もっとましな嘘をついてくれ ータイ歌謡の日々ー

タイ歌謡について書いたり、うそをついたり、関係ないことを言ったりします。

キットゥンと48人のカズーで第9の合唱付き

2020年03月25日 20時15分27秒 | タイ歌謡
คิดถึงนะ Lazy Sunday2 Mr.Lazy feat.แพรว คณิตกุล [Official MV]
 これね、「คิดถึงนะ(キットゥンナ)」ってタイトルで、意味が少し難しい。
「คิดถึง(キットゥン)」は、恋人同士が電話で「愛してる」ってことを言うときに使ったりする言葉で、英語だと miss you って訳されることが多い。つまり相手が今、ここにいない場合に使う「愛してる」で、日本語的には「会いたい」とか「恋しい」の方が近いのかな。でも、中身は「愛してる」です。もう、めっちゃ愛してる。で、「คิดถึง(キットゥン)」に「นะ(ナ)」がついてる。この「นะ(ナ)」ってのは日本語の「な」と同じで、「~だな」とか「~なのよ」みたいな意味です。だからこのタイトルの和訳は「恋しいのよ」とか「(あなたに)いてほしいの」とか、そんな感じ。
 でも、「キットゥン」は恋人同士だけみたいな関係だけに使うのかというとそうでもなくて、会社の出張で半月くらい不在のあとで出社するといろんな人から「どこ行ってたの。キットゥンな」って言われたりして、ちょっとビックリしたんだが、これは皆がおれをとても愛してたって程ではなくて、「寂しかった」くらいの軽い気持ちで言ってたんだと思う。まあでも、そんなこと言われると悪い気はしないものです。いい言葉だと思う。
「คิดถึง(キットゥン)」に当たる言葉が日本語にない、と言うと、うちのヨメは「やはりニホンゴには問題があるのではないか」と言う。「こんなに重大なキモチに名前がないなんて。でも、あなた。タイ語憶えてよかったね。わたしにキットゥンできるもの」
 はい。そうですね。
 ところで、ポルトガル人特有の感情とまで言われ、ファドやボサノヴァの重要なキーワードとされる「サウダージ」または「サウダーデ」というのがありますね。郷愁、孤愁、憧憬、思慕、切なさ、などの意味合いが強い。これが、かなり 「คิดถึง(キットゥン)」に近い。まあユーラシア大陸で地続きだし、そういうこともあるんだろう。

 この歌なんだが、歌詞が良い。MVでは雨に濡れてクシャミをすると恋人に会えるみたいなストーリーになってるが、映像は歌詞と全く関係ない。タイのMVは、そういうの多いね。

 空を見つめて 浮かぶ雲を見ていた
 落ちていく感覚 揺れる葉
 ふいに微風がやみ 孤独がそこにいた

 にわかに旋風 そして雨の匂い
 彼はどこへ? 見失ってしまった
 あなたがいなくて寂しい

 雨は降るのに 私の心は焼けるように熱い。
 わたしの運命なんて いつもちぐはぐ
 神様からの贈り物 それは孤独と不運

 雨が思い出を連れてくる
 でも今は あの人が雨に降られているかどうかも知らず
 濡れているのか 雨宿りしているのか
 心配することもできない

 あの人はどこかで雨に降られていないだろうか
 濡れたりしていないだろうか
 
 雨降りの中を帰宅することもあるだろう
 誰かを送ったり 誰かに送られたり
 そんなの嫌 あの人に構わず帰宅させて
 気にしている人がいるということを忘れないでほしい

 雷が嫌い
 あの人がここにいないなら
 目隠しされているのと同じこと
 あの人なしで誰に頼ればいいというの

 私の心に降り注ぐ雨
 そう
 わたしの運命なんて いつもちぐはぐ
 神様からの贈り物 それは孤独と不運

 雨が思い出を連れてくる
 でも今は あの人が雨に降られているかどうかも知らず
 濡れているのか 雨宿りしているのか
 心配することもできない

 雨降りの中を帰宅することもあるだろう
 誰かを送ったり 誰かに送られたり
 そんなの嫌 あの人に構わず帰宅させて
 気にしている人がいるということを忘れないでほしい


 難しいね。タイ語の歌詞はもっと良いんだ。訳がヘタで申し訳ない。
 歌っているのは、プラオ・クニックンという人で、女優のほか歌手も手掛けてラジオのDJやったりモデル稼業もこなすし、コラムも書いたりしているんだが、一部で有名です。すごく有名ってわけじゃない。でも三十代後半のタイ人の殆どが彼女の歌を聴いたことがあるはずで、その狭い世代にピンポイントで人気があった。
 彼女は10代の頃、X3スーパーギャングというバンドでボーカルをつとめて、これがバカみたいに流行ったんだが、ケネト・ピアウとかいう仮名で参加していたので、それがこのプラオさんだって知らない人が多い。これがそうです。ありがちなコード進行だけど、なかなか良い曲で、最後まで聴いてしまった。それにしても若いね。つうかコドモだ。
L.O.V.E. - คูณสาม ซูเปอร์แก๊งค์【OFFICIAL MV】
 この頃の事は本人も隠してるって訳でもないんだが、ことさら吹聴するのもどうなのよ。あんまり有名になりたくない、っていうね。有名になるということは誤解されるということだ、とボリス・ヴィアンも言ってたでしょ。まあ、アタマの良い子です。真面目にアサンプション大学出てるし。アタマが良くて育ちが良いタイ人にありがちで、好ましいですね。いい感じに年齢を重ねてる。今年36歳。
 有名ということなら、このタイトルのMVの喫茶店のヒゲの親父の方がよくドラマに出ていた俳優で、でも脇役というかチョイ役ばかりではあっても俺が見て「あー。この人か」と思うくらいだから有名なんだろうと思うが、名前を知らない。仕方がないんでヨメに訊いたら、「あー! この人ね! えーと。……知りません」ということで謎のままだった。
 MVは、やっつけ仕事というか、バンドの爺様たちは誰一人楽器を弾いてないですね。弾くフリだけ。見た目が可愛い爺様を集めましたってことなんだろうが、そういえばタイで爺様のバンドマンて見ないな。爺様ばかりの凄腕バンドがいたらいいのに。
 それとついでに、雨に濡れてクシャミするとき、タイ文字で「ฮัดชิ้ว」と表示されますが、これはハッチューと読んで、日本語で言う「ハクション」ですね。気になるのは焙煎済みのコーヒー豆を紙袋に入れただけで土砂降りの中を、ずぶ濡れになってデリバリーに来る男なんだが、こんな奴はいませんね。コーヒー豆を雨に濡らして台無しにしちゃう奴が、そういう仕事に関わってはいけない。
 楽曲だが、特異な所はない。わりと平凡なコード進行だし。アレンジも珍しい事のないピアノトリオだ。あんまりお金をかけてないけど、こういうのは金がかかった方が良いってものでもない。
 金がかかってないといえば、この曲には別バージョンもあって、そっちのほうが、もっと安上がりなのだった。
คิดถึงนะ (เบา เบา Version) Mr.Lazy feat.แพรว คณิตกุล [Official MV]  
 こっちなんかバックバンドの楽器演奏すらなくて、コンピュータの音楽ソフトを使った「打ち込み」です。เบา เบา Version(バオバオバージョン)とありますが、เบา เบา(バオバオ)ってのは静かとか穏やかって意味ですね。MVに出てくる女性たちも、「これテキトーな素材繋げただけだろ」って感じで、歌手も出てこないし、歌詞に合わせようとしたストーリーもない。オリジナルバージョンでピアノ・ソロだった部分はトランペットか何かのブラスのように聞こえますが、これはカズーですね。
 カズーってのは玩具みたいな楽器で、これを咥えて歌うと管楽器みたいな音になる。練習はほぼ不要で、だいたい誰でもいきなり演奏(ていうのかな)できます。
 値段も安くて、今amazon見たら、配送料無料で¥89-から。安いね。売ってる楽器の中では最安値なのではないかな。一番高いカズーは¥7,820-で、どんなのかと思ったら48個セットだった。そんなに要らないよね。ていうか48人が一斉にカズーで歌ってるバンドってのがあったら、それは嫌かもしれない。
 あ。でも年末のベートーヴェンの第9合唱付きを、これでやるのは良いんじゃないかと思った。是非見てみたい。ひょっとしたらベートーヴェンが好きになれるかもしれない。

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