もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

四季のおもいで

2024年01月13日 13時33分50秒 | タイ歌謡
 辰年だよ。十二支の中で唯一の架空の生き物じゃん。なんでだよ。ということがよく言われるが、昔は普通にいた。架空なんかじゃなかったのだ。とはいえ辰五郎とかいうんじゃなくて龍一とかでもない。人ではなくて生き物としての竜。ドラゴンだ。
 竜とかドラゴンなんて世の東西どこにもある概念だってのは、人類の想像力がシンクロした訳じゃなくて、そこら中を野生の竜が歩いていたからだ。恐竜のことではない。そんなのが絶滅した遙か未来にホモサピエンスが出現している。リアルタイムでヒトと遭遇してないと、世の東西を問わずに人類が知っていることの説明がつかない。辰の正体がワニだってのはよく聞く説だけど、フォルムだけならトカゲの方が近い。翼はないけど、だいたい竜だ。要は爬虫類ってことだけど、実は鳥類でもいい。鳥って、竜だよね。翼もある。
 ティラノザウルスレックスと鶏のDNA配列類似性の解析結果が99%一致してるって説は有名だと思ったが、ググってみたら論文によってマチマチだった。少ないのだと58%ってのもあった。なにそれ。四捨五入で辛うじて完全に一致。それ完全とは言えないのでは。これはカエルとイモリのDNA配列類似性はわずか51%なのにどっちも両生類で雰囲気は大体似たようなものだから、そんなものなのかな、と思ったら人間とカエルの類似性は81%という。マジかケロケーロ。DNAデタラメ過ぎやしないか。人間と牛の類似性が97%ってのは納得できる。知人に牛みたいな奴って必ず一人や二人はいるもんね。てことはカエルと牛なら間をとって89%の類似性って理屈になるが、ぜんぜん似てなくて違うじゃん。DNA判定ってのは思ったほどアテになんねぇな。「DNA解析によると、この遺伝子の持ち主が犯人! あるいは牛!」って科捜研の女に言われても。大丈夫かそれ。「あ。大丈夫なのよ。あたし、犯人と牛は見分けられるから。心配ないの。大船なの」って。大船じゃねぇよ。ノアの箱舟よりちっちぇえよ。
 きょうりゅう図鑑のティラノの体表が緑色っぽかったり茶色っぽかったり迷彩柄だったりするのは全部想像で「こんな色柄じゃないかなー」の結果だからで、だったら草間彌生デザインの水玉模様だったらオシャレでいいよね。ペイズリー柄だと、なんか困る。そんなちょっとだけオシャレな柄の恐竜に、生きながらバリバリと食われたら無念でしょ。唐草模様よりは良いかもしれんが。最近の説だと鳥みたいな羽毛がびっしり生えてたんじゃないのかっていうのもある。DNAが近いからな。氷期に突入してから絶滅寸前の頃ならアリかもしれない。低い声でクックドゥードゥルドゥーって鳴いてたりして。ちなみにタイ語の鶏の鳴き声は「เอก อี เอ้ก เอ้ก(エーック イー エーック エーック)」だ。Aクイックじゃない。東洋の魔女か。犬の鳴き声もワンワンじゃなくて「โฮ่ง โฮ่ง(ホンホン)」だったり、言語が違うと擬音もずいぶん違う。時代によっても違ってて、その証拠におれが育てていた猫が、おれに対してだけ「ねーん」と鳴くようになって、他の人に対しては「にゃぁ」のままで、これは一体全体どういうことかと訝しがっていたら、猫の鳴き声のオノマトペは平安時代で「ねんねん」と知り、(え。先祖返り? なんでおれだけに?)と疑問の氷解とともに新たな謎が訪れた。ちなみに鎌倉時代は「ねうねう」だそうで、これは当時の人にそう聞こえたということではなく、実際にそう鳴いていたんだろう。だって現に猫が「ねんねん」と鳴くのを聞いているんだから間違いない。
 で、話は戻って恐竜と鳥が近いって話だが、たしかに鳥の足なんてウロコっぽくて爪も尖ってるし爬虫類の痕跡みたいなのが濃厚だ。生足なのに色っぽくない。ていうか生足が色っぽいなんてのは幻想で、北海道の女子高生で、濡らしたタオルがカッチンコチンに凍てついてしまうような気温でも生足の娘がいて、目撃したときに真っ先に思うのは(く、狂ってんのか?)とか(さいきん北海道名物のイジメで生足を強制されてんの?)ってことで、とても色っぽさなんて情緒には及ばない。ピンクレディーのケイちゃんが若い頃、爬虫類っぽくて生足なのに色っぽくなかったが、爬虫類や鳥類と色気は両立しないことがわかる。あと関係ないが八代亜紀ちゃんのご冥福を祈りたい。
 ついでに言えば恐竜類の始祖鳥なんて、モロに鳥だ。目に表情がなくて残忍な感じも共通してる。やっぱ鳥類と爬虫類の境界は階調が緩やかで曖昧なんだ。
 そういえば渡り鳥ってのも目指す温度が謎で、ツバメなんかは初夏の鳥で、(あー。やっぱり寒いところはイヤだよな)と思っていたが、あれは東南アジアから来ているらしく、てことは避暑っていうか、そんな感じだ。かと思ったら白鳥や鶴なんかはシベリアの冬が寒すぎるから日本の冬を求めて渡って来てるわけで、あれでも寒さから逃げて来てるんだね。「とてもとても寒い所」よりも「とても寒い所」の方が良いや、という生活の知恵。もっと南に行けば暖かいのに「いや。暑いのはちょっと……」って感じなのか。
 ところで白鳥は人が近づくと絶妙な距離感ですい、と逃げていくんだが、うちの息子が幼かった頃、猪苗代湖に白鳥を見に連れて行ったら、まだ2歳くらいの覚束ない足取りで鳥の群れに近づいたかと思う間もなく、ぐい、と白鳥の首を掴んでしまった。白鳥は慌てて暴れることもなく「?!」という感じで動けなくなってて、周りの人々も(?!)と、無言で目を見開いていた。あんなこともあるのだな。白鳥は昔、殿様なんかだけの偉い人が食べるのを許されていたということでチョー旨いと聞いたことがあり、いち度食ってみたいものだが、あれは捕獲禁止なんで、どうにもならない。
 渡り鳥は季節で入れ替わるもので、春はヒバリなんかだし秋は鴨とか雁。一年中渡り鳥は来ていて、それぞれ季語にもなっている。

 日本には四季がある、という台詞を聞くことがあるが、げんみつには間違ってる。北海道には冬と春しかないし、沖縄には夏しかない。
 というようなことを言うと、ばかだなあ、北海道と沖縄は一応日本に組み込まれてはいるけど、ほんらいは日本じゃないんだぞと言われる。これに反論するのはメンド臭いことになりそうなので、ああそうですね、と引き下がる。どうでもいいからね。たしかに北海道なんて流刑地に近いもので、棄民の送り先だったもんね。
 いや、でも日本には劇団四季ならあるぞ、などと反論しても、「そうは言っても、あれは半島の人ばかりなんでしょ」と言いがかりをつける人まで出てきてメンド臭いことこの上ない。あの劇団はもう灰皿を投げ飛ばす浅利慶太もいないし、平和でいいじゃないか。そっとしておいてやれ。
 四十数年まえ、アルバイトで劇団四季の照明を数日間手伝ったことがある。そのとき見たのはアルマイトの灰皿が、さながらUFOみたいにスー、と移動する軌跡のうつくしさだった。あれは手首のスナップを効かせると面白いくらいに飛ぶ。そのすぐあとにフリスビーという遊びが日本に上陸したんだが、あれを見て「あ。すげえ。浅利慶太だ」と言っても誰も共感してくれなかった。そう。あの頃の日本には四季があった。
 かつて劇団四季の照明の人とは友達で、今だから言うが、いろんな劇場に入れさせてもらった。関係者の出入り口から入れてもらうので、客席には座れないのだが、さてここで問題です。客席が満員でなければ、頃合いを見て座ったでしょーか!? 答は教えてやんない。
 もう一問。今ではダメだろうが、GパンとTシャツ(冬は、この格好に上着)で腰のベルトに金槌とモンキーレンチをぶら下げて尻ポケットからペンチをはみ出させて、関係者出入り口で「ぅあよーござーっす」って挨拶しながら入れば、誰もそれを咎めなかったでしょーか!? これも答は教えてやんない。小劇場ではダメな手口かどうかも教えてやんない。その手口でトム・ウェイツのコンサートに紛れ込んだら宇崎竜童とか、かまやつひろしがいて、「あー。東京だなー」と思ったかどうかも、ぜったいに教えてやんない。
 ……なんかもう、申し訳ない。

 むかし上京してからは梅雨というものを初めて体験して、驚いた。北海道民は道外に出ると梅雨とゴキブリに驚くのが決まりなのだ。「あー。これが、ゴキブリかぁ」と。
「へぇー。これが梅雨前線かぁ」と見上げると、釣られて道行く人々も空を見上げるのは楽しかった。前線なんて見えるわけがなかろう。そんなことより梅雨だ。雨ばかり降る。なにこれ。春と夏の間に雨期があるんだ、と思った。四季じゃなくて五季じゃん。まあ、そんなことを言い出したら、夏だって二つか三つに細分化したくなるし、でもそれなら睦月・如月・弥生……と12分割でいいか、ってことになる。
 ちょっとまえ、結婚記念日に「อนึ่ง วันที่อากาศร้อน(そういえば暑い日だったなぁ)」と言うと、くつくつと笑って「なぜ文語体? それに暑い日でしたなんてタイ人だったら言わない。なぜなら毎日暑いから」と尤もなことを言った。
 結婚式はうちの奥さんの実家で執り行ったんだが、小路(パクソイ)から実家までの道のりをご近所さんにネックレスで通せんぼで邪魔されながら小額紙幣を渡して解除して進むということを繰り返すタイ式スタイルは(暑かったなー)という印象しかなかった。スーツ姿だったからね。
 タイの結婚式といえば仏式で、フランスで行うんじゃなくて僧侶を呼んだり寺院で行う方の仏式だった。僧侶が指先につけた白い塗料みたいなのでグリグリと額に印を描かれ、あろうことか新郎新婦の二つのアタマを紐で繋げてしまう。この紐を伝って配偶者のこれまでの記憶がインストールされちゃうというようなことも、異世界召喚されちゃうようなこともないんだが、(あ。これはもう逃げらんないやつだ)という重圧は只事ではない。だって立会人が仏陀様で執行人が高僧なんだぞ。信心の欠片もないおれにすら「なあ。わかってるよな。ハンパなことすんじゃねぇぞ」みたいな警告が通知音なしに紐から伝わってくるのだ。「いや。おれ仏教徒じゃないから、その脅しは越権行為ですぅ」なんて拒否はできない。もっと根本的な人としてのシステムからの伝達だ。「→ 元の状態に戻す」という選択はない。これをリセットするのは難しいことで、だからタイの人口に対しての離婚件数というのは極端に低い。まあ第一の理由ってのが、「世間的に結婚していても、そもそも法的に入籍していない」という夫婦が多いからなんだけどね。仏陀様の前で結婚式を挙げるのが結婚というもので、役場の木っ端役人が何だってんだ、という料簡が多数だもん。そこを(いや。法的にも婚姻しようじゃないか♡)という気迫で結婚したんだから意気込みが違う。おまけに好きじゃなくなったら同居を続けるのは不誠実だと別離するけれども役場の手続きなんてメンド臭いから籍だけ入ったままというケースも珍しくなく、そういう意味で離婚は少ない。タイでは結婚式っていう始まりの儀式はあっても、自然消滅するばかりで終わりの儀式は珍しい。たしかに(愛がなくなっちゃったんだから、ケリをつけることもなかろう)って料簡は、わかる。
 あ。あと思い出したんだけど、ヨメの実家での結婚式(身内と近親者を呼ぶ)が終わってホテルを借りた披露宴(身内・近親者の他に友人や通りすがりの知らない人まで来る)も済ませてクタクタになって自宅に戻ると、寝室のベッドの上に色とりどりの夥しい花弁が撒き散らしてあって、それはどう考えても妖精さんの仕業などではなく、(えー……)と、気持ちが削られた。誰だか知らんが、コンドミニアムのセキュリティーで偉そうに座ってる警備員は不審者を通すんじゃねぇよ、と思った。ヤバいじゃないすか。というようなことを控えめに言うと、それはタイの慣習だから、わたしがセキュリティーカードと鍵を渡しておいたのです、と新婦は答えた。あー……、そうなのか。と納得するフリをして切り上げたけれど、タイだなーと思った。ユルいのもアレだけどベッドに花弁なんて撒いてんじゃねぇ。でも毒キノコみたいな彩りの花弁を見て高揚したり漲ってくるのかタイ人は。てか日本人でも(おっ。気が利いてんじゃん)と思う奴もいるかもしれない。披露宴でゴンドラからドライアイスの煙に紛れてグイーンって賑々しく降りてくるようなのは、もうこの時代には流行らないんだろうが需要はあるのかもしれない。むしろ日本人よりタイ人の方が大喜びしそうだ。
 それにしても披露宴なんてなくてもいいんだが、おれは初めての再婚だったし披露宴に素敵な思い出なんてないからそう思う訳で、うちの奥さんは紛れもない初婚で、「披露宴はどこで?」と訊いてきたとき、(あ。やっぱりやりたかったのか)と覚悟した。そりゃ付き合わなきゃな。どうせやるならビシッとやろうと思ったけど、タイの結婚式に付きものの、素性の知れない芸人や、素人がカラオケでダラダラ歌ってるのはイヤだったんで、知人のジャズバンドを呼んで演奏してもらった。半分の来客には好評で、もう半分のカラオケ目当ての人たちには不評だったようで、タイで披露宴を考えてる人は好きなバンドを呼ぶか、好きなBGMのデータを作っておかないと、素人のど自慢大会に乗っ取られてしまうぞ。

 あ。のど自慢とは違うけど似たようなものが紅白歌合戦でもう需要なんてないだろうと思いながらそれでもいちおう録画はしておくかと句読点抜きでだらだらと予約しておいたのを正月も開けて一週間以上経ってから見てみたが、録画の倍速再生って歌の場合でも歌詞がわかるように再生するんだね。びっくりした。
 まあ要は、駆け足でチェックしていたわけで、(こりゃつまらんな)と思ったのは倍速の機会すら与えずに更に早い速度で飛ばし見をキメていた。なんだやっぱり紅白なんてもう見る価値ないな、もう終わりも近いぞと義務感みたいにチェックしていて最後のほうのYOASOBIでびっくりした。
 え。これ凄いじゃん。
 この曲って流行ったアニメの主題歌だった筈だが、アニメじたいはキモチワルイ感じだったんで早い段階で見なくなり、OP主題歌も飛ばして見ていたので初めて聴くのと同じような状況だったが、驚いた。これ、いい。曲の作りがこんなに緻密だったとは。YOASOBI誤解してた。「うっせえわ」なんかと同じカテゴリーだと思い込んでた。
 ということで去年の紅白の収穫はYOASOBIだったんだが、やっぱり紅白って、もう要らないよね。
 で、YOASOBIについては興味が出たんで、他にもチェックしてみたら、やっぱりこのAyaseっていう男の子が作る曲が、いい。基本打ち込みなんだろうけど、ドラムスもベースも生演奏みたいなリズムの外し方だなと感心したら、楽器演奏のメンバーがちゃんといるんだね。ドラムスとベースだけじゃなくギターが二人とキーボード・コーラス担当もいる。まるで人の演奏だと思ったら人の演奏が入ってた。納得。
「葬送のフリーレン」のOP曲もそうだったんだね。この曲も良かった。アニメの主題歌もバカにできない。バカにしたことはないつもりだが、サブスクで見てると飛ばしがちだよね。初回くらいはちゃんと聴こう。途中で「もういいや」ってなるのが多いんだろうが。
 そういえば数年まえの「女子高生の無駄づかい」のOP曲はベースラインがカッコ良くて思わず楽曲配信でポチってダウンロードしたんだった。260円くらいだし、あれ値段設定が上手いよね。さすがにアニソンなんて家族の前でも聴くのが恥ずかしいから楽曲のデータはスマフォに落としてイヤフォンで聴くんだけど、隠れ聴きなんてそうそうしないから、あんまり聴かないよね。あの曲はカッコいいんだけど、歌が声優さんたちで、(これ、ちゃんとした歌手に歌わせりゃ良かったのに)と思ったが、そんなところにカネかけてらんないんだろうな。
 さて、今回の歌だが、結婚式の歌だ。タイトルをงานแต่งคนจน(ンガーンテン・コンジョン)という。意味は「貧乏人の結婚式」。身も蓋もないね。貧乏な人は聴きたがらないような気もするが、タイ人って捻くれてないから(うん。そうだね)って聴いて共感しちゃう。歌っているのはมนต์แคน แก่นคูน(モンケン・ゲンクン)というイサーンの歌手で、ルクトゥンもモーラムも歌う。1973年生まれの50歳。タイで希に、でも結構いる軍人の歌手だ。若いうちに歌が上手いんで地元の国会議員を訪ね「あの。ぼく歌が上手いんすけも」と直談判。その歌を聴いた議員は「よし。軍人になろうな」という、まえにも似たような経緯の軍人歌手をなん人か紹介したね。同じパターンだ。公の場ではจ่าสิบเอก กิตติคุณ บุญค้ำจุน(ブーンカムジュン名誉曹長)と呼ばれている。デビューの頃は軍曹で、いつの間にか偉くなった。現在は退役している。もちろん武功を立てた訳ではなく、軍の宣伝のためのポストだ。農家の息子で、中学を卒業して2年の徴兵を終えてすぐに歌手活動に入ってるから、面白いエピソードなんてない。
 ルクトゥンの王様の名を欲しいままにしたスラポン・ソムバッチャルーン(このWikipediaはいいよ。たしかまだ平成だった頃のおれが書いたものだ)なんかは兵役逃れで逮捕されそうになり、「どうする? 逮捕されるか? それとも軍直属の歌手になるか? それでいいなら空軍中尉にしてやるぞ」みたいなメチャクチャなエピソードがあって、そりゃ普通は中尉を選ぶわ。いかにも昔のタイの芸能界なんだが、そういうデタラメな人はタイでも少なくなったね。
 MVの再現ドラマでは野外の野良結婚式の飾り付けの文字が風で飛ばされたのを見て、跪いて絶望したりしてて、ルクトゥンのMVだなって感じだ。ここでも額にマジナイの印を描かれてアタマを紐で繋がれてるね。茹で卵を分け合って食べているのは、それが精一杯の贅沢ってことで、イサーンでビンボーだったら、ほんとにガチで白飯にナンプラー振りかけて、それが食事の全てだというような生活ってのは未だにあるんだそうだ。少し余裕ができると、そのナンプラーに唐辛子とニンニクと小タマネギの細かく刻んだのが入るようになる。これはタイ人のソウルフードの一つで、たまに食うと旨い。
 さて、歌詞だ。あんまり捻りはない。直球ど真ん中みたいな。

今でも おれを抱きしめてくれて ありがとう
約束を忘れずにいてくれて ありがとう
これからも おれの心を守ってくれて ありがとう

おれたちが恋人同士なのは 事実だ
でも 何が起こったのか
暑さも寒さも よくある日常とともに 乗り越える
結婚する日まで

お金がない
何十万 何百万もの結納金や
大規模な中華卓の宴会を開催できるわけでもない
派手な服も着ない それは心からお互いを愛するのと同じくらい重要なのに
ただ 天と地が証人だ 1組の夫婦
先輩や親に教わって 生活の術と 忍耐を学ぶ
あなたの二人の兄弟を 貧しい人々の結婚式に 招くことができて幸せだ
 彼らは笑って そして泣いている

 なんだか広末のラヴレター並みに矢鱈と感謝してるんだが、感謝は大切だよね。
 そういえば、うちの奥さんが急に「ねぇ。そういえば結婚まえに花の鉢植えを作ってくれたでしょ。あれ嬉しかったなぁ」と言い出して、それ粘土で作ったやつ? と訊くと「そうそう」とニッコニコしていた。
 あー。忘れていたが、そんなの作ったな。子供向けの色とりどり粘土セットが売られていたんで、思いついて作ったのだ。花の茎が爪楊枝というテキトーぶりだったが、あんなのが嬉しかったのか。もっと良いプレゼントをたくさん贈呈したのに、値段で換算するとタダみたいに安い。
「友達が皆羨ましがったのよ。タイの男はぜったいにこんなことしない、って」
 いや。日本の男だってあんまりしねぇよ。
「実家に飾ってたら、近所のベン(当時小学生の女児)が遊びに来て、持って行っちゃったって。返して、って言ったら、もう形の違う塊になってたの」
 あー。
「ちょっと泣いちゃったんだ」そう言って微笑んだ。タイ人だからね。一時間もしたら立ち直っていたと思う。嘆いても笑っていても状況は変わらない、ってのがタイ人の料簡だ。
 じゃあ、オレンジジュース飲んだ? うちの奥さんはツラいことがあるとオレンジジュースを飲みなさい、と言う。ジュースで問題は解決しないけど、美味しいでしょ。
「いや。飲まなかった。それほどのことではありません」
 だよな。ただの粘土だもんな。
↑粘土の花。イメージです
 話は変わるが、こないだ映画を観ていてコドモが長い棒で、菓子の入ったくす玉を殴打するシーンで(あ。これピニャコラーダっていうんだっけ?)と思ったが、すぐに不安になってググったらピニャコラーダってのはカクテルの名前で、くす玉の名はピニャータだった。合ってんのピニャだけじゃん。
 
 まずいぞこれは。老化か? もう還暦過ぎだし、そのうちビンナガマグロとガングロナカマの区別もつかなくなるかもしれない。あれ、見分けが難しいよね。
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