今日は、母校で、ようこそ先輩よろしく、ロールモデルとして、NPOで働く先輩として250名の後輩の前でお話しました。
このお題のために、私の辿り来た35年を振り返る時間をぼんやりと1ヶ月近く、ギュウッとつめて1週間くらい、考えていました。
気付いたのは、なんとなく5年ごとに、分岐点というか、踊り場に身をおいたり、新たな石が投げ込まれたり、何か「きっかけ」が訪れていたこと。そして、まさにいま、5年目の伏し目にあたる年を迎えているということ。
もうひとつ、気付いたのは、その5年ごとのきっかけに身を委ねて、流れに流されるように、生きてきたこと。
その水底には、一筋の変わらぬ流れが、ずっととおして流れていること。
話しながらなんて計画性無く、行き当たりばったりに、なのに、頑固に生きてきてしまったんだろう。
私って、こんな風に、いい加減にも、逞しく、貪欲に、私の思いに忠実に、案外思っていた以上にワガママに、ひたむきに生きたもんだな。
結構、悪くない人生を生きてるな、と、話しながら、気付いてしまいました。
なんだか、学生のみなさんへのメッセージが、かみしめるように、私自身へのエールとして、かえってくるような、バカみたいだけど、マイクを通した自分の言葉に励まされていました。
そんなことに気付けたのは、母校だったから。
安心して、随分長きに渡り、思索にふけることを保証してくれた場所だから。
大好きな母校。
お茶の水女子大は大好きな、母校。
このお題のために、私の辿り来た35年を振り返る時間をぼんやりと1ヶ月近く、ギュウッとつめて1週間くらい、考えていました。
気付いたのは、なんとなく5年ごとに、分岐点というか、踊り場に身をおいたり、新たな石が投げ込まれたり、何か「きっかけ」が訪れていたこと。そして、まさにいま、5年目の伏し目にあたる年を迎えているということ。
もうひとつ、気付いたのは、その5年ごとのきっかけに身を委ねて、流れに流されるように、生きてきたこと。
その水底には、一筋の変わらぬ流れが、ずっととおして流れていること。
話しながらなんて計画性無く、行き当たりばったりに、なのに、頑固に生きてきてしまったんだろう。
私って、こんな風に、いい加減にも、逞しく、貪欲に、私の思いに忠実に、案外思っていた以上にワガママに、ひたむきに生きたもんだな。
結構、悪くない人生を生きてるな、と、話しながら、気付いてしまいました。
なんだか、学生のみなさんへのメッセージが、かみしめるように、私自身へのエールとして、かえってくるような、バカみたいだけど、マイクを通した自分の言葉に励まされていました。
そんなことに気付けたのは、母校だったから。
安心して、随分長きに渡り、思索にふけることを保証してくれた場所だから。
大好きな母校。
お茶の水女子大は大好きな、母校。