もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

ニュー(新しい)と、ニュー(結石)

2020年03月26日 17時48分18秒 | タイ歌謡
MV ถามสักคำ - N3WwY นิว ปทิตตา HD [1080p]
 ニュー・パティッター(นิว ปทิตตา)さんといって、ニューというのがニックネーム。
 一時、このMVに熱狂的な中国人(たぶんオタクと思われる)が食いついて狭いけれども異常な人気を誇ったのね。結構な再生回数だったんだけれど、コメントが中文一色で漢字まみれ。一応オフィシャルの動画だったから中文を嫌ったのか、新しくリセットしちゃった。この人気は日本にも飛び火するかと思われたところで、勇み足的に「はじめてのチュウ(藤子不二雄アニメの歌のひとつ)」を日本語で歌わせて日本でデビューを図ったものの、そのあとでヒットしたって話も聞かないし、まあ鳴かず飛ばずだったんでしょうね。わりと最近のことかと思ってたらもう10年近くまえの話で、そうか。日本のデビューと東日本大震災が重なって、そりゃ駄目だ。当時は、それどころじゃなかったもんね。今youtubeをチェックしたら、日本語で歌っていた幾つかの歌曲が跡形もなく消されていて、日本のことは「なかったこと」になっているようだ。
 今ではニューといえばティティプーン・テーシャアパイクン (ฐิติภูมิ เตชะอภัยคุณ)という若い男性スターを指すわけで、すっかり忘れられたようで、と書いて気がついたが、この人、タイでも有名になるまえに日本デビューを図ったからタイでも鳴かず飛ばずだった。ちょうどこのMVが話題になった頃にタイのTVでニューさん出演の「ปาย อิน เลิฟ(パーイ・イン・ラブ)」て映画を観たら、チョイ役で出ていたものの大した印象もなく、おまけに映画はつまらなかった。

 ニュー(นิว)というと英語のNewをタイ文字表記するときの綴りがこれで、どっちかというと「ニウ」の方が発音が近いと思うんだが、そういう表記に決まっているようなので、ここでは慣習に従います。
 ところで、ちょうどニューさんを日本で売り出そうとしていた頃、俺は個人的に腎臓の結石でラーマ9世病院に運ばれていたのだった。千年に一度と言われる東日本大震災から逃げて、ほうほうの体で(これ、漢字で書くと「這々の体」で、うわー這っちゃうのかよ。しかもダブルだし、と思い、良いニュアンスの言葉だとは思うけれど、年寄じゃないと読めないような気がするので、平仮名表記にします)バンコクにたどり着いたら今度は百年に一度の規模のチャオプラヤー川の大洪水に見舞われて軍の助けで避難したりしてて、そうなると飲水がね。飲料水が豊富にあるわけじゃない。つうか飲水の確保に苦労した。街中水浸しなのに。
 35歳のときに初めての尿路結石を患って、あれは痛みの王様という有り難くない異名があるほどで、出産よりも痛いそうで、もう何度も経験したせいで、「おれ、出産イケるかも」と思ったけど、少し考えたら肉体の構造的にそれは無理というものです。
 予防としては「水分を多く摂る」。これに尽きるわけで、今は毎日2リットル以上の水を飲んでて、もう8年ほど結石の痛みとは無縁だ。要は今の所、この時の結石が最後になってます。
 しっかしアレは痛くて痛くて、初めてのときは「もうだめだ。おれ、死んじゃうんだろうな」って覚悟したもん。そのくらい痛い。いや本当に普通の痛さじゃないんだって。最初にいきなりズン! て来て、「盲腸? 違うな。何だかわかんないけど、これはヤバいぞ。これ、ぜったいヤバいって」って、病院に運ばれるクルマの中で、みるみる生気が失われて、反比例するように、どんどん痛さが増していく。心配した当時の同居人が腰をさするんだけど、それがイヤで「触らないで!」とか酷いこと言っちゃう。病院に到着した頃が、その痛みのピークで、まず車椅子に座らされるんだが、じっとしてると痛いんで、車椅子を降りてみる。だが、動いてても痛い。もうね。どうして良いのかわかんない。とりあえず、廊下に金具で止めてある金属製の棒の手すりがあったんで、それに掴まったんだ。
 そしたらその棒が、そんなに太い物じゃなかったんで、痛さに任せて掴まってる俺は、その手すりをぐ、ぐ、ぐ、とへし曲げてしまったのね。
 ちょうど、そこへ急患として爺様がひとり、救急車で運ばれて来たんだけど、「うーん」て唸りながら廊下の手すりの鉄棒曲げてる俺と、「急患だもんね」て余裕ぶっこいてる爺様と、ふたり見比べた看護婦さんが、きっぱりと俺を指差して「あなた! こっちへ!」って案内するわけだ。

 処置室に寝かされた俺は、「こんなとこで死ぬのかー」とか思いながら、どこか痛いのかとかの質問に答えたりして、「じゃあ、お尻出して」と言われるままに尻出したりしてて、いくつか会話してたら、急に痛みが引いたんだ。
「あ。なんか痛くなくなった」と俺が言ったら、看護師が「うん。お尻にモルヒネ打ったからね」と答えた。
「へえ。あんまり痛すぎて注射したのも気が付かなかった」と、俺は体の力を抜いた。
「ああ、そうかい」と看護師。「じゃあ、尻を仕舞ったらどうかな」

 人心地ついて診察室へ行くと、いかにも育ちが良さそうなタイ人医師が「たぶん石(ストーンズ)ですね」と言った。あの頃はまだタイ語がヘタで、英語でお願いします、と言ったからだ。
「ストーンズ?」
「はい。キドニーに」と医師は言った。キドニーは腎臓だ。これは知っていた。「小さな石がね」
「ああ。ストーンズ」結石の事だった。本当は英語でカルキュラス(Calculus )というのだが、俺がばかそうだったんで、簡単な英語を使ったんだろう。俺は医師からペンを借りて紙に腎臓の絵を2つ描いて、その下に膀胱を1つ。間を繋ぐ尿路に詰まった石を描いた。「ここがキドニー(腎臓)。これが何て言ったっけ? ああ! イエス! ブラダー(膀胱)。ブラダー。で、ここ(腎臓と膀胱の間の尿路)に、石、と」
「イグザクトリー(そのとおり)。ここに石です」
 そう言って、医師は俺からペンを取り上げると、膀胱から伸びる尿道と、チンコの絵を描き加えやがった。
 しかし、痛みから開放された安堵と、モルヒネのせいで、少しもおかしいとは思わず、深夜の診察室で男がふたり、チンコの絵を挟んで、うん、うん、と頷きあっていたのでございました。
 最近ではモルヒネなど打たず、ボルタレンの痛み止めの飲み薬でオーケーなんだが、あれもよほど強い薬なのだろうな。
 ほとばしるリアリズム。たとえチンコといえど、無駄な描写など、ないのだ。
「ところで」医師は言った。「私は救急医で、結石は専門でないから、明日専門医の所へ行くように」

 翌日、専門医のところで、挨拶抜きで、いきなり「アイ ハブ サム ストーンズ」と慌ただしく捲したて、今思うと、とんだ与太郎さんだ。「ここがキドニー」ってまた説明しなくちゃならなかったのだが、専門医はチンコの絵なんか描かなかった。まともな人は、初対面の人間にチンコの絵を描いて見せたりしないものだ。
 後に知ることになるが、結石はタイ語で「นิ่ว(ニウ)」と言います。この歌の歌手の「นิว(ニウ)」と発音が近い、っていうか声調が違うだけで、発音は同じですね。声の高さが違うだけ。綴りも調声記号が付くかつかないかの違いだけです。

 さっきも書いたが、นิว(ニウ)ってのは渾名としてはありふれたもので、意味は英語のNewだから、最先端とかそういうカッコいい感じ。世の理としては、そういうものは移ろいやすいよね、というような事を鴨長明さんも言っていた。
 そういえば鴨長明が晩年住んでいた「方丈の庵」は簡単に解体できて、大八車で引っ越しできたというんだが、引っ越しとは言わないのか、それは。うーむ。家も一緒に移動するからね。引っ越しとは違うね。カタツムリみたいな。
 まあとにかくイカれた人でカッコいい。鴨長明が生きていたらなぁ、と思うんだが、生きていたら今では865歳(計算した)で、そんな計算には何の意味もないと思う。そんなに生きる奴は、そういない。長生きといわれるウニやゾウガメでさえ、せいぜい200年かそこらの寿命だ。サンジェルマン伯爵は2,000年生きたという話もあるが、そんな話を誰が信じるものか。そもそも何もかも儚いというのが鴨長明の主張で、そんな人が長生きしてはいかん。
 流行り廃りの話だった。今から40年ほどまえ、「ナウい」って言い方が流行って、これは数年経つと廃れてしまい、「いや。ナウいって言い方は、もうナウくない」とか言うのを聞いたことがあって、おお、これがメタ否定かと感動したもんだが、当時「ナウい」の反対語だった「ダサい」は死語にならず、今でも現役だ。
 ところで、この「ダサい」の語源は「だから埼玉」だってのは、もう忘れられているような気がしてならない。まあ地域差別がなくなるのは良いことだから、それで良しとする。
 それはそうと、二十数年まえ、アジア通貨危機のあと、バンコクのタニヤ通りのクラブが面白いようにバタバタ潰れてしまい、その後タイ人と思われる経営で、たくさんの日本人向けクラブが雨後の筍よろしく乱立したことがあった。あんまり興味がないので、無くなった店の名前は憶えていないが、新装開店した幾つかのクラブの名前が珍妙だったのは憶えている。
 中でも異彩を放ったのがクラブ「あたらしい」と、クラブ「ちくび」だった。
 いやいやいや。駄目でしょ。それは。まあ、どうせそのうち潰れるだろうと思っていたが、二十数年を経た今でも「あたらしい」は営業を続けていて、ネットの広告を見る限り盛況のようだ。ここは景気づけに「ニューあたらしい」などとするのも良いかもしれないが、大きなお世話というものだ。クラブ「あたらしい」は店のオーナーの渾名が「ニュー」さんだったりするかもしれない。というより、たぶんそうだ。
 それにしても「ちくび」は、もう跡形もない筈だが、いったい何を考えたら、こんな店名を思いつくのか。オーナーの渾名ですらないだろう。そんな渾名は聞いたこともない。ていうか嫌だな、そんな渾名を付けられるのは。

 さて、ここまで長々と書いてきたことだが、見事にこの歌と関係ない。どうせなら、いっそのことかつてダウジングでタングステンの鉱脈を発見したときのことでも書こうかと思ったが、よく考えたらそんな経験はないのであって、テキトーな嘘は良くない。

 さてさて、歌詞だ。正直、どうってことのない他愛ないものだ。

本当に知りたいの
話をするだけのただの友達で良いのか
特別な秘密の関係か
知りたいのは、あなたの心
それは私と同じでしょうか
手遅れになるのはイヤ
すぐに教えてほしいの

 と、けっこうウザいね、この歌詞の女。なんか延々とこんなこと言ってます。じぶんのことを「この人-คนนี้(コンニー)」って呼んでたりして、面倒くさいニオイが漂ってくる。まあニューさんの作詞ではなくて、ニューさんは歌わされているだけだが、なんかニューさんは、いかにもそういうことを言いそうで困る。
 それに比べて曲は普通にボサノバだ。よくできてる。
 ちょうどこの頃からバンコクでは小野リサさんの曲がかかったりして、ボサノバはイケるとでも思ったのだろうか。本来ボサノバはサロン音楽みたいにインテリの玩具だったから、こんな歌詞とは相容れない筈なんだけれど、アメリカのガサツな人々にはエレベーターミュージックなんて呼ばれてるから、「なんか軽い音楽」とでも思われたのかもしれない。そういえば古い映画で「ブルース・ブラザーズ」ってのがあって、あの映画ではジョン・ベルーシとダン・エイクロイドが乗ったエレベーターの中でボサノバが低い音量で流れてたりして、その辺の事情を自然に揶揄してて、ほんと、よくわかってる。
 ただ、あの映画は翻訳の字幕が駄目で、たとえば「(コドモの頃)ハープを弾いて(play harp)」という孤児院の院長のセリフがあって、ブルーズのハープといえば、あのどデカい竪琴の事ではなく、ハモニカの事だ。じっさい「ブルースハープ」でググると、ハモニカの写真がゾロゾロ出てくる。だいたい孤児院のビンボーな悪ガキが竪琴弾く訳なくて、ブルーズ演奏するような奴も大抵はバカで下品で貧乏だからビンボ臭いハモニカを「ハープ」と呼ぶような自虐と見得なんだ。だから、あそこは「ハープを吹いて」と、サラッと訳していればカッコよかったのにね。

 で、ニューの歌だ。結局は流行らなかった。だって、なんていうか、この歌手の女の子、あざといっていうか、計算みたいなのがミエミエで見ていてツラくなる。中国のオタクさんは、こういうのが好きなんじゃ、やられ放題じゃないの。
 というわけで、歌詞のウザさと歌い手のあざとさの、夢のタッグチームが成立してしまったので、そんなものが売れるわけない。

 あと、この曲はスタジオで(画を)撮ってるバージョンもあって、こっちもあざとい。音源はたぶん一緒だから最後まで聴かなくてもいいんじゃないかな。
ถามสักคำ (studio version) / Newwy (นิว ปทิตตา)  

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