ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

「借りぐらしのアリエッティ」、観てきました!

2010年07月21日 14時50分09秒 | 映画


明日からキャンプだというのに、キャンプだからか?、心残りの無いように、
行ってしまいました!

ぷうちゃんも保育園はお休み。
一時間半も前に出発して、寄り道しても一時間前に到着。チケットを買ったあと、30分オモチャ売り場で時間をつぶして、30分前に映画館に、もう一度戻り。

でも、ギリギリで入っても満席にはならないのが、ここの映画館の良さ!

ぷうちゃんは、始終ひざの上で、おとなしく途中からは身を乗り出して観ていました。
二歳とは、思えない。
小説も読んでたからかなぁ。

とっても楽しかったです!
言うこと無し!
続きがみたい!

これで心おきなくキャンプに行けます。

ちなみに、髪留めは文具クリップという、ちっちゃいのがおすすめです。おっきいのは、おっきすぎて、うまくとまらないのと、ちょっと重たいみたい。

洗濯ばさみで代用は、難しそう。
私は職場でTクリップ、よく使っていたけど。
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今日は映画の日で大人用の前売り券は使いませんでした。そしておバカな私、ぷうちゃんの分まで子ども用前売り券を買っちゃって、これも不要。大人一枚、子ども一枚、前売り券が手元に残ってしまった。保育園で誰か買ってくれるかなぁ。

ポレポレ東中野、『葦牙-あしかび-』トーク

2009年12月19日 21時27分58秒 | 映画
ポレポレ東中野に出かけてきました。
映画館、久しぶりだなぁ。
葦牙小池監督との打ち合わせの時間まで、1観客として、映画を見ました。

スクリーンに観いるうちに、私が北海道にいたころに通っていた小学校の半数近くが、養護施設の子どもたちだったことを思い出していました。
どういう事情かはわからないけれど、お母さんやお父さんと過ごせないから、そこで暮らしていることは知っていました。
特別な子たちとは思わなかった。かわいそうとか、乱暴とか、暗いとか、そんなレッテルでの、関係ではなかった。だけど、帰り道途中までは一緒に遊びながら帰っても、家に帰ってからは遊べる友だちではないのが、なんとなくさびしい感じがしていた。

3月になると、村のおじちゃんおばちゃんたちが、中学を卒業して施設を離れていくお兄ちゃんお姉ちゃんたちを「送る会」を開いていたことも思い出しました。
あのとき、巣立たなくてはならない彼らは何を思っていたのだろう。
送り出す大人たちの悔しさのような、無念さが、いまはじめて聞こえてくるようでした。

あの友たちはいま、どうしているだろう。



そんな私の歴史の一部をすごく鮮明に思い出しながら、映画の途中で退席して、監督と初顔合わせ。

人見知り激しい私は初対面は緊張しますが、そんなこんなを考えていたので、会うなり、次々と言葉がとまらなくなりました。

活動のお話の視点から、孤独を感じている子どもが増えていて、みどり学園の子どもがむしろ生き生きのびのび見えてしまった、というのがいいのかしら。

1人の親として、虐待母になる可能性は私もきわめて高い、そういう子どもを受け入れる社会のキャパシティの狭さが息苦しいという話がいいかしら。

それとも、かつて直接映画の中のような子どもたちとどう生活を共にしたかを語ればいいかしら。

短い時間で矢継ぎ早に、それらを監督に問うてしまいました。

監督は、どの話しでもいいですね、あなたの話したいことを話してください。
と。
そして、そういう経験の上に立って、いまあなたはこういう仕事をしているのだから、と。



わずか20分の中のトークでは、活動紹介をかねて、1人ひとりの子どもに向き合うことをチャイルドラインが大切にしているという視点では、普通に生活している子どもの方がむしろ孤独かもしれないと錯覚するくらい、みどり学園やその周辺で様々な大人たちが、子どもたちに向き合っているなぁと感じた。だから、しんどい状況を背負いながら、育ちあっていけているんだなぁと感じたことをお話しました。


監督が、「今回はどうしてもお母さんの声をとりたかった。虐待するのは悪人ではなくて普通の母親なんだということを伝えたかった」
と、ふってくださったので、
私を含めみな虐待親になるグレーゾーンにある。子どもを許容する空間を社会が狭めつつある息苦しさや、長時間労働や多様なストレスで、親たちも自身のことで精一杯で、子どもにまなざしを注げない。
遠慮がちに勇気をだして子どもを連れて出る親たちに一言話しかけたり、朝出かけて行くご近所の親子に行ってらっしゃい、と声をかけてくれたら、どれだけ、ホッとするか、というお話をしました。



今日、監督と出会い、お話をして、私は来るべき道をたどって、いま、適切な場所に身を置いているのだなぁと、腑に落ちる感覚がありました。

間もなく今年を終えようとするここ数日、今年、得たいちばんの収穫は、この感覚だ、と、繰り返し思っています。


監督にサインをいただきました。秋に枯れて折れたその折れ目から緑の芽を出す、その芽を「葦牙(あしかび)」と言います。
監督のメッセージは「あしかびの如く!」

これから始まる私の新たな人生を逞しく生きよ、と、言われているようです。


小池監督、ありがとうございました。