ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

障がい者差別撤廃への具体策は、法律で担保できるのか。

2010年12月17日 22時05分34秒 | 
障害者差別撤廃に具体策…基本法改正案(読売新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20101217-567-OYT1T00057.html

障がい者制度改革推進会議 (第29回)が今日の午後行われたそうです。
そこで提出された具体案。
障害者制度改革の推進のための第二次意見(案)
http://www8.cao.go.jp/shougai/suishin/kaikaku/s_kaigi/k_29/pdf/s1.pdf

先日参加した区のまちづくり系の会議
「ユニバーサルデザインによるまちづくり」の審議会においても、
ワークショップにおいても、
結局のところもっとも大きいのは人の「気持ち」や「こころ」ではないか、
という話に落ちたように思う。

配慮をする人が巷にあふれて声を掛け合って補い合っていれば、
大きくハードを開発していく必要はなくなるのではないか、
という議論だったと記憶している。
審議会はひじかっくんするほど、寝てしまったので、定かではありません。

***上記資料より抜粋****
障害者が社会の対等な一員として地域社会で暮らすには、いまだに
大きな社会的障壁が待ち構えている。たとえば、交通機関、建築物等における
物理的な障壁、欠格条項をはじめとする法律制度の障壁、点字、文字情報、手
話通訳等による情報保障の欠如における文化・情報面の障壁、障害者を庇護さ
れるべき存在としてとらえたり、障害者を外観だけで判断する等の意識上の障

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「意識上の障壁」を取り除けるか?

それができたら、お金などかけなくても
住みよい環境は、実現可能。
生き良い環境は、実現可能。

素案の中身に踏み込めるほどには読みこんでません。
でも、赤字国債を山のように抱えた国、日本。

金をかけずに社会を変えるなら、どこに着手すべきか、
ふんばりどころぜよ、日本。




子どものうちに運動を。日常の中でできることを毎日。舗装されない地べたをぺたぺた歩く。

2010年12月17日 21時04分06秒 | 子ども
運動する子としない子、二極化 小5・中2の体力調査(朝日新聞) - goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2010121605880.html

****記事より一部抜粋***
文科省は「体を動かす習慣付けを小学校入学前から始めるべきだ」と判断。幼稚園や保育所段階でどんな運動をどれくらいの頻度で行うべきかを示すガイドラインを作り、来夏にも示す。各種目の数値向上を直接の目的とせず、遊びも含めて自然に体を動かす習慣を付けることを狙う。
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そう、遊びも含めて身体を動かす習慣を。
保育園への送迎、幼稚園への送迎も含めて、かもしれない。

周囲では、就学前からすでにスイミングスクールに通う子が多い。
スクール通いよりもたぶん、はだしで地べたを駆け回るような運動がいい。

足裏が刺激を受ける運動は脳を活性化するから、
知力を養う上で歩くのはホントにいいんです。
舗装されてないでこぼこした道をはだしで歩くのがいいんです。
舗装されていても、車道と歩道を分けるあれを平均台気分で歩くのもいいんです。

願わくば、運動は決められた場所でしかできないものだと思わずに、
日常の中にたくさん含まれていると刷り込まれるのがなおいいと思う。
鬼ごっこも、どろけいも、学校帰りのよーいどんも。

保育園時代に比べて、体力の落ちているむむちゃん。
自転車を押して登る坂道と、歩いてのぼる坂道と、
どちらがいいかしら。

それも、立派な運動。

部活動とか、クラブとか、スクールとか、
通う通わない、入る入らないも、
「貧困」の切り口で、「体力格差」を生んでたら悲しい。
どんな日常の中でも運動は可能です。
と、ブログを読まれた方はつぶやいて下さい。


ふんばりの効く体力があるか否か、って、
人生を結構左右する。

たいそうひ弱で年中故障中の私も、
たぶん、北海道の山を下ったり上ったりしながら
学校の登下校をする毎日と、山野を駆け巡る毎日は、
ぎりぎりのところまで追い込んでも
ふいっと乗り切れる底力を支えている。
(ふいっと乗り切った後が怖い)



35人学級導入、2011年度入学の1年生から。

2010年12月17日 20時05分12秒 | 子ども
小1に35人学級導入=来年度から、小2認めず―閣僚折衝(時事通信) - goo ニュース

人数が少なすぎるとコミュニティが狭まるという人もいる。

が、団塊ジュニアの時代に、
一学年一クラス(私の学年は18名)、全学年で100人足らずの小学校が、
私の義務教育+高等学校の12年間で、いちばん人間らしい時代だった。

大学にいってからも私の選択した学科は36名だったし、
ゼミにばらけると、4名とか。

顔色の善し悪し、体重の増減にまで、
目配りしてくれる先生がいてこそ、
存在を認められているという気持ちになろうもの。

監視とは違う。

35名、もうひとまわり小規模に減らしたかったけど、「あり」の範囲。

小学校が35名になったら、
幼稚園はどうするのかしら?
保育園は?

地方主権に逃げないで欲しいな。



今日の書道は自宅学習

2010年12月17日 16時28分18秒 | 日記
今日は、自宅学習の書道でした。

集中できるかな?と、案じたけど、大丈夫でした。

それなりに書いて、添削だけしてもらいに行きました。

大きな位置を占めている訳じゃないけど、大事な時間におのずとなっているんだなぁ、つくづくと感じます。

添削で先生に良いじゃない、と言われて、ひと区切り。


心が地に着いた、落ち着いた気持ちです。

悪夢祓い~ドラえもんバージョン

2010年12月17日 09時56分12秒 | 日記
ドラえもんの映画バージョンみたいな夢だった。


ある時代のある国にたどりついてしまう。
そこで悪者集団にその国の人たちが襲われてどこかに連れていかれる。
脱出を試みようとするその国の人たちの一部に手を貸してくれと
頼まれてぼくたちが手を貸すと実はその人たちは
悪者集団の一味だった。


さらに面倒なことになりいっそう窮地に追い込まれたところで
大逆転かも~!!と思う一部の人たちが現れ、
僕たちは手を貸すわけだけれども、やっぱり
その人たちは悪者集団の一味だった。


という展開を何度か繰り返したところで、
「お前はひとりきりだ~」
とせまる閻魔様みたいなお面。
ドラえもん仲間はみな眠らされてどこかに連れていかれ、
仲間だと思っていたしずかちゃんや、すねおくんや、ジャイアンや、ドラえもんは、
敵の仮の姿だった。

というオチ。


そこで汗びっしょりで目が覚めてむむちゃんを叩き起こして、
ねぼけたむむちゃんと手をつないで寝た。


私はまるで、子ども、だ。
どうせなら宮崎アニメ系への出演を望む。