朝倉・鴨田ファンクラブ

高知市朝倉・鴨田地域の活性化を図る取り組みをします

朝倉

2010-01-06 | 朝倉地域のホットな情報
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朝倉(朝倉甲・乙・丙・丁・戊・己、宗安寺、行川、針原、上里、領家、唐岩、曙町1.2、朝倉本町1.2、若草町、若草南町、鵜来巣、槙山町、針木東町、大谷公園町、朝倉南町、朝倉横町、朝倉東町、朝倉西町1.2、針木北1.2、針木本町、針木南、針木西)



針木の浄水場の桜・「しょうぶ園」ほか 
野中婉女宅址碑 に関する記事
朝倉古墳
朝倉神社(あさくらじんじゃ)
住環境工房 ひまわり
高知住環境パートナーズ
高知住環境パートナーズのメンバー
こじゃんと土佐を元気にする会
ベーカリーレストラン サンマルク土佐道路店
竹田住設
高坂設備清掃
『ルークと天空の書』というファンタジー小説紹介


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野中婉女宅址碑 に関する記事

2010-01-05 | 高知市西地域の見所・観光案内
野中婉女宅址碑 に関する記事







高知市歴史散歩:女医・お婉(えん)さん土佐史研究家 広谷喜十郎

土佐藩家老の野中兼山は、晩年に追放され、寛文3(1663)年12月に急逝した。翌年、野中家は罪人扱いとなり、家禄・屋敷を没収されて、遺族は幡多郡宿毛の地に幽閉された。
 兼山の娘婉女は、兄弟が次々に死亡して野中家の男子がすべて途絶えるまで、40年間も幽閉生活を続けねばならなかった。赦免後、婉女は土佐郡朝倉村に住み、医を業としながら、少しばかりの扶持(ふち)を受けて細々とした生活を続けていた。

婉女が女医として評判を呼んだとの話は「おえんさまの糸脈」がよく紹介されている。これは、患者の手首に糸を巻いて障子の穴に通し、その端を握って診断するという方法で、その診察によって調合した薬で病気がよく治ったので、世間の評判になったといわれている。
 婉女が診察するのはほとんどが庶民で、役人などは拒絶していた。生活困窮者には無料で診察していた心優しい人でもあった。




高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、野中婉女宅址碑を訪ねました


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朝倉古墳 に関する記事

2010-01-04 | 高知市西地域の見所・観光案内
朝倉古墳 に関する記事



高知市:文化財情報 史跡 朝倉古墳

朝倉神社本殿の背後の山で神奈備[かんなび]型の山容をとり、高知県史跡でもある赤鬼山の東斜面に本古墳は立地する。明治初年に開墾によって検出された古墳で、当時須恵器[すえき]、馬具、鉄鏃[てつぞく]が出土したと伝えている。円形の墳丘は、その開墾時に削平され現在は横穴式石室が露出して残っている。横穴式石室の残りは良好で、玄室は長さ5.4m、幅2.6m、羨道の長さは3.9m、幅1.1mであるが、羨道の入口が一部カットされているため本来の羨導の長さは4.9mとみるべきであろう。羨道・玄室ともに巨石を使った巨石古墳の1つであり、南国市の小蓮[こはす]古墳・明見[みょうけん]1号古墳と合せて土佐の三大古墳と称している。石室の巨石が美しく積み上げられ保存の価値の十分なるものである。特に石室の築造様式から7世紀中葉までの築造とすべきであろう。

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高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、朝倉古墳を訪ねました




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