受験シーズンもたけなわで、竹縄と書いて正月の門松のことだな、と思ったらぜんぜん違う。受験シーズンと言っておろうが。正月は関係ない。たけなわというのは、古くは平仮名で「たけなは」であり、漢字だと「酣」と「闌」の二種類あって、どっちも読みは同じで「真っ盛り」みたいな意味だけれど、げんみつに言うとちょっとだけ違う。「酣」の方は正にピークという感じで、「宴も酣ですが、ここでお待ちかね、目隠しで触って当てよう社長の腹は何番の人? 今年の優勝賞品はタワシ50個だぁ!」みたいに遣う。いっぽう「闌」の方は盛り上がってはいるけどピークアウトしちゃった時の言葉で、「宴も酣ですが、そろそろお開きということで」というような遣い方が正しい。でも漢字で書くことはないだろうから憶える必要もないし、憶えて知識をひけらかすと、まず嫌われる。じゃぁ書くなよって話だが、ついでの連想で余談に走っただけだ。いきなり余談なのはいつものことだよね。
ニュースで受験生が映し出されたのを見て、出し抜けに思い出したのが、高校のときの合格発表だった。自分のではない。知らない人のだ。そんなことを憶えているのも、どうかしてると思うかもしれないが、自分の発表のときよりも印象が強烈だったのだ。高校1年生の終わり間近の、自分が通っている高校の新入生の合格発表の日だった。1時限目と2時限目の間の休み時間、窓の外の発表掲示板を見に来た受験生に気づいて、突然思いついた。「なあ! 合格した奴を胴上げしに行かねぇ?」男子高校生なんて、その生涯でいち番ばかな時期だから、あっという間に賛同者が十人近く集まり、うっひょー! などと叫びながら発表の掲示板前に走って行き、嬉しそうな顔の男子を見つけては「合格?」と訊き、怯えながら「あっ。はい……」と答えさせる間もなく全員で「うっしゃー!」などと受験生を持ち上げて「わっしょい」だの「やったー!」だの言いながら高く胴上げするんだが、これが無闇矢鱈に楽しい。
胴上げされる方も最初は面食らってはいるが、こんなばかばかりでもその地区ではいち番の進学校だったから満更でもなさそうで「うへへへ」なんて喜び始め、でもその頃になるとおれたちはすっかりこの胴上げの受験生への興味をなくして「よし」なんて一方的に打ち切って、他の男の子に「合格? ねえ合格?」なんて息せき切って訊いて回って次の獲物を探すのである。ノリの良い奴は「受かりましたぁ!」と自己申告で胴上げされたがったりして、あれは楽しかった。女の子は怯えた顔で遠巻きに見ていたが、いくらばかでも女子生徒の胴上げをする度胸などない。ドサクサ紛れに胸を触ろうなんて発想もない。ばか騒ぎモードになってるから性欲の入り込む余地がない。加えて少しの恥じらいは残っているから、男の子限定の胴上げだ。次の休み時間も! などと高揚して、食事を終えた昼休みくらいまでは発表を見に来る者がいて胴上げできるのが楽しかった。翌年も同様にやって、えらく盛り上がった。高校1年から2年生になったぐらいで進歩などしないのだ。夏に花火を見に行って大きいのが打ち上がると「やったー!」と叫んで市民の笑いを浚ったりして、田舎の男子高校生なんて、そんなもんだ。
野蛮といえば野蛮な田舎者だから、高校のマラソン大会で卓上ガスコンロやジンギスカン鍋、肉、飲み物などを分担してリュックに詰めて、折り返し地点近くでジンギスカンを焼いて食べたりするのが先輩から教わった伝統で、「せんせーい! 一緒に食べるぅ?」などとケラケラ笑ってて楽しかったなー、という話をしたら、「そんなバカなことが許されるんですか北海道って」と言われ、(え。そういうの、ふつうじゃないの?)と思ったが、どうも高校の時の笑い話をすると「メチャクチャじゃないすか」と言われることが多い。まあ道民の全員ではないんだ。おれたちだけだ。かんしゃく玉鳴らして爆笑してたら、先生が笑いながら「ほんと、おまえらウルサいな-」と肩を叩いているような学校だった。思い返すと秩序というものが希薄だ。ひょっとするとあの高校は学生を放牧していたのかもしれない。
ところで。
鼻の穴が縦に長い人というのがいる。電源プラグを挿すアウトレットの穴みたいな形。アウトレットってのは、古い和製英語で言うコンセントのことだ。イギリス英語だとまた別の言い方だった(ググったらソケットだった)。=(イコール)を縦にした感じ。悪口だと「鼻フック顔」ってのがあって、ひどい言い方だと思ったら鼻フックってSM用品らしく、需要の多様性に笑ってしまった。こういう鼻の穴の形は、つまり鼻が高いってことなんだろうが、ちょっと不思議な感じだ。そういう女性をなん人か知っているが、みな美人だった。ピアノ弾きのアリス紗良オットさんがそうだったよな、と画像をググってみたがそうでもなかった。歌手のaikoのほうがわかりやすいか。N先生も、そうだった。
N先生は容姿だけでなく立ち振る舞いも綺麗な人で、とりわけ声が綺麗な二十代後半の女性だった。透き通るような声が美しかったので、歌は歌わないのかと尋ねたことがある。
「わたしは、歌いませんね。母は歌うのが好きで、趣味の声楽クラブに通っています。発表会もあって、ステージで歌ったりもするんですよ。真っ赤なドレスで」そう言って恥ずかしそうに静かに目を伏せた。
ああ。ベルカント唱法。そう呟くと、N先生の顔が華やいだ。
「そう! ベルカント唱法。そんなことご存知なんて、あなたも声楽を?」
あ。いえ。まったく。子供の頃にチェロを弾いていたくらいで、でも歌は全然です。
「あら! わたしはピアノを少しだけ」
やっぱりお嬢様か。これは相当巧いかもしれないな。あー。そうですか。おれは中学生くらいからジャズにグレちゃって。自嘲気味にそう言った。
「あらあら。ジャズに」くすくすと笑った。「グレちゃった……。そうですか」
うん。グレちゃった。ロックとか。
「ああ。そんな感じなのね……」
どんな感じだよ。まあ落ちこぼれってことだよな。
N先生は頭の良い人だった。それなのに仕事は英語関係の団体職員で、英語の先生なんかもやっていて、英検の面接官もしていた。もちろんソツなくこなしていたんだろうが、もっと高度な職業でも難なく勤め上げるんだろうな、と思った。
へえ。英語が巧いのですね。
「いえ。あれは大学のときの教授が推薦してくれたので、なんとなく」
そうN先生は答えたが、巧くなけりゃ推薦なんてしてもらえないだろう。
あるときN先生に誘われた。「セントパトリックの日のパーティーがあるんです。一緒にいかがですか」
何ですかそれは。
「アイルランドの緑の日なのです」
はあ。ハロウィンみたいなものかな。そう思った。当時はハロウィンもまだ日本では一般に知られた習慣ではなかった。
「で、緑色の服なんかを着て、なければ緑色の物を身に着けるんです。緑の羽でも何でも」
え。緑の日って、植物関係なくて色の方かよ。緑色の服なんて持ってないな。てか緑色の羽って。普通そんなの持ってます?
「うふふ。なければ用意しますよ。お貸しします。それでね。イーッ、って言いながら他の人をつねるんです。イーッ! って」
イーッ、って。ショッカーかよ。もう何だかぜんぜんわかんないな。楽しそうだけど。
「楽しいですよ。すっごく楽しいんです。行きましょう」
そうだな。行ってみようか。いつなんですか、それは。
その日は予定があった。
申し訳ない。
「予定があるのでは仕方がないですね」ふう、と息を吐いた。「……では罰として、べつの日に、わたしとデートしてください」
え?
「わたしと、デートです」
あ。はい。
つい、承諾していた。お嬢様の迫力とでも言うべき魔力みたいなのがあって、けっして圧力が高いわけではないのだが、平民の血を抑えつけるような、お上品油圧システムみたいな謎のパワーというのが滲み出て、僅かに唇を微笑ませるだけで、ぐい、と下民を頷かせてしまう。ちょっとした頼み事なら、平民クラスまでは従順に操られてしまう。
デートは楽しかった。N先生が美人で頭の良いひとだったからってのもあるが、どうもおれはN先生に好意を持たれているような気がして、そりゃ楽しい。でもN先生は、おれが既婚者だってことも知っていたし、常識のある人だから無茶な誘惑なんてこともない。たんに面白い人だから一緒に遊びに行ったって感じ。友人なのに「デート」という言葉でスパイスをあしらってみました的な。そんな付き合いなのに、おれもお洒落して出かけて「あら素敵」って言われて、あー。これは北国の人がする格好なんです、とかテキトーなことを言っていた。楽しかったけど、これ以上踏み込むのはヤバいぞ、と思った。N先生は、まともな人なのだ。おれみたいなチンピラとは人としての格が違う。
デートの日、N先生はおれの事務所まで来て、おれの仕事が終わるのを待っていた。ちょうど外国の人と電話で打ち合わせをしていて、ニコニコしながら待っていた。
「準一級、ってことろね」N先生の声は透き通っている。「英検で言えば、準一級のレヴェル。一級を取るには、もうちょっと勉強したほうがいいかな」
はあ……。英検なんて考えたこともなかった。中学生のとき3級だったか4級だったかまでは受けて合格したな。
「面接試験、ありました?」
あー。あった、あった。
「じゃ3級ね。どうやって英語の勉強を?」
中学と高校で6年間。それと映画いっぱい観たの。北海道の田舎の映画館なんて、一回入場しちゃえば、なん度でも観られるんだ。だから「え? 今なんて?」って聞き取れなかった英語のセリフを2回目で「あー。そう言ってたのか。今度遣おう」とか。遣う機会なんてないのにね。それでも映画でも観てないと、あとは動かない山くらいしか見るものがないんだ。田舎だから。あとは上京してジャズのバンドで色の白いのや黒い連中と遊んでて、これが通じるから、あ。おれ英語いけるんじゃん、て思ったのね。でもAの音をくれとか、そこでブレイクとか、ジャズ用語を言ってる他は、褒め言葉がクレイジーとか四文字言葉みたいなダメな会話しかしてなくて。それなのに英語なんて簡単だって思ってたんだけど、仕事で喋ってみたらこれが全然ダメで。なんでバンドマン以外とは話がつうじないんだろうって3秒考えたら、おれ、ちゃんとした会話ってしたことなかったな、って。それで「これ一冊で英会話OK」みたいな本買って読んで矯正したんです。要は戦後の闇市英語の系譜だよね。
N先生はガラスで作った楽器みたいな声で、ころころ笑った。先生の声域はメゾソプラノ寄りのアルトだった。透き通った声で「あんた、フザケんじゃないわよ」とか言うのが想像できない。こんな綺麗な声では怒ることもできなくて人生がたいへんなのではないかな、と他人事のように思った。
しばらく経ってN先生から連絡があり、当分はいっしょに遊べません、と言う。ちょっと入院しなくちゃならなくて。うーん。血液のガンみたいな、そんな病気になっちゃって。昔は不治の病だったみたいだけれど、今はそんなことないからご心配は要りません。ではお元気で、と電話が切れた。
まさか最後の挨拶も少し含まれてるってことはないよな、と思ったりもしたが、日々の仕事に忙殺されるうち、思い出したみたいにN先生から電話があった。季節がふたつくらい変わっていたことに気づいて、少したじろいだ。
「お久しぶりです」あ。そうだ。この綺麗な声なんだよな。「病気は治りました。もう、すっかり良くなって」
ほっとした。恋人でも何でもないから、N先生のことを考えるということなどほとんどなかったが、良かった。心配していたのですよ、みたいなウソをついてしまった。
「それで、入院するときに仕事も辞めてしまったもので」妙に明るい声だった。「良い機会だから、しばらく放浪します。アジアを」
え。N先生、そういうタイプじゃないでしょ。と言いたかったが、きっぱりと言うので、ああそうですか、としか言えなかった。
「タイからマレーシア、シンガポールと降りて、インドネシア。もしかしたらフィリピン。香港。台湾……。そんなふうに回ろうかな、って」
わ、ワイルドですねぇ。
「うふふふ」
N先生が放浪に出かけた頃と時を同じくする感じで、おれは最初の奥さんと別居を始めた。詳しいことは書きたくないが本当に地獄みたいな女だったんで別離が叶って、それは幸運だった。当時持っていた運も守護霊も使い果たした気分だった。ゲームでいうHP(ヒットポイントっていうくらいだから攻撃力だと思ってたら、防御力のことなんだね)もMP(マジックポイント。魔力のことか)も蕩尽して茶葉の出涸らしの気分がわかる男になった。
掌の生命線が短くなって消えかかっていたもんね。いっぽう、おれの知能線は枝分かれしていて二重知能線というらしいんだが、どっちもずぅーっと長く伸びていて掌だけで終わらずに手の甲までグルッと延長して再び掌まで一周していてループ状になってる。アタマが良いわけだ。ウソだと思うかもしれないが、もちろんウソだ。二重知能線なのは本当だけど、べつに良いことなんてないから、手相なんてアテにならないよ。
まあ最初の奥さんも当時のおれも、愛だとか幸福なんてのは言葉だけで、そんなものはこの世にはないんじゃないかと思っていたような感じで、そういう人たちが一緒にいても良いことなんて、ひとっつもない。愛なんて考えてわかるものではなく、あれは知ってるかどうか、持ってるかどうかだけのことで、知ってるし持ってる人は生まれながらに、あたりまえのものなのが普通だった。おれみたいに殺伐とした人間が愛を知るには、そういう人から分けてもらうしかない。しばらく経ってから5年くらい暮らした人も、うちの奥さんも分けてくれたが、「べつに減るもんじゃない」ようだ。ありがとう。と、ここで礼を述べても意味がないね。
と、そんなふうに離婚も果たして「はぁー……」と安堵したころにN先生が帰国してきた。そういえばいち度だけ絵はがきが届いて「好きな人の夢を見ました。今夜もマレーの月が綺麗です」みたいな文が添えられていて(え……。まさかだけれど、まさか、だよなぁ)という思いに蓋をした。
お互いに近況報告などをして、楽しく語らった記憶がある。
それから半月もしないうちに、N先生のお母さんという御婦人が、いきなり事務所に来て、「お時間が許せば、ちょっとお話を」という。ぐいぐい圧が強い。N先生、あんなに控えめなのに。あの人も歳をとると、こうなっちゃうんだろうかなどと、ぼんやり思った。
とりあえず事務所の連中に聞かせても良いような話ではない可能性もあるような気がして、近くの喫茶店に行った。
「あの。お話というのが」すげえ。ベルカント唱法だ。「あの子と結婚する気はありませんでしょうか」内側にえぐりこむように直撃する先制パンチだった。
え……。いや……。お嬢さんとは、そういうお付き合いでは……。
「おほほほ!」コロラチュラソプラノだった。「それは存じておりますの。ただね。あの子。あなたのことが大好きなんですの」
え……。や、やっぱりか、と思ったが、だからといって「そうすか。じゃ遠慮なく」って話にはならない。
いや。ちょっと話が急すぎて、とか、結婚を前提にお付き合いしているわけでもなくですね、とか、ただの仲の良いトモダチで、みたいなことを言ったような覚えがある。ひとことで言うなら「困ったな」ということだが、住んでる世界が違うし、なんていうかお上品過ぎる。おれと釣り合いが取れないでしょ。それにおれ、ホヤホヤのバツイチっすよ。おこがましくてダメっすよ。
「ちがうの」歌うように言う。この人何でも歌うみたいに言うんだよな。「病気が治って、それで旅して回ったでしょ。あちこち歩き回るのに女の子だってバレないように髪も短くして男の子みたいな格好で歩き回ったの。そんな旅行をしたのも、あなたに憧れてよ。似たような旅がしたいって。で、ボロボロになって目つきも鋭くなって帰って来たのだけれど、どうしよう、おかあさん。わたし、あのひとが好きなんです、って泣くのよ。聞いたら、あなた離婚したばかりだっていうじゃない。ね。結婚してあげて。おねがい」
そんな意味のことを時間をかけて説得しようとしていた。
なるほど。娘さんみたいに素敵なお嬢さんに好かれるなんて、大変に嬉しいことではありますが、おれ離婚したばかりなんすよ。なんていうか、もう、女の人が怖くて、ちょっと今は何て言うかダメなんすよ、女の人は……。というようなことを砕けた口調も織り込んで、するっと逃げるのに成功した。
N先生のことは好きだったし、時期が違ったら(それもアリかな……)などと思ったかどうかはわからない。あの頃はホントに女の人が怖くて、全盛期のウィノナ・ライダーに求婚されたとしても断っていたと思う。とにかく当時は拒否したことにまったく後悔などなかったし、今になって冷静に考えても、おれとN先生では、先生がフシアワセになりそう、という気が漠然とする。あの人には、もっと上等な男がいいと思うんだ。
ただ、そんなことを言ってると、今の奥さんなんて雲の上の人で、本来おれみたいなチンピラが近づくのもいけないような人だったんだが、当時葛藤があったとはいえ、ぐいぐい行ってしまった。後悔なんてまるでしてないが、勝手だよね。
要は、おれの思い込みの強さだけで、冷静に考えるとうちの奥さんってかわいそうなのかもしれないが、歴史は戻せないし、まあ良いじゃないすか。
いいなー。古いルククルンで、ดวงจันทร์(ドゥアンチャン)というタイトルの歌だ。意味は「月」。オリジナルはスンタラポーン楽団だから優に50年は超えてる。素人の歌番組にゲストで出てるのが歌姫オラウィー・サッチャノーンさん。巧い。80年代から歌ってるけど、いっこうに歌声が衰えない。歌声の綺麗さでは指折りだ。オラウィーさんについては、なん度も説明してるから、もういいね。男の歌手は素人だから、わかんない。
演奏の最初、木琴(ระนาด - ラナーッ)の音程がヘンでキモチワルイのは7平均律の音階で作られたものを他の12平均律の楽器と合奏してるからで、キモチワルイのはあたりまえなんだが、タイでは珍しくない合奏だ。あんまり気にしてないのは、絶対音感や相対音感を持ってない人が多いんだと思う。プロの演奏者でも気にしてない人が多い。
この歌だけど、男女の掛け合いの歌詞の主がマンライと月だ。男性ががマンライ王。女性が月という役割の歌詞で、要はマンライ王が月に語りかけて会話してるということだね。マンライ王って誰、ってことだがタイ人なら知ってる。1902年に即位したランナー王国の初代の王だ。72歳まで生きたと言うから当時としては長寿だが、死因が落雷に打たれての電撃という。どうも作り話ではなさそうで、奇特な人生だね。ランナー王国ってのは、チェンマイを中心とした王国で、タイの北部語を「ランナー語」というのも、ここから来ている。歌詞を読むとマンライ王は月に恋してて、高貴なお方だから月もそれに応えてる。昔のタイは、そんなもんだ。鳥や川のせせらぎだって喋ってた。
(マンライ) 月 なんて美しい顔
(月) からかわないで 私は雲に覆われた月よ
雲が広がると 月は空を照らすだけ
(マンライ) でも私は雲上まで浮かない 希望がないのだ
(月) あなたは私に いったい何を望んでいるの
(マンライ) 月が大好きなんだ じっとしていると気が狂いそうだ
将来が心配だ 将来が心配
(月) 月は裏の面もあるのよ 他の街から見えるの
(マンライ) 月 なんて美しい顔
(月) からかわないで 私は雲に覆われた月よ
雲が広がると 月は空を照らすだけ
(マンライ) でも私は雲上まで浮かない 夢を見ることしかできない
(月) 難しいのね 何の夢を見ているの?
(マンライ) この地を治めるため 自分の人生を任せることを夢見ている
(月) それを終えたら ケット・カーンに戻るのですか
(マンライ) 月を見に来るだけで 他の場所には決して行かないよ
(月) からかわないで 私は雲に覆われた月よ
雲が広がると 月は空を照らすだけ
(マンライ) でも私は雲上まで浮かない 希望がないのだ
(月) あなたは私に いったい何を望んでいるの
(マンライ) 月が大好きなんだ じっとしていると気が狂いそうだ
将来が心配だ 将来が心配
(月) 月は裏の面もあるのよ 他の街から見えるの
(マンライ) 月 なんて美しい顔
(月) からかわないで 私は雲に覆われた月よ
雲が広がると 月は空を照らすだけ
(マンライ) でも私は雲上まで浮かない 夢を見ることしかできない
(月) 難しいのね 何の夢を見ているの?
(マンライ) この地を治めるため 自分の人生を任せることを夢見ている
(月) それを終えたら ケット・カーンに戻るのですか
(マンライ) 月を見に来るだけで 他の場所には決して行かないよ
他愛ないといえば他愛ない歌詞だ。
ところで前回のエントリーの「四季のおもいで」だが、「続きを読む」というのをクリックすると、一秒くらい全文が現れて、すい、と消えてしまっていて、(あれ? また何か不適切な表現でも?)と思ったが「不適切な表現があったから削除したもんね」というメールも来てないし、スマフォだと問題なく表示されてて読める。おっかしいな、と別のマシンで開いたら、これも問題なく読めて(Windows10なら読めるってこと?)と、別のWin11のマシンで開いたら、これも問題ない。メイン使いのマシンだけ、どのブラウザを使っても本文が表示されなく、でも他のエントリーは問題ない。つまり誰もが読めないってことでもなさそうなので、3秒くらい熟考して(よし! 気にしない!)と決めた。他にも読めない人もいるかもしれんが、どうか気にせずに。どうせ大したことなど書いてないんだもんね。(追記:2024年1月22日に投稿方法を旧バージョンで公開したら表示されるようになった)
そういえば無問題をモウマンタイと読む人が多くて、(なぜ廣東語で言う? 標準語の北京語でウーワンチーじゃなくて?)と思っていたが、この機会にググってみたら、そう読ませる映画のタイトルがあったんだね。公開時に日本にいなかったんで知らなかった。
さいごに、北陸の震災から20日も経ってしまった。気になっていたのは「高速増殖炉もんじゅ」は大丈夫だったのかということで、近いっちゃ近い。あれがメルトダウンでもしたらフクイチどころではない。本州の殆どがエライことになっちゃうんじゃないの? と思っていたが、ググってみたら去年の10月14日に核燃料の取り出しを終えていたんだね。ひと安心だ。その燃料がどうなったのか、どこにあるのかという記事が見当たらないが、とりあえずは大事にはならないようで、それに関してはよかった。ついでに「高速増殖炉もんじゅ」というのは声に出して読みたくない日本語で、早口言葉になってるしロクでもないよね。