ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

龍馬伝を見て「ひとりの日本人として」に感銘。フツフツ湧くエネルギーで、切り貼りに張りきる。

2010年08月29日 22時55分33秒 | 日記
龍馬伝を見ると、私も何かやらなくちゃ、という気持ちになる。やれることがあるに違いない気持ちになる。

で、夏祭りの写真を何枚かプリント。この夏、恒例の切り貼り作業療法に没頭。
一言添えて、写真と同封。(エネルギーの矛先がちっちゃいのは、身の丈に合わせて)

なんだか考えが足りず、余計な写真が残っちゃった。
だいぶ満足。
書道も切り貼り作業療法も、我を忘れながら、我と対話しながら真っ直ぐ取り組める。

秋になったら、秋の切り貼りも、楽しみだな。
簡単に切って貼れる絵を想像する。
夏休みの写真、まだ、プリントできてない写真がいっぱい。
いままでだったら、撮りっぱなし。
その時のその瞬間瞬間の思い出は、プリントするとしないとで、思い起こすきっかけの量がまったく異なる。
だから、せめて時間がある時くらいは、と思う。

お祭りの中の拾いもの。少しずつ生きていて、つながる時間。

2010年08月29日 19時07分21秒 | 日記
お祭りで、たくさんのむむちゃんの赤ちゃんの時に知り合ったママさんたちに出会いました。
顔を覚えていてくれて、うれしい。下の子が生まれたり、学校はどこに入ったり、とか、その都度、小さいおしゃべり。

長い空白の時が、この地域の中で埋めていける、うれしい再会ばっかり。

お祭りの最中に10歳までを過ごした北海道からお電話。私が子どもの時に、私たち子どもたちを育てる地域を作るために、父や母と奔走したおば様。懐かしい名前と懐かしい場所と懐かしい思い出を胸に浮かべながらの会話。

私はどこかで、父や母と同じ道を別の場所でたどっているのかな、と、時の重なりを覚えました。

むむちゃんたちにとって、この場所のこの思い出が、私にとって自分のルーツの北海道の思い出のように、キラキラと刻まれていくのかな。

山王夏祭2日目のDJたろーさんの言葉「子どもたちの記憶に残る祭りにしたい」。

思い出すことが少なくても、ふっとある時、楽しかった感覚を身体の中によみがえらせることのできる体験を、地域の子どもたち、おとなたちの、つながりの中で作り出せたら。

それは小さいけれど、グングンと膨らんでゆく野望です。

今日を倒れ込むように過ごしてしまうほど、私には体力もないけれど、粘り強いこと、集中力が強いことだけは、たしか。

野望を胸に抱けるくらい強くなれた夏。

一日ずつ、少しずつ、生きています。きのうもありがとうございます!

2010年08月29日 18時31分37秒 | 日記
一日一日、先のことなど考えずに、一歩一歩生きています。
それでも時は、着々と進んで、私の後ろに私の人生の足跡が
ぺたぺたとついていきます。

焦らなくても大丈夫。
心からそう思えるようになれたらいいな。

寝てばかりの今日ですが、がんばった後の眠くて眠くて仕方の無い日。
自分を責めずに、休養の日と思えたらステキ。

昨日も、おつきあくださり、ありがとうございました。
今日も、明日も、てくてくてくてく歩いていきます。

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振り返る、祭りdaysと夏休み ~私がいまできること。

2010年08月29日 12時54分03秒 | 日記

昨日、いちばん仲良しで優柔不断な私が、2つに1つを決められないときに決めてもらうママ友Nちゃんに、アリエッティの横にながいポスターをもらいました。うれしい~♪

横になって見上げるとアリエッティに…小人になった気分で過ごせる。

彼女の命名で今年の私は「夏祭り女」

苦手な夏。
こんなにアクティブに過ごせた夏は無いかもしれない。

この3日間を振り返ってわかったのは、
①単発(結果責任をともなわない、他に大きく影響しない)、
②短期間(企画開始から終了までの期間が短い)、
③目的目標方法が明確で単純、
④目の前に楽しむ人がいる、
ものであれば、もちろん薬に頼りながらだけど、がんばれちゃう程度には、体調が回復してきたということ。

この夏休みは、シンポスト、キャンプ、子どもたちのお泊まり会、子どもたちを連れて出かける1日、旅の連続、祭りの連続。

どれも、私の体調、体力では、なかなか厳しく思われる1つ1つでした。だけど、信頼できる人たちと、それ1つ1つで簡潔していくものばかり。たとえその1つがうまくいかなくても(子どもたちに事故さえなければ)、この次にがんばればいい、と思えることばかり。プレッシャーの少ない1つ1つでした。

きっと、それが今の私の回復してきた位置。

あれとこれとそれとどれとの組み合わせや進行管理、長期的に繰り返し続けなくてはならない作業、きっと、まだできないだろう。


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重ねて見る悪夢は、いつもその類い。ひとつ、抜けると他が壊れる、と失敗を極度に恐れる夢。私がやらなきゃならないかわからない、他の人ができるだろう仕事がひたすら寄せてくる作業に頭を抱えこむ夢。決めて良い立場かどうかわからない質問の山に責められて押し潰される夢。
そして、私はこんなにダメなんだと、念を押される。

それらは、少し前まで、夢ではなく、現実だったんだ、多分。


やっと、そのくらいにまでは、過去の私を突き放して見られるようになったことは、きっといいこと、なんだと、思いたい。

回復への、途上にあると、思いたい。

今日はゴロゴロデー。洗い物、洗濯、掃除を済ませて、ゴロゴロ、過ごす。

明日は。

明日のことは、明日、考えよう。