つづく)(近藤雄三)
 

[i] 「北大西洋条約機構 (NATO)について 令和4年7月」

北大西洋条約機構(NATO)|外務省 (mofa.go.jp) (2023.02.02閲覧)。

[ii] エコノミスト「“最大の失敗”は米国と口約束だけの「NATO東方拡大阻止」(2022年9月2日)。

https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20220902/se1/00m/020/005000d (2023.02.05閲覧)。

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