小日向白朗学会 HP準備室BLOG

小日向白朗氏の功績が、未だ歴史上隠されている”真の事実”を広く知ってもらう為の小日向白朗学会公式HP開設準備室 情報など

92年前、6月、日本は蟻地獄への入り口に立っていた

2020-06-23 | 白朗と私 会員思うままに・・・
 それは92年前のことになる。6月4日午前5時20分を少々回ったころ満州奉天駅の西方1キロほどの地点で張作霖が爆殺された。
 主犯は河本大作大佐、当時45歳。余談だが、爆弾着火当事者といわれる東宮鉄男は私の高校の先輩でもある。そして、22日後の6月26日、河本は取り調べを受けている。結果「関東軍、並びに河本は事件と無関係、白である。」(加藤康男著、謎解き張作霖爆殺事件より)という報告が田中首相にあげられる。誰が取り調べをしたのか。鈴木荘六参謀総長の命によって荒木貞夫(そのほかに、白川陸相、畑英太郎次官、南次郎参謀次長)ほかが担当した。ここで、笑ってはいけないだろうが、失笑は出てしまうのは仕方ないところだ。すべて「出来レース」であることは明白。8年後の2.26事件にまでこの勢いは止まらない。爆殺17年後の敗戦までにつながる蟻地獄の入り口であった。唯一食い止める方法は、確かに存在はしていた、と思う。それは少なくとも主犯を銃殺することではなかっただろうか。そして、荒木に期待しても当然無理ではあるが、もっともっとその裏側にいた黒幕の存在をはっきりと認識する必要があったのではないだろうか。・・・それこそが歴史に線香、お水をあげて供養することであると思うのである。ちなみに、河本は事前にヤマトホテルに一個旅団近くを集結させておいたという。張作霖配下の奉天軍の反撃を見込んでのことだという。しかし、火ぶたは切られず、河本の「満州事変」は幻に終わった。板垣と石原が3年後にこれを継承したのである。蟻地獄は深く、深く・・・・なお、同爆殺に関してはコミンテルン説などの異論もある。(文責:吉田)
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紫陽花や帷子時の薄浅黄・・・芭蕉

2020-06-01 | 白朗と私 会員思うままに・・・
 紫陽花や帷子時の薄浅黄・・・このころは陽気もめまぐるしく変わり、晴天の次は土砂降り、気温も真夏かと思えば花冷え時を感じたり、いちいち衣替えをしていたらいくつも洋服をそろえなければ、ってな具合の大変面倒な季節でもある。アジサイはそんな季節、一言で言えば「初夏」かもしれないが、人の思いをいろいろとかき乱す花であると思う。私の家には花の咲かないアジサイの鉢がある。これは亡き妻が、確か5~6年前に白山神社で買い求めてきたものだ。いや、もっと前だったかもしれない。買ってきた当時は鮮やかな色合いを魅せて呉れていた。そして、月日はたちその季節がやってくると少しだけ咲いてくれた。また、一年が経過し、その季節が来ると…ついに一輪も咲かなくなってしまった。要は手入れが拙いだけのことであるけれど、「時の流れ」はそんなものではないだろうか、と思う。「時の流れ」を手入れできるとお思いか。時の流れは歴史として残されているので、時に思いを馳せることはできる。そうやって無機質な「時の流れ」に水撒きをしてやれば再び、大きな花を咲かせてくれるのだろうか。そんな思いを抱きながら、白朗をしのぶ季節である。(文責:吉田)
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