朝倉古墳 に関する記事
高知市:文化財情報 史跡 朝倉古墳
朝倉神社本殿の背後の山で神奈備[かんなび]型の山容をとり、高知県史跡でもある赤鬼山の東斜面に本古墳は立地する。明治初年に開墾によって検出された古墳で、当時須恵器[すえき]、馬具、鉄鏃[てつぞく]が出土したと伝えている。円形の墳丘は、その開墾時に削平され現在は横穴式石室が露出して残っている。横穴式石室の残りは良好で、玄室は長さ5.4m、幅2.6m、羨道の長さは3.9m、幅1.1mであるが、羨道の入口が一部カットされているため本来の羨導の長さは4.9mとみるべきであろう。羨道・玄室ともに巨石を使った巨石古墳の1つであり、南国市の小蓮[こはす]古墳・明見[みょうけん]1号古墳と合せて土佐の三大古墳と称している。石室の巨石が美しく積み上げられ保存の価値の十分なるものである。特に石室の築造様式から7世紀中葉までの築造とすべきであろう。
地図はこちらから
高知市観光ボランティア・ガイドの人達と、朝倉古墳を訪ねました
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高知市:文化財情報 史跡 朝倉古墳
朝倉神社本殿の背後の山で神奈備[かんなび]型の山容をとり、高知県史跡でもある赤鬼山の東斜面に本古墳は立地する。明治初年に開墾によって検出された古墳で、当時須恵器[すえき]、馬具、鉄鏃[てつぞく]が出土したと伝えている。円形の墳丘は、その開墾時に削平され現在は横穴式石室が露出して残っている。横穴式石室の残りは良好で、玄室は長さ5.4m、幅2.6m、羨道の長さは3.9m、幅1.1mであるが、羨道の入口が一部カットされているため本来の羨導の長さは4.9mとみるべきであろう。羨道・玄室ともに巨石を使った巨石古墳の1つであり、南国市の小蓮[こはす]古墳・明見[みょうけん]1号古墳と合せて土佐の三大古墳と称している。石室の巨石が美しく積み上げられ保存の価値の十分なるものである。特に石室の築造様式から7世紀中葉までの築造とすべきであろう。
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