ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

寂しがり屋の、後押ししてくれる人と、手をひいてくれる人。集まってくるひとりひとりひとり。

2010年12月13日 02時10分07秒 | 日記
今日は区議の方たちとの意見交換会。
文教関係の区議さん中心でした。

参加していたのは、育ちに困難を抱えたお子さんを持つ方々。
子どもの育ちについて、区議の人たちもちゃんと現場を知って考えてる人は懸命に良くしようと思ってるんだとわかりました。
背景が異なる子どもの困難を抱えた親のみなさんも率直に素朴に語ってくれて、なんかジンとしました。生きること生かすことにまっすぐであるって、ほんとに人を美しくする。


近いところに住んでいるとわかり、一緒にランチをしたママさんに、当事者じゃないのになぜ?
と質問されて、あれ?なぜだっけ?と。

とんちんかんなやりとりだなぁ、答えになってないと思いつつ、口をついて出てきたのは、

ゆっくりな子もそうでない子も同じ空間に居ていいってなんかホッとするんじゃないかって。

おとなも、個性的というか、ありのままでいられるってなんかホッとしません?

前後の脈絡ないのに、言いたいことを汲み取ってくれました。

もっと切実なものがたくさんあって、勢いづいていた私、どこにいった?

でも、1週間くらい低空飛行していた間になんだか肩の力が抜けて程よくなった気がしないでもないです。
また、近所にお友だちが増えて良かったです。

地域でやろうとしていることの意味は、こうして雪ダルマのようにさまざまな人のニーズでふくらみます。

夜の会議、そして発見寂しがり屋をひとり。

2010年12月13日 00時03分43秒 | 日記
土日でも、夜しか会議ができないメンバーの夜の会議。

なぜ、私はここにいるんだろう。
と、ふと思う。


弁護士さんや大学教授や児相の人に混じって。
専門領域に話題が向かうと、ふっと意識が遠のく。

「子どもの貧困なんてたかだかお金の配分で解決できちゃう、きわめてシンプルな問題じゃないですか」
とか、この一年かけて学んだド素人発言をして、あれこれたしなめられる。



あれ?お金の配分なんちゃらになんで首突っ込んでるんだろう。と、問いながら、会議の後で三人になって新宿をうろうろしてやっと入れたお店で、あれこれ話しながら、


あ、そうだった。
ー貧困は、人の繋がりが切れたとき最後に現象としてあらわれるー
私の大おじのような人がそう言ったからだ。

と、思い出した。



私が渇望してるのは、お金じゃなくて、ここにいていいよ、と認められる場所。

チャイルドラインも、子どもの貧困も、放課後の子どもの居場所も、みんなその一点で、つながっている。

私の学校批判や社会批判の根底にあるのは、ここにいていい人といちゃいけない人を区別しようとする動き。


当たり前に、安心して、「ここ」に居られる。
誰もがそう感じながら生きられる社会であったらいいな。

そう強く願うから、そう願うがままに、それを実現できそうな動きへとずいずいと身体が向かっていってしまうのだろうな。
体力や資力の有無も、考えず、倒れるまで。


人のつながりが切れない子どもの環境と、間に合うのならおとなの環境を作りたい。

そんな私はきっと、とても寂しがり屋なんだ。そして、いまそれが、大きな原動力になっているんだ。
急に、他人事のように、ふっと気づきました。

今日もまた、やってしまった(>_<)いいよ、いいよ、これでOK!

2010年12月13日 00時03分08秒 | 日記
今日もまた、です。

ママ友からの朝のメール。「区役所よろしく」って、なんのことだ???

と、思ったら今日午前中に私の出かける先は区役所でした。
はなっから、別の場所と思いこんでた。

ついでに、今日の午後の場所も不安になって調べたら、こちらはなんと!昨日終わっていました。

トホホ(>_<)


でも、メールのおかげで、出かける前に調べられたから、間違った場所にいかずに済んだ。正しい場所に時間ギリギリたどり着けた。

午後の梯子の予定がひとつ空いたから、ゆっくり話したかった人たちと一緒にお昼ご飯を食べられました。

良かった。Fちゃんメールありがとう。


昨日は引きこもっていたから、今日1日分のエネルギーを補給できた。


だから、昨日のすっぽかしもちゃんとごめんなさいをして、笑って許してもらえた?かな?


この3日間トータルで、今の私には適量の活動量にすることができました。

結果ALL RIGHT!

私のおっちょこちょいをそう思える程度に元気になりました。