もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

6cmという距離

2020年11月13日 17時54分23秒 | タイ歌謡
 じつは、こないだまで入院していた。3週間くらいかな。まあ個人的な事なんだが、個人的な事なんで書くのを控えるかというと、そんなことはまったく、ない。考えるまでもなく、このブログは個人的な事しか書いてないんで、そんな事は気にしないのだった。おれの入院とタイ歌謡に何か関係があるのかと訊かれたら、そんなものあるわけない。おれが入院したって世の中の事象に影響があるわけなくて、その証拠に鶏卵の小売価格に変動もなければ、カリフォルニア州の降雨量も異常ない。コスタリカに政変も起こらず、チャオプラヤ川の流れは、今日も泥で懸濁している。小さな変化といえば、うちの妻が「だいじょうぶ?」と心配したくらいのものだ。
 で、このまえのエントリーである「心と電話番号、電気料金と鍋のそれぞれの等価交換について考えたが、わからなかった」は、入院してすぐに病床の中で書いたんだが、「心不全です。これから入院していただきます。でないと、あなた。死んでしまいますよ」と、じっと目を見詰められながら医師に言われてしまい、「し、死んじゃうんですか?」と訊き返すと、「はい。死にます。今だって、いつ死んでもおかしくない状態です」と、きっぱり断言された直後だったので、何か日常が欲しかったんだろう。世の中にあってもなくてもどうでもいいことを書いて、「生きていくわたし」を確認したかったのではないか。
 じっさい、前回のエントリーは、このブログの中でも群を抜いて、どうでもよさが際立っている。が、読む人が読めば「あ。この文章を書いた人は心不全で死の淵まで覗き込んできましたね」とわかる。というのは嘘で、「なんだこりゃ。どうでもいい文章だな」と思うはずだ。
 朝日を頬に受けて「ああ! 生きるって、素晴らしい」とか書くと「どうしたんだ、こいつ」って思われちゃうでしょ。似合わない。だいいち、おれはそんなふうな素直なドミソだけの和音みたいなのが苦手だし。
「いや。どうせそのうち死んじゃうんだろうけど、今はヤだな。もうちょっと生きていたいな」と思うわけで、こういうのを北海道弁で「命根性(いのちこんじょう)が汚い」と言います。いい言葉だね。
 まあ、とにかく全快とまではいかなくても、随分と回復して、しばらくは死にそうになくなったんで、これからもどうでもいい、益体もないことを書き連ねていこうと決意も新たにしたのだった。

 あ。あと身長の事については是非書き残しておきたい。おれは小学生の頃までは背が高い方で、背の順に並んで、いつもクラスでは後ろから2~3番目だった。この件に関しては「おれ、おっきいもんね」と、完全に油断していた。しかし中学生になると、その順番が段々と前へ移動して「ふつう」にカテゴライズされるようになる。ここで危機感を持って根性出して脳下垂体に暗示を施せば、更にひと伸びするチャンスもあったかもしれないが、「いや。おれの本質は背が高いのであるから」と過去の事実に根拠を委ねてしまったばかりに、高校生の頃には背の順で「前の方」になってしまった。有り体に言って「成長が滞って」いた。それでも「おっかしいな。おれ背は高いのに。なんかちょっとした訳があって今は背が低いけれど、そのつまらない原因は簡単に解消して煙と共に、ポン、という音がして、すぐに背が伸びるのではないかな」などと思っていたので、そのまま背が低いオトナになってしまった。まるで最近の日本みたいだ。先進国だと思ってたのに、気がついたら中進国で、「一時は2流国目指してたのにね。もう4流なのに、気が付かないでエラそうにしてんのよね。まあ、でも落ちぶれちゃったから物価が安くて、遊びに行くには良い国よね」とか思われてるけど、タイ人は優しいから黙って微笑んでて、偉いよなあ。

「体重は58.6kgと。普段は? なんキロですか? ……ふうん。60から63キロの間を行ったり来たり、と」と看護師さんはファイルに書き込んだ。「で、身長は?」
「あー。身長ね。高校の時に測ったきりで、そんときで167cm」と答えた。
「うーん」値踏みでもするように、俺の全身を眺めて、言った。「じゃ、測ってみましょう」
 身長測定の器具の前に連れて行かれ、足の形が描いてある台に足を合わせ、背を伸ばした。
「はい。顎を引いてください」
 え。顎を引いては、身長の数値が低くなってしまうではないの。「あっ、……はい」
「ええと。161cmですね」
「え」
「まあ、正しくは160.9cmですけど」
「……そ、そんなに縮むものなの?」
「ああ。そうですね。お歳を召すと縮むようですよ」
「……召しちゃったのかぁ」
 6cmだぞ。
 厳密に言えば6.1cmだが。
 6cmといえば、乾電池の大きいの(単1)の長さだぞ。
 バレバレのシークレット・シューズ履いて、やっとチャラになるほど縮んだのか。6cmも縮むって、そんなこと、あるのか。「すり減っちゃったのかな、6cmも」と漏らしたら、「そんなわけないですよ」と笑われた。「うちの奥さんが夜な夜な紙やすりで削ってた、とか」
「だから、そんなわけないですってば」
「でも毎日、風呂場で踵とか足の裏を軽石やヤスリで擦ってツルッツルにしてるから」
「そのくらいで身長は低くなりません」
「そうだよね」
「そうですよ」
 身長というのは朝、起きてすぐのときに一番背が高くて、自重で夜になるにつれて縮むというのだが、あいにく測定時は午前中で、入院中で寝てばかりだから、それほど自重で縮んだとは考え難い。
 理不尽である。ヤギなどは病気にでもならない限り、死ぬまで成長し続けるというのに。
 あ。そうだ。相対性理論から言っても、宇宙に存在する物は、あまねく膨張し続けているではないの。それを「6cmも縮んじゃいましたぁ」などとホーキング博士の墓前で報告したら、安らかに眠ってなんかいられない。
 おお。5・7・5だ。「安らかに 眠ってなんか いられない」
 もう、季語がないぞとか言ってる場合じゃない。「ホーキング 草葉の陰で 泣いている」やっぱり季語がないんだが、「縮んだり 40年で 6センチ」てことは「1年で 毎年縮む 15ミリ」ってことだ。「400年 長生きしたら 60センチ縮む」と、これは字余りだな。
 まあ、あれだ。相対性理論に反した存在なのでは、存在じたいが矛盾していることになるんで、だから、ひとは死ぬのだな。今回の、おれの心不全の原因も6cm縮んだことに因るものだろう。うん。また正しい真理を導いてしまった。

 ということで、今回はパーミーさんだ。
 パーミーさんの経歴見て、今更ながら驚いたんだが、もうデビューして19年も経つのかということと、デビューしたときは20歳だったんだなということ。え、じゃパーミーさん、もう39歳なのかよ、ってこと。ほぼ20年てことは、おれの計算だと、3cm縮んだな、ってこと。いやしかし歳取らない人だな。デビューした頃とそんなに変わんねえぞ、どうなってんだ。と、プルーストの小説みたいに目まぐるしく意識が怒涛の如く押し寄せる。
อยากร้องดังดัง - ปาล์มมี่【OFFICIAL MV】
 デビューは鮮烈だった。なんか野放しっていうか、へんな踊りだし、裸足で歌うし、デビュー曲のタイトルが「อยากร้องดังดัง ヤークローンダンダン(大声で歌いたい)」だし。このダンダンってのが大声でって言うより「やかましく」って言うほうがニュアンスが近い。
 で、歌詞がいきなり「ไม่รู้ว่าเป็นอะไร(マイルーワーペンアライ)」だ。直訳すると「これが何かって、知らない」だけど、意訳だと「なんか、ぜんぜんわかんないけど」とか「何ていうか、よくわかんないんだけど」みたいなニュアンスで、当時の若いタイ女性の口癖で始まるわけです。これはじゅうぶん画期的な言文一致の完成した歌詞で、「うはー、すげえ」て思いました。
 歌詞の全体は、こんなだ。

何かもう よくわかんないんだけど 世界が変わったみたいに
どこを見ても、キラキラしちゃってる
ちょっとヘンだよね なんか笑えちゃう
世界は明るいのね

もうね たくさんの人に会うの 誰が誰だかかわかんないけど
左を見ても右を見ても みんな笑顔
あなたはそれが楽しいってことを知ってるよね で、あなたは私に何て言うと思う?
気分がいい!

大声で歌いたい みんなに聞こえるように
大声で歌いたい あなたが私を愛していると
大声で歌いたい あなたの愛は大きいってことを
私は大声で叫び 嬉しいのよ
あなたとお互いに 言ったことを叫びたい

一日中心を込めて
空に届くように叫ぶ
楽しいからいらっしゃい
私は気分がいい

 歌を聴けばわかるように、歌唱力は悪くはないが、まあそこそこです。巧い歌手ではない。でも、妙に心に届く歌で、このデビュー曲だけじゃなくてパーミーさんの歌は一貫して心を揺さぶるのね。

 パーミーさんの本名はอีฟ ปานเจริญ(イブ・パンチャルーン)といって、ファーストネームがタイ人ぽくないのは、父親がベルギー人だったからで、12歳まではタイで育ったけれど、その後は母親とオーストラリアに渡った。8年間ほどオーストラリアにいたから、英語で暮らしていたんだろう。シドニーのホーリー・クロスという高校に通っていたようだ。で、「歌手になる」と決意してタイに戻ってきた。デモテープを作って、それを手にGMMグラミー社に乗り込んだ。その後はトントン拍子で現在に至るわけだが、細かい音楽的なテクニックよりも、ひとを感動させる技術を身につけたのはオーストラリアにいた時なんだろう。オーストラリアの自由とタイの自由を併せ持つ不思議なキャラクターはタイ人に好かれているようだ。パーミーさんが嫌いだというタイ人を見たことがない。
 さて、これを聴いていただきたい。
เพลง สาวนาสั่งแฟน [จัง-หวะ-จะ-เดิน]
 このブログの第一回で紹介した「สาวนาสั่งแฟน」という曲で、都会に出稼ぎに行った彼氏に宛てた手紙という内容で、売りに出してしまった牛や弟を買い戻したいというような文句があってなかなかに切実な歌詞でしたね。で、このMV、皆がリモートで参加してるんだが、これはコロナ禍は関係なく、7年まえのMVで、そのころ流行ったプロジェクトです。おばさんの口上が長いんで、これを飛ばすんなら2:16’あたりから演奏が始まります。何はともあれ映像がいい。タイ人の生活が上手い具合に切り取られて、ちょいちょい挟まってる。バスターミナルの様子とか、高級なんだか低級なんだかわかんない燕の巣のスープの屋台とか。子供がいっぱい集まってんのが葬式かと思ったら、後ろの箱は棺桶に似てるけど違うようだ。では何なのかと言うと、わかんないんだけど櫃(チェスト)みたいなものかな。それから、屋台の包装用のバナナの葉を裂いてる人もいる。この映像はプロの仕事だよね。つい観ちゃうもの。で、パーミーさんの歌は6:25’あたりからなんだが、入れ替わり立ち替わり出てくる歌手が歌唱力よりも、とにかく心に届く歌手ばかりで(途中の3人のコーラスは歌手じゃなくてアナウンサーだけど)、そのトリがパーミーさんです。歌の巧さでは負けてるが、「良さ」では他の歌手にぜんぜん引けを取らない。良い歌手なんです。このMVは本当に良くできてて、何度でも観たくなるね。
 途中、竹を縦に束ねたような楽器を吹いていますね。これはケーンというイサーン地方のモーラムなんかでよく使われる楽器で、日本の雅楽で使う笙(しょう)のルーツともいえる物です。昔ラオスのウィエンチャンに行ったときタダみたいな値段で売ってたんで買ってみたら、接着剤にコールタールピッチと思しき廃重油を使ってて、息継ぎするときに臭くて頭がクラクラしたものです。もう20年くらいまえの事だから、バンコクの家のほうで捨てられてなければ今では臭気も抜けてるんじゃないかな。あと、クロマティック・ハモニカの人はすげぇ巧いね。たいしたもんだ。それと、みょーん、ていうスライドギターは、ボディに丸い金属板が共鳴するようになっていて、これはドブロと呼ばれるギターで、本物ならアメリカ製です。久しぶりに見た。

 さて、たしか3年くらいまえだったと記憶しているのだが、パーミーさんはSNSに「お金じゃなくて、もっと大事なものがある」みたいなコメントと、耕耘機や水牛に乗った写真をアップしてタイ人の話題になったんだが、驚くべきことに、こんな事を言っても反感もなければ炎上もしなかったのだった。タイ人に愛されているのだ。「いいね」の数がウナギ登り。これが他の人だったら、ずいぶん反感を買ったかもしれない。

 ちょうどヘンな被り物を被りだした頃で、「นวด(ヌアット-按摩)」という妙ちくりんな曲をリリースしたり、いよいよ「ヘンなお姉さん」から「ヘンなおばさん」へと順調に円熟を遂げていた。ヘンな踊りには益々磨きがかかっていて、もう他所の国の貴重な生き物みたいで必見である。タイ人はそれを微笑んで見守っているという風情だった。
นวด - PALMY「Official MV」
 最近はデビューした頃のような大きなヒットには恵まれないが、何せ人気者だからコンサートは客が入るようだし、何より仕事が途切れるような事はないようだ。安定のヘンな踊りも健在だったのだが、今年の新曲はちょっと不思議なMVで本人が出てくるのは最後の方で運転席でハンドルを握りながら歌っているだけだ。このまえにリリースされたMVでもヘンな踊りは見られず、これはアレか。パーミーさんもオトナになっちゃってヘンな踊りを止めてしまったのかと思う向きもあった。
ขวัญเอยขวัญมา - PALMY「Official MV」
 これは他のタイ人もそう思っていたのか、今年の芸能ニュースで「パーミー姐さんの、おかしな踊りは健在です」と言っており、タイ人も妙な心配をしていたのかと思うと感慨深い。さすが国民に愛される女だ。
แฟนคลับฮาหนักมาก “ปาล์มมี่” โชว์สเต็ปเต้นแกล้งทีมงานช่วยติดไมค์ให้บนเวที | 13 ก.พ. 63 | รีวิวบันเทิง
 最後に、「นักร้องบ้านนอก(ナックローン・バンノーク-田舎の歌手)」だ。こんなツラい歌を歌うほど、パーミーさん苦労してないだろ、と思うんだが、この歌が、いい。正直、ルクトゥンなんか歌える歌唱力ではないのだが、歌に関してはヘンなケレン味もなく、細くても真っ直ぐに自然に歌うもんで、心の扉とでもいうべき物があるなら、その隙間から難なく聴く者の心に届いてしまう。
 ルクトゥンの歌手にありがちな、ヘンに感情移入はしないで、聞き手の感情の容れ物に徹する歌では、決してない。つうか、そんな技術はパーミーさんには、ない。
 ギターの和音解釈がヘンで、「え? その和音?」と思うような伴奏を物ともせずに素直に歌い切る女。裸足で、ヘンな動きだけど、いい人なんだろうな。こんな歌手、ちょっといない。たとえば日本で言えば誰がこういう位置なのかと考えてみたが、そんな歌手は日本にいない。いや。他の国にもいないでしょ。つくづく不思議な人だ。
Palmy - นักร้องบ้านนอก (พุ่มพวง Tribute).mp4

 そういえば、今回のおれの心不全の原因は、血圧が高いのを放っておいたからで、なぜ血圧が高いのかというと、赤血球が酷く少ないからなのだった。ちょっと調子が悪くて、病院に掛かると、「赤血球が随分と少ないね」とか「血圧が高いね」という話になるんだが、そこでおれが「いやあ。東日本大震災のとき、フクシマにいて、知人と連絡が取れないんで、すぐに浜の方に瓦礫処理がてら探しに行って被曝しちゃったんすよ。知人? 見つかんなかったですね。流されたみたいで」と答えると、「あー。……ねえ」ってことになって、そこで話が終わっちゃう。毎回そうだ。知人が流されたって話はしない事が多いんだけど、被曝して半年後くらいから、めきめき赤血球が少なくなっていって、反比例するように血圧が上がっていったんだって言うと、「あー。…ねえ」で終わり。
 震災の翌日だったと記憶するが、クルマのラジオで一号機が爆発と言っていて、「え。それはメルトダウンするのでは」と思い、「すみません。ちょっと用事を思い出しました」と急いで郡山の自宅に帰ったのだった。奥さんと息子はバンコクに帰省中で、ホントに良かった。
 2011年の3月の末には俺もタイに辿り着いて、さっさと逃げ切ったと思ったのだが、考えてみたら、一番濃い時に、濃い場所に居たんだもんなあ。
 被曝というのは後を追いかけてくるものなのか、半年ほど経つと鼻血が出るようになる。あれ? と思っているうちに週に2~3回は出るようになり、頭髪がごっそり抜けた。SNSでも、そんな投稿を見かけたが、いつの間にかそういう投稿は見なくなったんだが、あれは本人が消したのかブロックされたのか知らないが、おれは鼻血がとか、毛が抜けたとか投稿することはなかった。やがていつの間にか頭髪は元通りになり、鼻血も週一回になり、それが月に2回くらいになり、月イチになり、やがて出なくなった。血圧も一時は200を超えていたのが180になり160になり、ということで、「ああ、少しずつ治っていくのだな」と思っていたのだが、160というのはやっぱり高かった。おまけに尿路結石持ちで毎日2~3リットルほど水を飲んでいたのだが、これが心不全には決定的に悪かったらしく、それが心不全まっしぐらだったということだ。あんまり水をたくさん飲むと低カリウム血症になっちゃうというのね。やっぱり、「あー。……ねえ」で済ましちゃ駄目だな。
 まあ、ともかく1日の摂水量は、これから一日1リットルまでにしろ、という。水は無理に飲んでいたので、寒くなったり油断していると水を飲む努力を忘れて一日1リットルくらいになってしまうので、これからは普通に摂取すれば丁度いいんだろう。
 水分の摂取量が少なくなることで、尿路結石のリスクは高まるのだが、あれは猛烈に痛いだけで、命に別状はないから、お守り代わりにヴォルタレンの痛み止めを持ち歩いておけば、まあ良いのではないか。結石がいつまでも痛いようなら病院に行って対処してもらえば良いではないか。
 血圧の薬で降圧剤も飲んだことがあって、これは覿面に効くんだがアルツハイマーになるのがイヤで、飲むのを止めてしまったのもいけなかったかもしれない。
 あとは塩分の摂取。一日5~6gまでにしろ、という。おれはもともと薄味の生活だったんだが、どうも資料を基に換算すると毎日7~8gぐらいは摂っていたようだ。ただ、北海道で育ったせいか、米というものが好きではなく(今と違って昔の北海道米は本当に不味かったのです)、おかずだけで満腹するということが多かったので、いきおいおかずが薄味になるわけだ。それでもご飯を食べないからおかずの量が多い。つまり塩分の量が増える。だから薄味の炊き込みご飯とか薄味の炒飯なんかを食べるようにすれば、ご飯のほうがおかずよりも薄味だから塩分摂取は少なくなるという。なるほどね。
 ところで日本人の塩分摂取の平均は10gを超えているんで、毎日の塩分摂取量を5~6gにしろと言われると、普通の人なら日常の塩分を半量にしなけりゃいけないわけで、これはキツかろう。
 酢の物とか膾みたいな料理は驚くほど塩を使わないんだが、あれは好きじゃない人にはツラいだろうね。おれは好きだが。
 それでも生きてるからね。フクシマを発つ頃、「逃げるのか」とかいろんな人に散々言われたが、そりゃ逃げるよなぁ。友達だった人は随分と死んでしまったけど、半分は自殺で、残り半分は病気だったみたいだ。でも、国が言うように、それが被曝と関係あるのかどうかなんて、誰も証明できない。
 一時は国や東電を恨んだり腹を立てたりもしたが、さいきんはヒトゴトみたいに距離ができて、なんていうか手が届かない。薄い膜の向こうにあると言ったらいいのか。
 東日本大震災の後で、ひとの心が、すさんだように思ったのだが、安倍晋三の不誠実さや、コロナ禍が追い打ちをかけ、ひとびとの心は荒れ果てたような気がする。
 もう、おれの心のオアシスはタイにしかないのだろうか。
 暑くて、臭くて、汚くて、お花がいっぱい咲いていて、みんなニコニコしていて、そんで、ウソばーっかり言ってるんだ。
 そんな国、控えめに言ってもパラダイスじゃねぇか。

 まあ、身体だけは大事にしてください、と三平師匠も言っていたことだし、皆様におかれましてはご自愛ください。ほんともう、たいへんなんすから。
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