葉山の海と森

葉山町の自然と日々の暮らしのスケッチ

変わらない政治

2023-12-01 11:58:22 | Weblog
0⃣少し、体調がよくなってきたので政治問題を考えてみようと思った。今、盛んに言われている国会での答弁にスマホを使用して良いか、あるいはダメなのかというよく分からないやり取りだ、誰しもある程度年を取るともの忘れぐ話と思うが、いかがなものか。スマホをみて答えるようじゃ本当の議論にならないのではないか、小泉二世も河野二世もあまり頭がよくないというのが天下に知らしらしめためたのでそれはそれで効果があったのかは思うがおバカ二世は芸能界だけで良いと思うのだががどんなもんだろう  
とにかく今日本に必要なのは本当の意味でのステーツマンであり、国民の奉仕者であるべきなのだが、パーティー券の水増しなどどこにステーツマン矜持おいてきたのであろうか。
この国を変える手立てをこれからも考えることが自分の本分と思いながら老体に鞭打ちながら師走を迎えた思いである。寒くなります。皆様のご健勝を祈るひびです。
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再起への歩み

2023-11-02 10:56:13 | Weblog
脳梗塞の後遺症かパソコンのキーボードが打てなくなりだいぶ日が経ってからの再出発です。学生時代や仕事仲間の激励もあって何とかリハビリ生活も様になってきた感がありが打ち間違いや言葉の変なところはご容赦願いたい。この半年闘病に徹したした分、多くの友人から励ましのれんらくをいただいた。こうして再起をかけてまた書けるのははなんと幸せなことかと感謝の念しかない。前にも書いたが人のために尽くすというのはどういうことかと療養中に考えていた。自身は脳梗塞の病を得て何とか生き延びようと必死で人の事はあまり考える余裕がなかった。少し将小康状態になり、人の事もかんがえられるようにになってなってきて出このブログも再開しようとリハビリのつもりで再開し再起への足掛かりとしたいと思うようになってきた。

一番はイスラエルのガザ侵攻である。何としても大儀のない戦争である。不思議なのはキリスト教の国からは非難の声が上がらないのである。むろん仏教国でも今の近代兵器は過去の戦争とは違う武器で戦っている。人の姿が見えないで自分が人を殺しているという実感がないままで殺戮を行っているのである。そこには人間の尊厳すらないのである。前にも書いたが、私はクリスチャンであるが病気のためにこの10か月は教会に行っていない。何よりも宗教界からは声が上がらないのである。喧嘩は両成敗というのは昔から言われているが、双方話し合いができないものか?ここに来て本物の宗教か否かが問われている。オーム真理教も統一教会も宗教のあだ花だったことが暴かれたのが最近の事だが ローマカトリックもプロテスタントもいわゆる仏教界もあだ花で終わってしまうのか?よくよく考えて欲しい。毎日のニュースを見て忸怩たる思いは私だけだろうかと思う日々である。
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再出発発脳梗塞を病んで2

2023-06-23 16:46:06 | Weblog
2月の14日にハートセンターに入院。すぐにmri,ctの検査をして祖結果右の欠血管切れていて左足手が動かず肢体9不自由な体になりました。、約一ケ月のハートセンター暮らしで次はリハビリ専門病院への転院です。近くにあった七里ガ浜の聖テレジア病院がリハビリの専門病院で訳45日の入院でした。
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再出発(脳梗塞を病んで)

2023-06-06 15:43:01 | Weblog
この数か月休んでいたブログを再開いたします。実は2月13日の夜横須賀で飲む機会があり帰りに小須賀駅で少しフラット来たのが始まりだった。以前近所の山道で目が回ることはあったのだが、今回は立っていることもできず駅の柱に寄りかかって電車を待っていたのだが、ようやく逗子駅についてバスに乗っていつもの通り位細道を歩いてい家までたどりついたのだが安心に新亜札に向かう。それから数時間のもろもろの検査を経て結論は右側の動脈が切れていてそく入院となった。その時のことはあまり覚えていないのだが、会議委に仕事に行くyという夢をずっと見ていたように思うのだそれからの記憶は約4日間くらいの間全くなく自分でもどうなったのかもわからなかったが結局脳梗塞というう診断でに入院生活が始まった。人生で初めての入院で不自由なことばかりであったが看護する人々の熱心さや対応には頭の下がる思いいっぱいであった約訳ひと月の治療dでハビリ病院へ転院隣んそこで約2か月の療養で何とか今、自宅に仮こうしてブログを再開できている、
明日以降またリハビリ病院のことをかいていこうとおもう。脳の病気なので多少文字がおかしなところは はご勘弁頂くとして何かのお役に立てばと思っている。
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リタイア生活に入る

2022-10-27 15:19:07 | Weblog
22歳で仕事を始め、26歳で独立以来50年以上電機業界に身を置いて過ごしてきたが、今月で辞めることとした。
会社そのものは息子に譲った形になるが、一切の仕事にピリオドを打つことにした。但し、在庫の整理や書類の後始末で
当分ゆっくりはできない。山あり谷ありの仕事人生であったがこれからどういう生活が待っているのか、楽しみであるが
不安でもある。持病の腰痛や高血圧、糖尿など薬を7~8種類も飲んでいるからである。

自律神経というのはまさに自立する神経であると思う。自分が如何に自分をもって歩けるか、判断できるか、生きて行けるか等
まさに自分を律する神経でよくも50年も続けてきたものだと自分に表彰状をあげたいくらいだ。
世の中の裏と表を見て落ち込んだこともあったが、反面生涯の友人もできたし、仕事と称して海外にも出かけたし、旨いものを
たらふく食べたし、人様以上に幸せだったように思う。

我々の時代は良かったのだ。今の時代で働く息子たちを見ると可哀そうになることがある。管理され、コストを抑えられ、社会規範
を強要され、この国の会社の在り方を変えなければ世界と太刀打ちできなくなる。コンピュータの無い時代から今の時代に
なってこの差は本当に大きいのだ。管理されることに慣らされて独自色が出せない構造になっている現状は世界と勝負できない
と思うのだ。G7の中で最低の成長率で韓国や中国にも後れを取っている現実を為政者は直視すべきだと思うのだ。

今後折に触れ書こうと思っているが、仕事も辞めるのでコンピュータがいらなくなるので、これが最後になるかもしれないので
長い仕事人生の中で無事にここまで歩いてこれたことを感謝してとりあえず最後としようと思っています。
残すは感謝ただ一つ。(Boy Scoutの野営地を去るときの言葉です)
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哀悼 2

2022-09-17 15:55:48 | Weblog
まさか哀悼の連続を書くとは自分も驚いている。英国のエリザベス女王が天寿を全うされた。95歳は大往生である。
明治維新以来、英国には種々教えてもらっている。殊に立憲民主政治は先輩であり政治にかかわらない王室の立ち位置を
日本の天皇制も教授してもらっている。確かに日本と英国は似ている所があり、国民性も酷似しているのである。
世界に冠たる海洋国家で数百年前から世界に覇権を求め進出しているのである。

70年という長い在位を極めた人はこの歴史上にも今後も出てこないだろう。しかしこれから連邦に加盟している各国は
離脱して共和制が中心となりそうだ。どうも新国王の人気も今一つのようだが、どこの国にも一定以上のシンパはあるものだ。
私も物心ついたころには、当時皇太子だった平成天皇が船で戴冠式に出かけたニュースを見た記憶があり、遠い国のおとぎ話に
見えたものだった。小学生の頃に女王になった方が亡くなったというのが、自分に重ね合わせても年を感じたニュースだった。

前項のブログでボーイスカウトのキャンプに行くときの事を書いたが、ボーイスカウトのルーツは英国に在った。
スカウトになることはSmartnessという事を言われている。立ち居振る舞いや考え方を如何にスマートにこなすことが
英国紳士となるかという、いわば情操教育の走りだったと思うのだ。ボースカウトには誓いと掟という約束事があり
これは騎士道(武士道)と同じ意味と考えられる。

女王の葬列を見ていわば時代絵巻を見るような、アイバンホーの時代にタイムスリップした様な英国の底力を見た気がした。
何かと縁のある日本との絆はアメリカよりも強いのかもしれない。日本においても天皇という精神的支柱と同様に英国民に
愛されていた女王の死は時代の分かれ目に来ているのかもしれない。これからの日本はどういう風に動いていくのか
生きている間には、私は確認できないかもしれない。God save the QueenがKingに代わるそうだ。神のご加護を!
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哀悼

2022-09-08 14:57:56 | Weblog
以前、九州の保育園児が通園バスで置き去りにされて亡くなったことがあったが、又、悲しい事故が起きてしまった。
保育園の送迎バスに乗っていた千奈ちゃんがバスの中に置き去りにされて、重度の熱中症で亡くなったという。考えられない事故で
どうして起きたのか究明してもらいたい。バスを運転していた園長が確認しなかったというが、同時に客席にいたパートのおばちゃん
2人して確認をせずに降りて、そのまま車庫に入れたという。普通、乗用車でも駐車場に入れる時には忘れ物が無いか確認をするのだが、
ましてや子供たちを乗せて下車確認しないのは常識では考えられない。

こんな杜撰な園長は教育者としての資格が無いと思う。会見を見てもなぜか他人事で違和感を感じた。辞めれば済むものではない。
確かに臨時の運転だったかとは言うものの、人の命を預かる事の意識がなさすぎると思うのだ。園長という立場で俺はえらいんだ、
俺は経営者なんだというおごり、なんで俺が確認しなければいけないのか、パートのおばちゃんが見なかったからだと思っているのか。
ほんの数メートルの距離に居る子供をなぜ気づけなかったのか、自分の経験を照らしても不思議でならない。

前にも書いたが、私は子供の頃からボーイスカウトに入り、大学生で隊長という立場になり子供たちを連れて(今のようにバス移動でなく)
電車で移動し、子供たちを連れて野営地まで言った経験が度々あった。特に気を付けなければならないのは駅のホームを歩くときは
今はあまり見かけないがキスリングという横広のザックを背負って歩く時だった。体より広いサイドバッグは電車に触れる危険があり、
山にいるより神経を尖らせたものだ。指導者は常にアンテナを張って安全を確認するのが仕事であり、企業経営でも全方位でアンテナを
張って50年を過ごしてきた。車内に人感センサー等安全機器を取り付け、この国ではこのような痛ましい出来事は最後にして欲しいものだ。
ご両親に慰めを捧げ、千奈ちゃんのご冥福を心よりお祈りする。
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国葬とは?

2022-08-26 14:43:26 | Weblog
暑い夏もそろそろ終末を迎えてきたこの頃、先ごろの選挙中に襲われた安倍元首相の国葬問題が表面化してきた。
この世からあの世への旅立ちというのはどんな形にせよ悲しいものだと思うが、家族のみならず友人や仕事仲間は
同じ気持ちだと思う。ところが今回の件はじっくり考える必要があるのではないか。

まず第一に国葬の定義が無い。天皇の葬儀は大喪の礼として皇室典範に載っているらしいが、政治家のそれは何も
規定が無いらしい。唯一吉田茂氏の葬儀があって、私もテレビ中継で見たことがあった。当時は吉田氏の門下生だった
佐藤栄作氏が総理大臣だったこともあり、恩師の葬儀を国葬として行ったと、つまり私恩を国葬として恩義を返したと
非難もされて居た。確かに戦後の復興の立役者であり、日本独立の指導者であったことは認めているのだ。

翻って、安倍氏の方はどうだ、ただ長くやったという実績で、あるいは主要派閥のオーナーというだけで、亡くなってすぐに
国葬という話になったのか?不透明な経緯が永田町を覆っている。人間だれしもマイナス部分があるのは当たり前だが、
彼の場合、あまりにもやりたい放題、お友達内閣と揶揄される、しかも簡単には行かれない「桜を見る会」という集まりに
誰かれともなく招待しているのだ。そのほか報道されている事等を見て、どう見ても刑務所行きもあるようなボーダーの
事柄ばかりなのだ。

今の日本が置かれている現状をよく考えましょうよ。今までの総理大臣より岸田さんは多少良いと思っていたのに幻滅が始まった。
世界で一番状況の悪いコロナ、ソビエトのウクライナ侵略、景気の失速、教育の不毛、人心の乱れによるニセ宗教、諸々の
課題がこの国を襲ってくる。政治家は襟を正してこの難局を乗り越えて行かねばならない。
今は多少の苦しみは我慢しても孫子の代には復活できるように願いたいものだ。
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恩人の死

2022-07-19 11:02:02 | Weblog
一昨日後輩のK君から電話があった。K君の父親のHさんが亡くなったそうだ。105歳の大往生だった。昨年暮れに奥さんが亡くなって
半年を過ぎて後を追ったような大往生だった。昨日、お参りに行って最後のお別れをしてきたが、穏やかな顔でベッドで眠っておられた。

思えば長いお付き合いだった。大学3年の時、ボーイスカウト(BS)を発団するために大きな力を貸して頂いた時からの約60年のお付き合いであった。
こちらは20歳前H氏は50歳前くらいだったと思う。生意気盛りの我々をいつも見守っていてくれた大人であった。ボーイスカウトの会議の後や
都度集まりごとに我々若いリーダーを連れて飲みに連れて行ったくれた大スポンサーであった。ご本人は若い人たちと話すのが大好きで青いこちらの
意見をよく聞いてくれて、しかもスカウトの子供たちを30人位を信頼して預けてくれる太っ腹の団委員長だった。所謂、金は出すけど口は出さない。
私の経営者としての教訓も彼から学んだことも多かったと思っている。鎌倉でO電気という電気屋さんをやっているのだけれど飄々とバイクに乗って
飛び歩いて、地方へのキャンプには系列電機メーカーのトラックを調達してくれたり、見えない費用の負担をしてくれていたり、本当の意味での
スポンサーであった。
息子のK君が香港に転勤してた折にはHさんとS君と3人で香港、マカオ等一緒に旅したのも思い出だが、何よりもアイデアマンでBSのキャンプファイヤー
の時の仕掛けは、以後伝統になるような方法を考えてくれた。以前は松明やワイヤを張り火矢で点火していたのだが、H氏考案のニクロム点火装置は
演出に合わせて自然発火する方法に演出を変えて、スカウトたちは本当に不思議でどうして火が付くのかと不思議がっていました。

世にいう「金持ち喧嘩せず」という言葉通り、温厚で着実で謙遜、篤実な生き方は私の目標ではあるがなかなかその域には到達できない。
数年前にお宅においてOBやOGが集まりお目にかかったのが最後ではあったが、其の時撮った写真を仕事机に飾ってある。
大正、昭和、平成、令和と105年の生涯を思うと素晴らしい人生だったと思います。今頃、半年ぶりに奥様と再会しているかもしれませんが
Hさんの人生を手本に私に残された人生を歩んでいきたいと思っている昨日、今日の感慨である。
Hさん 有難う御座いました。 弥栄、弥栄、弥栄、 合掌





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宗教の怖さ

2022-07-14 14:57:19 | Weblog
思わぬ事件が起きた。参議院選挙の終盤2日前に選挙演説中の安倍元首相が狙撃され亡くなった。理由ははっきりまだ分からないが、
どうやら新興宗教に安倍氏が送ったメッセージが誤解されたらしい。いずれにしても選挙中にこのような事件が起こること自体が
異例中の異例であろう。まだ詳細が分からないこともあるが、犯人の供述で母親が宗教に入れ込んで財産のすべてを失ったことへの
恨みらしい。政治家である安倍氏がその団体にメッセージ送ったという事が逆恨みの原因らしい。(実際は違う団体らしいが)

宗教の怖さは前にも書いたが、無償の愛とか奉仕とかいうもので全て悪い言葉でいえば「ごっつうさん」体質なのである。
所謂、旧宗教と戦後台頭した新宗教の違いは歴史観なのである。例えば仏教でいえば数百年以上千年も続いているので少なくとも
教義はある程度構築されているし、特に戦後日本に入ってきた新宗教というジャンルのものは旧宗教の焼き直しの教理を作り
今度の問題になっている韓国系の教団は反社会勢力と考えて良いのではないだろうか。

笑ってしまうのは聖書と仏典などをミックスした聖典と称するものを作り、献金しないと地獄に落ちる等といわば脅しの宣教を行っている点である。
誰しも幸せな人生を送りたいと願っているが、順風満帆は良しとするも人生は浮き沈みもあり苦しい時に助け合うのが家族であり友であるので
自分自身を失わず、しっかり歩いてほしいものだと心からそう思う。必ず後で笑い話が出来るので「ナンクルナイサー」の精神で行きましょう。

残念ながら落命した安倍氏や家族には気の毒だが、政治家に望まれるのは国民のために自身を捧げてこの国を良くしていこうという召命感では
ないかと思うが、果たして全ての政治家にこの召命感があるや無しやと問わざるを得ません。犯人は犯した罪の償いはしなければならないが
それだけでいいのだろうか?もっと本質を見抜いてこの国の病巣を断つことが必要ではないのだろうか? 政治家は襟を正して国家のために
尽くしてほしいものだ。第2の同様な事件が起こらないように心から願いたい。


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