もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

チャルダッシュ

2024年05月17日 15時41分32秒 | タイ歌謡
 すんげぇチャルダッシュを見つけたんで、まず見て貰おう。
Csárdás
 もうね。下品すれすれを通り越して下品。でも楽しそう。おまけに演奏者の「どうだ」と言わんばかりの顔。ドヤ顔という言葉は好きではないが、こういうのをドヤ顔というんだろう。うっすらウザい。この演奏はコンサヴァティヴなクラシックファンには評判が悪かろうが、Youtubeのコメント欄はブラボーの嵐で、否定的な書き込みがない。ハンガリー! って感じ。観客は洗練という言葉が似合わないし、演奏者は芸術家というより芸人と言った方がしっくりくる。巧いんだけどね。巧い芸人。
 メキシコの、ある種のマリアッチなんかを聴いたときの、背中がぞくぞくするような下品が、ここにもある。イサーンのモーラムにも通じる下品と格好良さのタッグが完成している。
 じつはチャルダッシュとダルビッシュって似てるけど、ちょっとだけ違う。チャルダッシュは「酒場風」という意味のマジャル語で、一方ダルビッシュは「荒野で修業を積む托鉢僧」という意味のペルシャ語だ。違いはあるけど、大体同じ物だね。酒場の托鉢僧はダルダッシュと言えばいいのか。名は体を表すの理どおり名前が似てると正体も似てくる。カルパッチョやサルガッソー、猿脱走や春学校も大体は似たような物だ。どれも砂糖を塗すと甘くなる。

 この演奏で思うのは、教養と洗練と技術の兼ね合いだ。たとえばロマン派音楽なんてのはラジオや蓄音機が登場するまでは貴族やそれに類する一握りの上流階級の音楽だったろう。今でこそ、おれみたいな野良ジジイでも聴けるようになって、人類の文明の発展には感謝しかないが、ロマン派が隆盛を極めていた19世紀くらいの民衆にはサブカルあるいはカウンターカルチャー的な存在として民謡に類する物があって、時を経てジャズや歌謡曲に形を変えていった。そのジャズを殺したのが電気楽器で、ジャズの時でさえ「音の大きい方が勝ち」だったのが、技術を磨くことなくボリュームのツマミを捻れば大きな音が出せるようになった。そりゃ電気楽器に人は流れる。ブルーズを下敷きにしたロックンロールが台頭しだしたのは第二次世界大戦後くらいだろうか。だんだんと技術は進歩するのだが、音楽的には進歩どころか退化したものが流行するような印象があって、聴衆の層が、それまで音楽なんかに興味を示さなかった者達にも届くようになっていたので、やはり進歩と言えるのかもしれない。
 やがて’70年代の後半には、音楽的な教養も、もちろん演奏技術もない者が見よう見まねで不満を歌詞に乗せて、まるで音楽みたいなことを始めるんだが、それがパンクだ。洗練なんか初っぱなから目指してない。呪いの言葉を吐き散らしたら不満仲間に大受けで、一部のオトナも(取り澄ましてスカした音楽なんかより、こっちの方が面白い)と群がった。それから少し遅れて楽器も弾かず、レコードプレーヤーでスクラッチ音に合わせたリズムに、さらに進化してサンプリング音源に主張を乗せるラップが出現してヒップホップになっていく。

 つまり簡単、且つ乱暴にまとめると、細々と上流階級の間で進化・洗練されてきた西洋音楽は、それまでロマン派音楽など聴いたことのない下民にとっては、何だかスカした退屈な音の羅列だったのではないか。そりゃ一部の者でも初めて聴いて(うっわ! カッコいい!)と思う者もいただろうが、そんな取り澄ました音楽よりも労働歌なんかの方が楽しかったのは想像に難くない。もはや古典(クラシック)と呼ばれる音楽も原初は強いリズムで踊りに直結したものだったろうに、お貴族様が「もっと上品に」「もっと優雅に」という方向に磨きをかけた結果だ。これは個人的な考えだが、昔はワルツなんてなかったのではないか。たとえば最初は2拍子×2で|𝅘𝅥 𝅘𝅥 𝅘𝅥 𝅘𝅥|だったのが、ゆったりとアクセントを付けてシンコペートすると|𝅘𝅥𝅭 𝅘𝅥𝅮 𝅘𝅥𝅭 𝅘𝅥𝅮|となって、それが二拍三連ふたつになるのは難しくない。UNIコード表に三連符がないので、ここだけ画像になるが、こういうことだ。

 ワルツってのは、こういうふうにできたんじゃないか、と思ったんだが、全然そうじゃなくて最初から三拍子だったのかもしれなくて、まあわからないし、それほど重要な問題でもないような気もする。

 まあワルツは余談だった。音楽的な素養の蓄積がない人々は、原始的な、というと語弊があるが先祖返りしたような音楽の方が受け入れやすい。もちろん、音楽的な素養がある者でもプリミティヴな音楽に感動しないということはないのだが、どうかすると「こんなのはシロートが聴く音楽だよ」と軽蔑しちゃうような、いけ好かない野郎もいる。
 誤解を恐れずに乱暴に言うと、西洋クラシック音楽の演奏は楽譜が読めることを前提にしたもので、それに対する民謡などの類いは口承の芸能だ。どっちが優れてるって話ではない。成り立ちと状況が違うってことだ。
 ということで、パンクからヒップホップの流れは、それまでの音楽の洗練と演奏技術の習得を目指してない。口承芸能の流れを汲むもので、なけなしの手元にある技術と知識と楽器などの道具で勝負する。そりゃ手法としては稚拙かもしれんが、やむにやまれず自発的に噴出したものだから、他人の心を直撃する。上手い演奏やキレイな旋律があるに越したことはないんだろうが、そんなものを悠長に習得するよりも、おれには今言いたいことがあるんだ。歌いたいフレーズがあるんだ、と罷り出てきたのがパンクで、それより更に楽器なんか持っちゃいねぇし、メロディーも浮かばねぇが、言いたいことは山ほどある。どいつもこいつも、どうにかなってしまえ、とギリギリ音楽なのがラップで、やがてヒップホップと呼ばれるようになる。
 ラップは、その成り立ちと関わって反社会的どころか犯罪自慢みたいな主張をする者すらあって誤解されやすかった。
 わかりやすい反逆の表現で、土着信仰の集会みたいに狭いところで盛り上がっていたのが、規模が大きくなってレコードが売られるようになったのが80年代。やがてヒップホップ専門のレーベルもできて、市場が形成される。90年代にもヒップホップは勢力を拡大した。いっぽう反比例するようにパンクは進化しながら洗練されていき、それは既存のロックやポップに近づくわけで、衰退した。21世紀になって白人ラッパーのエミネムの登場で、ヒップホップは爆発的に流行したといえる。エミネムは白人の貧困層の出で、ラップバトルで相手の黒人ラッパーを「こいつは黒人だけど親はカネモチだ。おれに比べりゃニセモンだぜ」とこき下ろし、喝采を浴びた経歴があるが、かつてない成功を収め、自身がカネモチになってしまうとそれまでのファンから「エミネムは偽善だ」と言われた。呪いの言葉で這い上がってきたときは「白人だけど尖ってて良い」って評価だったのにね。カネモチになったという一点で、それはもうヒップホップとしては矛盾してると批判される。カネモチが「こんな世の中ぶっ壊せ」と叫んでも、気持ちは貧乏人のときと変わらなくても、それはカルトかファシストのやべぇ奴にカテゴライズされてしまう。
 成功したラッパーが、その富と名声を捨てて、さらに反逆するという姿勢ならファンは付いてくるかもしれないが、そんな奴はいない。ラッパーになっちゃうような奴はわかりやすいから、カネモチになれば良いクルマや高い服を買ってご馳走たらふく食って高い酒飲んでキレイなお姉ちゃんを侍らせる。ただのドリームカムズトゥルーなんだが、カネのない貧乏人は「偽善だ」と僻む。偽善じゃなくて正直なだけなのにね。先にも言ったが、誤解されやすい芸能だ。
 この構造は何かに似てるなと思ったら共産主義だった。妬み僻み嫉みのルサンチマンが原動力になってることが多い。満ち足りてたら、共産主義で「こんな社会はぶっ壊せ」と思わない。で、マルクス主義の著作って、国のスキームをぶっ壊す処方箋としては、おっそろしく優れている。そんで、社会の構造をぶっ壊したあと、文化人も役人も企業もみんな収容所にぶち込んで、それまで暴れ回ってた連中が武装しながら役所仕事も生産業も担当するって訳で、マルクスも革命が成功すると生産性は落ちるけど、でも搾取がなくなって良い世の中だよな、と言ってる。つまりみんなで貧乏なシロウト集団になりゃいいじゃん、ってことで、要は国の破壊が目的でゴールだから、その先の展望がない。まあ確かに「国をぶっ壊してくれれば、そこから先はユダヤのおじさん達が素敵な国を作ってくれるよ」とは口が裂けても言えない。
 つまり、ヒップホップって共産主義だ。少なくともそういう一面がある。
 双六と一緒で、上がったらそこで終わり。合衆国のラッパーにはギャングスターだと言いたがる連中もいて、本物のギャングスターなら上り詰めてもボスとして君臨し続けることはできるが、ヒップホップスターになっちゃうと、その瞬間から転落しかない。あ。これは合衆国の話ね。
 日本のヒップホップに目を向けると、さすがに登場してから40年も経つと暴力的という誤解は減ったように思う。てか日本のラッパーって見た目は不良なのに社会への呪いの言葉を吐き散らしたりせずに、何か親や友達に感謝するような歌詞が多くて、インチキ臭いのが多い。いつからこんなふうになってしまったのか。おれが日本だけで暮らしていたのは‘95年までで、だからDA.YO.NEみたいに形だけ取り入れたのからスチャダラパーみたいにサブカル全開の主張になったところまでは知ってた。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件のニュースを知ったすぐあと、‘95年の5月にタイに渡ってしまったので、キングギドラが日本のヒップホップ界に革命をもたらすなんて知らなかったが、それにしても「きっちり韻を踏む」ってことがせいぜいの革命で、日本に於いて「反抗」がヒップホップの原動力になったことはなかったし、これからもないと思う。せいぜいが「オトナの押しつけるルールにNOなんだYO」みたいな薄っぺらい反抗で、だからかどうか日本で商業的に売る場合のヒップホップは「感謝」の大安売りみたいになった。いっぽう日本だけではないことだが、ヒップホップはグローバリズムと相性が悪いせいかローカリズムとは親和性が高く、ロックみたいに東京を目指すことが少ない。地元のローカルユニットとして活動している人たちが多いのもよくわからない。この事情は合衆国や欧州でもおなじようで、メジャーデビューを目指さないから地元で事足りるってことと、昨今はYoutubeなんかのサブスクで収入を得ることもできるから、都会に赴く必要がないとか、いろいろあるんだろう。
 反抗とか反社会的ってことと無縁なのはタイ王国でも同じで、タイの場合は合衆国から入ってきたんじゃなくて、連中よりもずーっと昔からタイにはラップ唱法があった。
 反逆なしの、ただ歌って踊りたい、が原動力だからね。生き方や不満をぶちまけない。楽しけりゃ良いじゃん。て訳で、歌詞がスケベ全開。男女の掛け合いで、なあ、やらせろよ。イヤよ、あんたの粗末なんだもん。みたいな歌詞でみんなゲハゲハ笑って、もう下品この上ない。いや。この下ないのか。
 それがモーラムだ。原初のやつはコード進行なんて概念もない。ペンタトニックスケールを行ったり来たりするような即興的なもので、無理に西洋音楽的に分類するとモード手法の曲作りだ。民謡ではあるが、長江からの流浪の果てに落ち着いた民で、西へ西へ逃れて辿り着いた雲南省あたりから南下してせいぜい数百年。民謡が伝統化されることもなく、未だに進化し続けて電気楽器やシンセサイザーが参入することに異を唱える者もいない。日本でこんなに柔軟な民謡は河内音頭くらいか。エレキギターもシンセサイザーも「これ、いいやん!」と導入する。モーラムがエロ頼みなのに対して、河内音頭はドキュメンタリーっていうか新聞の三面記事みたいな顛末を語って聴かせるというスタイルで、「新聞(しんもん)読み」というジャンルが幅をきかせてる。中でも有名な演目「河内十人斬り」は、おれの聴いたものでは妻に浮気され、その妻の兄に貸した金も戻ってこず、いい加減腹が立っているところにトドメとして、だんじりか何かの神輿を担ぐことができなくて激高。殺人に至るという筋書きで、「怒るでぇ、そりゃ」という共感がおれには薄く、未開の蝦夷地の人間には河内音頭は難しい。それはともかく、モーラムと河内音頭に共通するのは無指向性(ベクトルのない)感情爆発ということで、理屈なんぞの入り込む余地がない。反逆とか、なんでマイナス方面に気持ちを爆発させるかなー、って料簡だから、カネモチになっても偽善だなんて非難されない。よかったね♡と喜んでもらえる。
 アジアのほうが健全だね。世の中を善玉と悪玉の二元論で対立させて憎悪を煽るみたいな、トランプに騙されるような幼稚な国民ではないのだ。かつてタクシンや小泉純一郎に騙されたけど。
อย่าขอหมอลำ : ต้อย หมวกแดง อาร์สยาม [Official MV]
 ต้อย หมวกแดง(ドイ赤い帽子)という芸名だが、現在はレーベルとの契約満了ののち独立して本名のสุรชัย ไกรวาปี(スラチャイ・クライワーピー)で活動している。ドイは、昔からの渾名。1966年ウドンタニ生まれでメジャーデビューは‘98年。それまではキーボード奏者としてさまざまなバンドで演奏していた。下積みと呼べる苦労はしてないと言う。父は教師だった。母は主婦。この世代のイサーン歌手にしては珍しい中流出身。デビュー当時からモーラムにヒップホップやR&B要素を取り入れているが、ラップ唱法じたいがタイの古い芸能の一つなので、まったく違和感なく受け入れられた。モーラム界のスターの一人。
 曲のタイトル「อย่าขอหมอลำ」は、「モーラムなんか欲しがるな」って感じの意味か。
 MVの始まりでモンローっぽい女性が「ねえ、モーラムをお願い!」とおねだりするも、スラチャイが「あー。あんたはそんな感じだな。でもロックなんだ。おれはロックなんだ」と答えると、モンロー似の女性が「じゃ、それでお願い」と言い、演奏が始まって、それは紛れもないモーラム。ちょっとロックっぽいけど、モーラムが濃すぎる。
 以下、歌詞だ。

モーラムなんか 頼むなと言ったよな
モーラムなんか 頼むな
モーラム博士 なんて知らねぇよ 良い鞄でも持ってるのかい?
おれだって わかんねぇ
おれも わかんねぇんだ
奴がどんな鞄を持っているのか おれは知らねぇ
おれは生まれて一度だって モーラムなんか歌ったことがねぇ

おれはロックンロールしか歌ってねぇんだ
おれはロックンロールだけを演奏する
テクノ テクノ ロックだぜ
でなきゃ ハードコアみたいなの
あるいは ハードコアみたいに
これがハードロックだよ 上手いだろ
聴いて 楽しんでくれ 気分がいいだろ

ヒップホップ ポップ R&B (Yo)
ヒップホップ ポップ R&B (Yo)
いいだろ 聞けよ
おれの彼女は美人だろ
おれの彼女は美人なんだよ
なぜかって?
あんた どうするんだい?

このギャラで いいよ
今のところ この金額で十分だよ
問題なんて わかんねぇよ
毎日暑くて 大変だよな 大変だ
ノンハクタン地区に 出てきたよ
母さんは モーラムなんかやめろと懇願するよね
神父は 神の許しを請うている
うっせえな ロックなんだよ
ロックだっての

次に また来てみな
カッコいい詩が 聴けると保証するぜ
先生と一緒に 歌の練習もするんだ
踊りに来なよ おれたちに見てもらいに 踊りに来なよ
でも今は分かんねぇ 全く分かんねぇ

 意味のない歌詞だ。このあともこの調子で延々と続くから面倒くさくて半分くらいでやめちゃった。大したことは言ってない。リズムさえ合っていれば関係ないこと言ってもいいって感じなのは河内音頭と一緒で、河内音頭の歌詞も唐突に「アニキゃおれより歳が上」とか「ニワトリ裸足で風邪ひかぬ」なんて即興を平気でぶち込んでくる。

 ところで、こないだ入院してたとき、同室の爺様のひとりが「北方領土ってのは、返ってこないのかい?」と、おれに訊いた。聞けば爺様は樺太の生まれで、さすがに樺太は返ってこないだろうが、北方四島は返ってきてほしい、と言うのだった。
 そんなもん、返ってくるわけなかろう、とは思うが、なんだか純真な気持ちで訊いているようなので、「さあ……、どうですかね……」と答えるしかなかった。だって返ってきてほしいと言ってるのだ。それをバッサリ斬り捨てるようなことは言いたくない。おそらくおれたちが生きてるうちに返ってくることはない。ていうか、向こうとしては決着済みの案件なんじゃないか。
 こないだの戦争のあと、なんとなく棚上げになっていたのが2006年の「クリル諸島社会経済発展連邦プログラム」がロシアで閣議承認されて、(え? 返す気ないの?)と思った翌年、国連総会で「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択された。日本政府は賛成票を投じちゃった(あの流れではしょうがないよね)もので、「元々樺太を含む北方領土のアイヌはロシアの民」という主張とセットで、日本は圧倒的に不利になった。
 ふざけんな。こないだの敗戦のドサクサに紛れて領土かっさらったくせに、盗人猛々しいとはこのことだ、という論調が日本では主流なんだろうが、「なーに言ってやがる。ロシア革命が起こりそうな、おれたちの国がガタガタで大変だったときに日露戦争仕掛けてきやがって。こっちはそれどころじゃなかったから、戦争を仕掛けるには良い時期だってのはわかるが、ドサクサ紛れに領土かっさらったのは、おまえらが先じゃねぇか。同じやり方で取り戻して何が悪い。このクロトカノーギ(ロシア革命の頃の日本人の蔑称。短足という意味)が」ってわけだ。
 たぶん爺様は2016年の「もしかして2島返還?」という可能性があったので、そんな発言だったのだろう。あのときプーチンは、北方領土の米軍駐留を認めないという条件付きで2島返還を匂わせたのに、安倍晋三が「それは合衆国様に訊いてみないと……」みたいなことを答えたものだからプーチンが「いいかシンゾー。血を流す覚悟なしに領土を取れると思うなよ」とニコニコしながら言って御破算になった。あんなの「そりゃもう! 米軍なんて駐留させない! 約束だ!」って言っておいて政権が変わったら「ごめん。駐留されちったわ~」って言ってりゃ良かったし、プーチンだってどうせそうなるのかなと思ってたかもしれないのに優秀なポチだから「はい! アメリカ先輩に訊いてみます!」で、ぶち壊し。それだけじゃなくて安倍は「うーん。返還が無理でも経済協力はするね♡」って、三千億円の援助を約束して帰ってきた。さすが外交の安倍。2島返還の裏には、とんでもない罠が潜んでいたのを見抜いたのかもしれない。その地獄を逃れるんだったら三千億なんて安いものだったのか。知らないけど。
 ホッとしたのは北方領土に移住した人々で、クリル諸島社会経済発展連邦プログラムの承認後、セルゲイ・ラブロフ(当時外相)が「我々は(日本に)クリル諸島(北方領土)を渡さない。平和条約(締結)を日本側にねだる事もしない」と強気な発言を繰り返し、ドカドカ移民を送り込んでたから、移住した住民たちは(あー。また引っ越しすんのかと思ったけど大丈夫みたいだー)と胸を撫で下ろしたことだろう。移住した人たちの内訳でいち番多いのがウクライナ人で、全体の4割だって。次にロシア人が3割。残りの3割が雑多な人々だそうで、このときもウクライナの民は持て余されていたのか。
 まあロシアは「いわゆる北方領土はロシア人が最初に島を発見し開拓した」と主張してるし、アイヌはロシア人だとも言ってるので、北方領土を返す気がないどころか、日本が弱った時にはアイヌ問題で北海道を獲ってやりたいと思ってるだろう。不凍港が手に入るからね。
 日露戦争をけしかけて金銭や武器の援助をしたのが合衆国のユダヤ金融だったってのも根に持ってる。日本なんて手駒のくせに勘違いしてんじゃねぇ、ってのが本音なんじゃないか。
 そんなこと、純真そうな爺様に言うつもりはない。
 まあ、あれが返ってきたら、それはそれで元ロシア人住民もハッピー棄民セットとして付いてくることもありそうで、そしたら日本は国民に甘いから「じゃあトーキョーに引っ越しちゃおかな♡」という希望を「ダメに決まってんだろ」と撥ね除けることはできないだろうね。返還に伴い住民の国籍は日本に帰属しますってことになったら、滑り込みで爆発的に住民増えたりして。ていうかシベリア送りにした犯罪者を送り込んできたりして。そのくらいはやるよね。
 安倍晋三は、深い読みで良い判断をしたのかもしれない。
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