ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

小さないたずらを見つける楽しみ

2012年10月17日 15時57分17秒 | 日記


最近、本を見つけるために書架を探すのが
毎朝の習慣。

その一冊は、毎朝、どこかに、「隠されて」いる。
探し出して、元の場所に置く。
また翌朝は違う場所。
小さな遊びのようで、楽しい。

本の並びをじぐざくに置いてみたり、
授業中、ぬいぐるみを傍らに置いて課題に取り組んだり、
思わぬびっくりを見つける楽しみは、
静かに、ひそやかに、日々を励ましている。

美味しい夜に考える、リスと、ニンゲンと、秋の実りと命のつながり。

2012年10月17日 15時54分12秒 | 日記



ぼろぼろに疲れて帰った玄関口、お部屋の中からむむちゃんの声。
「あーちゃんのりんごがとどいたよ~っ!」

ふわっと心が軽くなる。
箱を開けて、りんごの赤い色を見て、手に取り、匂いをかぐ。
涙がほろっとこぼれるくらいにうれしい。
どうして、弱っている時がわかるの。

ぷうちゃんは、周りを飛び跳ねながら、
「あしたほいくえんに半分もってく~っっ!!!」
みんなでおやつに食べてもらえるようにね。

そのぷうちゃんの手には、今日の保育園のお散歩で
ワイルドにゲットした「しいのみ」。
みんなで食べて、さらに一人ずつ小分けにしておみやげにしたそうだ。
さっそくパチパチはぜるまで、炒る。
お夕飯前に、パキツ、ぽりっ。
ぷうちゃんは、パパにもあげたい、というので、袋に分けて取り置く。

ついでに、先週学校でもらってきた銀杏も並べる。
銀杏は子どもたちには不評だけれど、これも季節の香り。


りんご、しいのみ、ぎんなん


リスのようだ。
実りを食べる生き物なんだ、人間だってリスと一緒。
そして、それを分け合って、お腹に入る分が減っても喜べるのが、
ちょっとだけ人間らしさのプラスアルファ。


りんごは、甘くて、しゃりしゃりと青森の味がした。
医者いらずのりんご。

鼻炎か、風邪か、疲労か、よくわからない病院通いにもそろそろおさらばできそうだ。


あーちゃん、ありがとう。
血脈なんて、飛び越えて、
いま、この瞬間、命を紡いでくれている。

4月の終わりに、近い空。

2012年04月28日 15時32分51秒 | 日記
気持ちの良い、4月の終わりです。

今日まで勤務で、しばらくおやすみ。
おやすみ前の4月の終わりがこんなに気持ちの良い陽気。

あぁ、なんてうれしい。

今日は走って帰る必要もない。
学校のまわりを少しお散歩して、陽の光をあつめる。

新しい環境で、新しいことばかりの4月。

そうなのだけれど、なぜだか、これまでのことを
まとめて整理していくようなひと月でした。

頭の中で考えていたことや、
出会った人との関係や、
長く追いかけてきたものや、
感じ続けていたことや。

これからはじまる次章のために、再構築し直す作業をひたすらがむしゃらにし続けた1ヶ月だったような。

何かがはじまる。
予感に満ち満ちた4月。
覚悟も、含めて。

勤務を終えて見上げた空は、青い。


よし、よくガンバった。
きっと、大丈夫。
歩き出せる。

導かれた道を私は確かに歩いてゆく。

あたりまえの、晴れた空

2012年04月24日 20時38分14秒 | 日記

雨の週はじめに打ちのめされた月曜日。

青空がうれしい火曜日。
あたたかくなってコートを脱いだら、身も軽く、心も軽い。

空を見上げて歩く。
桜の季節、と、思っていたら、
花水木の盛りがはじまっている。

足元には桜の花びらのじゅうたん。


晴れた空、ありがたいなぁ。
あたたかい空気、ありがたいなぁ。
花々も木々も、ありがたいなぁ。

なんだか、やさしい気持ちになりたい今日。

映画三昧、物語三昧

2012年04月24日 17時21分21秒 | 日記
暗くて天井の低い閉じ込められるように感じられて、
映画館を敬遠していた時期が続いていた。

この一年くらい、邦画を中心に、足を運べるようになってきて、
今年に入ってからは、洋画も大丈夫、と思えるようになってきた。
そうなると、観たいものを、観たいときに、欲張りになる。


「アーティスト」
http://artist.gaga.ne.jp/
無声映画は観なれていないけど大丈夫かな、と、不安を半分抱えつつ。
杞憂でした。
ジャン・デュジャルダンは、とっても名優だったし、
女優さんが愛らしかったです。
映画をまるごと楽しむ作品でした。


「マーガレット・サッチャー」
http://ironlady.gaga.ne.jp/
メリル・ストリープをはじめに観たのは、小樽の映画館。
生まれてはじめて観た映画「クレイマー・クレイマー」の中で。

見事でした。サッチャーの人物像が私の脳裏に定かではない
ということを差し引いても、サッチャーにしか見えない。

政治家としてとった政策がどうであったのか、
映画を観ながらも、それでいいのか・・・、と苦しくなる場面が多かった。
だけれど、時代を切りひらく大きな一歩を踏んだ女性としての苦悩には、
心を揺さぶられました。
ひとりの女性の、そして、彼女を用いることで近代化を一歩すすめた国の歴史をひとつ、学びました。


「ヘルプ」 
http://disney-studio.jp/movies/help/

新年にみた「サラの鍵」http://www.sara.gaga.ne.jp/
につづき、私の中では、ここ数年の中の大ヒット。
原作の小説がある映画を、良く仕立て上げるのは難しいけれど、
「サラの鍵」も、「ヘルプ」も、
本を読む以上に、活きた映画になっていると、思いました。
テーマも、内容も、分量も、小説で読み切るには
ぐっと力が必要なのだけれど、(どちらも完読できずにいる・・・)
映画は、魅せられて、のせられて、観切って、心に残り、響く。
これぞ、映画の効用。

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正しさとは、何だろう。
時代によらない、他者によらない、社会の在り方によらない、
絶対的な正しさは存在するのだろうか。

アーティストも、サラも、ヘルプも
歴史を検証することによって得る、後づけの「正論」とは異なる、
人を慈しみ、人を敬い、今の輝きをそのままに抱きしめるような、
普遍的な「大事にすべきもの」を描き出しているようで。。。

理屈ではない、「それ」を、つかみとる力を養うことは、
人類が伝えゆく叡智の中の最たるもの。
国際紛争も、貧しい社会も、荒廃する国家も、
それをつかみそこねた結果ではないか、そんな気がしてならない。


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いい作品に出会うと、また、映画館に足を運びたくなります。

次の感動に遭遇するまでがんばろ~、
と思う気持ちを、生きる勇気とよんでもいい。

昨日読んだ、小川洋子が
人は生き続ける限り、現実と折り合いをつけていくための物語を必要とする、と書いていた。
(『物語の役割 (ちくまプリマー新書)』)
小川洋子をひくまでもなく、そう。

そして、物語は、生きる勇気を励ます。
そうして編まれ続ける人の営みは、生きる勇気を励ます。

生々しく、分厚く、人の命の物語に触れていたいと、思う。
大事なものを探し続けるために。