小日向白朗学会 HP準備室BLOG

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日蓮宗という名の共同幻想

2022-10-12 | 小日向白朗学会 情報
 
仏教、なかんずく日蓮宗は私には幼いころからの親しみがある。戦後、大陸満州から身一つで親子4人で引き揚げてきた私の家族。満州のころはゆとりのある暮らしであったらしいけれど、父の田舎に帰ってみれば財産は散り散りに散逸し、ほとんどゼロからの生活再建、少しずつ土地も買い戻して兼業農家として頑張ってきたらしい。引き上げてきて2~3年したころかな、私は生まれた。父も母も必死であったと思う。私を含めて小さな子供が3人だ。そんな家族はどこにでもいたのだと思うが、人はただでは頑張れない。心の隙間を埋めてくれる拠り所が大切なのだ。そうした隙間を埋めるように雨後の筍のごとく蠢き活動しだしたのが新興宗教だ。もちろん、神道もキリスト教もあった。けれど、仏教、特に日蓮宗は多くの派閥を形成していた。かの有名な創価学会も日蓮宗だ。私の家族は妙智会という日蓮宗の宗教団体に加盟して地域の支部的な存在であった。小学生のころになると私も両親と一緒にお経をあげていた。千葉の教会へも出かけた。つまり宗教二世という奴だ。高校のころには離れてしまったが、今でもお経を読むことぐらいはできる。お経といえば「南無妙法蓮華経」が当然であった。「南無阿弥陀仏」ときくと半世紀以上を経た今でも違和感を感じるのだ。
 私にとって日蓮宗とは妙智会という宗教団体であり、先祖供養に最大の価値を見出していた両親への思いを惹起するものである。ところが、どっこい、日蓮宗とはそんな甘いものではなかったらしい。奈良から平安、そして鎌倉と時代の流れの中で仏教は荒々しく成長したのであろうか。時の権力者と激突する日蓮を見ると、今の宗教団体などは可愛いものなのかもしれない。
 而して、戦前戦中の日蓮宗はどうだったのだろうか。それはそれは強烈な爆弾の大本といっても過言ではない。幅広い、かつ奥深い影響力を持続している。大河ドラマでやや有名となった比企能員を筆頭とする比企一族の菩提寺である鎌倉妙本寺に日蓮の木像があるが、その眼光を見てみるがいい。日蓮宗と言えば、宮沢賢治、高山樗牛、長谷川等伯、尾形光琳、葛飾北斎(押上・法性寺)など芸術家の名前が浮かぶが、実は井上日召、石原莞爾、北一輝、西田税等々の軍人、国士と言われる方たちもいる。私事で恐縮だがこの日召氏は私の高校の先輩にあたっている。いつのことだろうか紅顔の後輩学生が居並ぶ校庭で演説をしたという話も聞いているが、仏国土実現すべく扇動しておられたのかどうか。石原莞爾に至っては大正10年頃にはすでに田中智学にどぶっと深くのめりこんでしまい官費でのドイツ留学中には智学の息子里見岸雄にべったりと臣従していたという。この、田中智学というファナティックなまでの日蓮主義者は国柱会(旧立正安国会)を組織して八紘一宇の価値を作り出したという。つまり、日蓮を中心として世界を統一するというのである。ここまでくると、「宗教」と言ってよいのか、誇大妄想というべきか、私は今のところ判断がつかない。
 そうそう、昭和10年8月相沢中佐が永田鉄山を惨殺したという話は結構知られているが、この相沢さんも北の影響をもろに受けたらしく熱心な法華信徒であったという。北は順逆不二之法門という冊子で「革命は暗殺に始まり暗殺に終る」とテロ扇動を弄し「国家の革命は軍隊の革命を以って最大とし最終とす」としているらしいが、どこか226の匂いがしないだろうか。なぜに宗教・日蓮宗がテロの理論的支柱となりえるのか。不思議なお話ではある。
 そんなところに光を当てた人物がいた。寺内大吉。化城の昭和史にそのヒントが潜んでいるのだ。さーーーって、読もうかな・・・・。
                         (文責:吉田)

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『化城の昭和史』読書開始に寄せて (MN)
2022-10-12 23:19:33
管理人様

そうですか、寺内大吉『化城の昭和史』に取りかかられたのですか。実は『化城の昭和史』は、既に絶版となっていて中古しかありません。ハードカバーは4,400円、文庫本でも2,000円程します。
私も研究ノート『国会議事録の中の統一教会』のなかで『化城の昭和史』の書き出し同様に、戦前日本が後戻りできなくなったターニングポイントが満洲建国会議の背後に掲げられた「南無妙法蓮華経」であったということを取り上げました。石原莞爾が掲げた垂れ幕の真意は、やはり田中智学の日蓮主義にあったと思います。つまり国家戒壇ですね。寺内大吉法主は、この考えが、戦前日本が8月18日を迎えることになった主因であったとお考えのようです。私も確かにそうだと得心している次第です。
この反省があったことで、帝国憲法にはない憲法20条の「信仰の自由」と「政教分離」が出てきたわけです。そして現在、大問題となっている統一教会の本質はこの「政教分離」にあると考えています。それは、過去に出版妨害を起した公明党も統一教会と同様に「政教分離」が問題となっていたわけです。両教団とも憲法違反という類似性があるわけです。
驚いたことに、春日一幸が公明党の「政教分離」問題をうやむやにすることは、戦前と同じ過ちを犯すと警告していることが国会議事録の検索で判明しました。春日一幸は大した見識ですね。

読書の秋です。ぜひ読書感想を掲載されることを期待しています。併せて、春日一幸も紹介してあげてください。
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