ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

読書日記8/25 宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』講談社現代新書

2011年08月25日 15時36分45秒 | 
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数日かけて読んだ。
最近、この手の本を読んでいる。思想性よりも、
むしろ科学的根拠が示される本がベスト。

飯田さんの科学的根拠は適切だ。
そして、これらの「科学的根拠」にもとづく本を
読めば読むほど、原発以外のエネルギーで生活する事は、
けして難しくない。
トーシローの私たちにすれば、与えられるインフラであるから、
変化は強いられずに、充たされていくものだったりするのです。

本は読んだほうがいい。
無用な不安感、無用な是非の雰囲気に、呑まれないためにも。
あらためてそう思う。
ネット空間を飛び交う言葉に嘘はないと信じているけれど、
ノイズが多すぎて、処理しきれない。

ゆっくりと暮したい。

電気をとめてそれがかなうならば、
むしろ、のぞむところです。

電気をとめずにかなえるものであるならば、
自らの意思をも少し気合いれて問わねば、ね。
と、思う。
しみじみ。

読書日記8/19-25 山下和美『天才柳沢教授の生活』

2011年08月25日 15時35分11秒 | 
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突如、はまっているのが『天才柳沢教授の生活』
http://morningmanga.com/lineup/6

読み始めるととまらない。
「ね~、ママってば~!!!」「ママってば~!!!!!」
の、娘と息子の大音響と揺さぶりで、はっと我に帰る。

貸してくれた人の、一押し。
一押しがいったいどのあたりなのか、
たどるように、なぞるように、読み進める。
私にしてはカメの歩みのゆっくり読みなのだけれど、
ゆっくり読みがふさわしい。

このところPCに向かうことを放棄している。
放棄していることへの罪悪感のようなものが、
これを読んでいる間にす~っと、薄れていった。

読む事により得るものが、圧倒的に大きい場合がある。
日々のやりとりで確認しなくてはならない諸々の何倍にもなることが。

そんなわけで、寝る前に1冊。
起きる前に1冊。
出かける前に1冊。

心の安定剤のように読んでいたら、借りていた分をさっさと読み終えてしまったのでした。


私は、いま、とても、本を、読みたい。
それに貪欲であって良いではないか。
そこに真摯であって良いではないか。

しみじみと、胸を張ってそう思わせてくれる。

あぁ、あの人は、この世界とこの空気感を出すために、
生活を、自らの身をコントロールせんとしてるんだなぁ。

とても、よく、理解できた気がする。
現実を大きく超えて。

続きを渇望しながらも、まだまだ私には読まねばならない本がある。

読書日記 8/24京極夏彦『オジいサン』中央公論新社

2011年08月25日 15時34分17秒 | 
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同僚で、席がおとなりで、かなりの読書家。
興味深い本を入荷したい私と、良い本を読みたい彼女と、
競い合うよう。
私の本のチョイスへ緊迫感を与えてくれる、すばらしい同僚。

辛口評の多い彼女の口から、再三大絶賛のこの本。

いったい、それほど言うのだから。
と、期待しつつ・・・。
彼女の大絶賛の中身に心を傾けて、読む。

ふむふむ、こんなところが面白かったのだろう。
ここはどうか、これは・・・。
そうこうするうちに、はっと気づくと、
読み終えていました。

心理をことこまかに粘り強く描きいだしていくこの手法が
彼女にはヒットしたのだろうか。

そして、この作品はこれまでの京極作品とは異質な色をはなつ。
面白い、を見つける楽しさがアル1冊でした。

読書日記 8/24よしもとばなな『ジュージュー』

2011年08月25日 15時33分35秒 | 
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短編と読んでいいだろう。
1時間を要さない1冊。

その中に、生と、死と、別れを受け入れていくことと、
新たな出発を受け入れて行くこととが、
静かに淡々と絵がかれている。

新しい出発にともなう痛みを光のものとして、明るく照らす。
そっと胸がつまる。

神々しい文学を書くようになってから、変わらないこのスタイルを、
歓迎すべきなのでしょう。
安定して得られる安心して読める小説として。

読書日記8/19-20 山下成司『発達障害 境界に立つ若者たち』平凡社新書

2011年08月25日 15時31分35秒 | 
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気になって、入荷しながら、
なかなか読めなかった本。

作者自身の経歴が面白い。
不登校で高校を中退。
美術学校に学び、音楽活動、レコードデビュー。
渡米してイラストレーションを学び、フリーのイラストレーター。

そのフリーのイラストレーター時代に、私設学校の美術の授業を教えたことが
きっかけで、発達障害児の教育に携わること18年。

なので、筆者のつかみ方は、現場感覚丸出し。
表現に持ちいつ言葉も、専門家が読んだら眉をひそめるでしょう。

それでも、ひとりひとりの子どもたちに、懸命に寄り添おうとしてきた姿と、
だからこそ、慕った子どもたちが見せる本音の顔を、垣間見ることができるのです。

奇しくも、この本を手に取る直前に、A新聞で、発達障害児のコウくんのルポが連載されていました。
何に、どのくらい、どう傷つくのか、手に取れるようで、切なかったのでした。
そして、外から見ているだけではちっとわからない、子どもたちの内面を
手ごたえのある感じにつかみとることができました。

当事者の姿を伝える。当事者の声を伝えることが、
生々しい現実を差し出すことが、
誤りのない、人の理解の第一歩であることを、しゅくしゅくと感じるのでした。

続編にあたる『発達障害 母たちの奮闘記』も読まなくちゃ、という気になりました。