ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

帰ってきた~名前をよんでくれるひと~

2010年12月27日 21時10分55秒 | 日記
最寄りの駅で降りてスーパーでお夕飯を買って、レジでお金を払おうとしたら、声をかけられました。

むむちゃんの同級生のお母さん!

ひぇ~、恥ずかしい~!
けど、うれしい~!

帰ってきたんだ。
私の名を知る人の行き交う街に。
迎えられたきもちになりました。


ポカポカした気持ちでアルイテいたら、ベンチと「SOS子ども110のいえ」のステッカー!

そうだ、誰でも座れるベンチづくり&設置と、SOSの家マップづくりを子どもたちとするのは来年の、この地域の子どもたちとする仕事だった~♪
ことを、思い出しました。

捜さなくても、見つけてくれる。私がすべきこと。


帰ってきました。
ただいま、私の住むまち。

虐待判別システムの開発

2010年12月27日 21時10分35秒 | 子ども
産総研が虐待判別システムを開発 実用化へ精度向上(共同通信) - goo ニュース
href="http://news.goo.ne.jp/article/kyodo/nation/CO2010122601000233.html

データがなければわかりませんか?
毎日毎日毎日診察しているすべてがどんなデータよりも有効なのではないのでしょうか。

データがないと虐待も判別できない?
そんな医師が怖い。

「孤族の国」ですって。あたらしいつながりとぬくもりを求める社会づくり宣言

2010年12月27日 21時09分39秒 | 社会
家族に頼れる時代の終わり 「孤族の国」(朝日新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2010122503240.html

社会の課題は私の課題であり、この地域の課題である。
そのことを追認するだけの特集記事。

何をやり始めるかを、考え始めてる人たちは
たぶん、たくさん、たくさん、います。
すでに何かをやり始めている人たちがたくさんいます。
その人たちがすくっている数知れない
たくさんの人々を、その人たちと共に生かされ合っている
たくさんの人々を、メディアは見つけることができますか?

希望として、照らし出すことができますか?

メディアにおいては名もなきヒトたち。
そして尊敬できる先輩たち。
地道でいい。でもしっかりと握った手を離さずにいられる、
ほっとしてあたたかな気持ちでいられる、
大事にされていると実感できる、
そんな場を生みだして行こうね。


よりみちの家のなかまたちへ。


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よりみちの家 しほちゃんち 設立趣意書

 地域の崩壊が言われて久しい中、大田区もその例外ではありません。昨今、敬老の日を前にしたニュースで、生存不明高齢者の存在が指摘され、大田区でも、大田区在住の男性か、母親の白骨をリュックに入れて死亡届を出さず住民票を移さずに生活していたことなどが、本人の申し出で明らかになったことが全国版のニュースでも取り上げられました。
 一方子どもについても乳幼児の行方不明が問題となっております。マスコミでは取り上げられておりませんが、毎日新聞での調査では、大田区の0~3歳までの乳幼児のうち、健診を受けなかったことからあらためて所在を確かめたところ不明であった乳幼児が、20人にも及んで居たという行政から毎日新聞の調査への回答がなされています。
私たちは、みずからが住まう足元において、そのように、人が消えて行くことにすら疎くなってしまっているのです。

一方で、身を持て余し、誰かとつながりたい、何かの役に立ちたい、とおっしゃる方々が特に高齢の方々には少なくありません。少子化ですくなくなってしまった子どもたちの笑顔が毎日楽しみだという地域の方の声も耳にすることができます。学校では残念ながら防犯上の理由で見知らぬ人から声をかけられたら逃げるようにと「イカのおすし」教育の徹底を図っており、そのような愛情をもった地域の方々の想いは、子どもたちにとって「知り合う」場を持たなければ、声をかけられたら逃げる、ということをしなくてはならない、悲しいそしてやむを得ない状況もあります。

政府の政策の中で重点項目として取り組まれているワークバランス政策も、不況の中では奏功せず、おとなたちは長時間労働と育児家事に疲れ、子どもの声に耳を傾け、子どもとゆったりと過ごす時間を奪われています。子どもたちは孤独の中に耐え、自分を大切にするまなざしの乏しい中自己肯定感を失い未来への希望を持てなくなっているという現状は国際比較の中でずば抜けて高いのです。
また高齢者政策では、かつての大型老人ホームから、グループホーム、できるだけ家庭的な雰囲気の中、小規模で過ごすことの大切さを尊重して進められる一方で、子ども政策においては知的障がい、発達の遅れ、軽度発達障がいを含め、発達に障がいを持つお子さんは少子化の中で比率を高めていることに対し、かつてであれば普通学級や普通学校の中の特別学級に受け入れられた子も、大型の特別支援学校に包摂し、障がいのある姿を1つの箱の中に押し込め見えなくする方向へと動いています。

人が切り離されていくからこそ生じる社会問題と同時に、人を切り離していく政策や教育が、行われていく、その矛盾の解決を、私たちははかりたいと願っております。
かつての地域社会の再生は無理だとしても、互いに顔の見える関係を作ることのできる機会と場を、地域の中に提供することによって、子どもから高齢者まで、健常者から障がいのある者まで、どんな人でも、この地域に住まう人たちが、おおらかに手を結び、助け合え、ひとりひとりがホッと安心できるゆとりを分け合える地域社会をこの馬込地区の中に作り出したいと願っています。そういった社会を願い、そこに幾ばくかの貢献したい方々のポテンシャルは高いと感じております。
私たちが作り出す場によって、互いの違いを良さとして認め合い、人と出あい、同じ地域の中で声を掛け合い互いを案じあいながら生活できることに、喜びを見いだせる社会となることを目指します。

2010年10月9日
加藤志保