八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

ついに時々刻々と

2012年09月20日 06時27分29秒 | 回復の感覚
◇今朝明け方の様子では、とうとう時々刻々とマヒ半身全体が繋がりだしたのが感じられた。

  寝ていてホント驚いたね、なにせ首から下、手のひら・足裏まで全部繋がる回復感覚が、
  10数分間隔から、数分間隔、数秒間隔、そして時々刻々となるんだもの、
  とても寝ていられないので、まだ4時過ぎだったけど飛び起きた。

  今までは起床すると回復感覚は逃げ水のように消えたけど、感じは弱いけれどど今回は消えていない。
  今パソコンに向っていても、足裏や手のひら・指先の触感は、僅かづつ前よりも強くなってくるのが感じられるもの。

  今日これからのリハビリの中で、昨日までと違うチカラ強さらしきものが感じられるのかどうか、ここがポイントだろうな。
  でも、時々刻々と回復が感じられるまでになったことは、まずはめでたいめでたい。

◇一昨日のブログ、住まい地=川越の関連で1つ。

  花小金井は8畳の1DKで、双子が生まれた4人家族の住居には狭過ぎたので、川越(南大塚)の3DKに引っ越した。
  花小金井は数百世帯もある大規模社宅だったけど、ここは数十世帯の借り上げアパートの社宅だった。
  (そういえば花小金井では、社宅から小平市議1名出していたっけ)
  しかし町内会としては世帯数が多いので、社宅から副会長(1名)を出すことになっていた。
  若冠30歳ではあったけれど、私がその副会長をやることになった。

  最初はえらい貧乏クジを引いたなと思ったけれど、町内会の副会長は戦力外で、定例の寄合に出席するだけでOKだった。
  しかも、定例の寄合はいつもきまって駅前の寿司屋で、時間も1時間少々。
  不動産屋のオヤジが実力会長で、あとは想像どおり、特上寿司を食べて呑んでオワの寄合だった。
  
  ちなみにその寿司屋さんを検索してみたら、なんと今も立派にやっていました。
  もちろん建物は当時とは変わっていたけど、大黒スシ、懐かしいなぁ~
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サラリーマン時代の通勤電車

2012年09月18日 11時59分48秒 | サラリーマン時代
アタマのリハビリを兼ねて、乗りもの好きだから電車繋がりで、
サラリーマン時代の住まい地と通勤路線を書き出してみる。

 ① 名古屋  (名鉄バス)猪子石―覚王山、(地下鉄東山線)覚王山―伏見
 ② 所沢   (西武新宿線)新所沢―西武新宿、(地下鉄丸ノ内線)新宿―霞が関
 ③ 小平   (西武新宿線)花小金井―西武新宿、(地下鉄丸ノ内線)新宿―霞が関
         (西武新宿線)花小金井―東伏見
 ④ 川越   (西武新宿線)南大塚―東伏見
 ⑤ 世田谷  (小田急線)成城学園前―代々木上原、(地下鉄千代田線)代々木上原―霞が関
 ⑥ 名取   (JR東北本線)名取―仙台
 ⑦ 荻窪   (地下鉄丸ノ内線)荻窪―大手町
 ⑧ 千葉   (千葉都市モノレール)作草部―千葉みなと、(JR京葉線)千葉みなとー海浜幕張
 ⑨ 板橋   (都営三田線)板橋区役所前―大手町、品川、幕張
 ⑩ 名取    倒れてからの通勤は、お銀の運転による自家用車送迎

独身、単身赴任の引っ越しを含めてだけど、30年間に計10回、単純計算では3年に1度の引っ越しになる。
ははぁ~ん、ここから来ていた訳だ。
今でも我が家では物は多くないし、家を建てた時から絶対物置を買わなかったものなぁ~

 ps:⑦~⑨は単身赴任
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シントコの思い出

2012年09月17日 10時14分09秒 | サラリーマン時代
◇冬の朝は、6時半といえどもまだ薄暗い。
  切り絵のような富士山のシルエットが、意外に大きく見えた。

  新所沢(シントコ)始発準急の先頭車両に座り、終点・西武新宿駅に着くまでの約50分をまた寝る。
  終点1つ前の高田馬場で、乗客の2/3が降りる気配で、私は目が覚める。
  次はいよいよ終点、西武新宿だ。
  乗り換えの丸ノ内線まで結構距離があったし、この時間の地下鉄は超満員なので、ヘタすると新宿でも乗れないことがあった。
  よしっ、西武新宿駅に着いた。
  改札口→階段と小走りで降りているところで、目が覚めた。

  朝寝ていると横になっている姿勢の所為で、マヒ肩やマヒ尻が重くないし、手足のマヒ感もあまりない。
  新入社員の頃の夢だけど、駅の階段を小走りで降りていたぞ。
  まさ夢で、将来はぜひこうなって欲しいものだ。

   ps:私が勤めていた会社は、入社して3年間が新人育成期間だった。
     前半は名古屋の支店で実習して、後半は東京本社で実習し、シントコの独身寮に住んでいた。

◇今日のはなまるカフェのゲスト=岡田准一くんを見ていたら、
  両目の映像がズレているというよりも、感覚的には映像がダブって見えるに近くなってきたと思う。
  映像を見る角度や、視線を変えたりした時などには、依然として大きくズレるけどね。

  顔面神経関係の後遺症ビファ・アフタは、ココ
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふぅ、昨夜は蒸し暑かった

2012年09月15日 06時17分11秒 | 体重・血圧
【体重】
  73.0kg  → 先週=73.0kg、2週前=72.5kg、3週前=73.5kg、1月前=73.7kg
           2012年=71.5kg、11年=72.3kg、10年=76.8kg、09年=76.9kg、08年=77.9kg、07年=79.7kg

【血圧(高―低、mmHg)】
  9月=116-63  → 8月=119-71

【特記】
 ◇体重は73.0kgで横ばいか、まあ好いだろう。
   日中の残暑は今年も異常に長いけれど、近頃では異常なことがなんか当たり前になった観がある。
   それにしても、昨夜は寝苦しいくらいに蒸し暑かった。
   大型で猛烈な台風が湿った南風を吹き込ませているのかな、雨でも降らせて水不足を解消してくれれば良いのだけど。

 ◇世間的には土日月で3連休だけど、9月17日が敬老の日と言われても全然ピンとこないわな。
   老人って何歳からと娘が聞いてきたけど、多分65歳からじゃないか、前期高齢者というくらいだから、と一応答えておいた。
   今の時代感覚では、還暦じゃまだ鼻たれ小僧の感じだよな。

 ◇今日のぶらりは高田万由子さんで日比谷線か、なんか美味しいものを期待できそう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡瀬・十津川警部

2012年09月12日 11時30分27秒 | 日常
◇昨日午後から十津川警部を見て、久しぶりに渡瀬・十津川警部の魅力を堪能した。
  渡瀬・十津川警部には滲みでるような重さと渋さがあって、それが堪らないんだよね。
  ドラマは以前にも見たことがあったけど、渡瀬―伊東の十津川―亀井コンビに、何故かもう1つ惹かれてしまう。(ニヤッ)

  テレ朝系‥高橋英樹―愛川欽也
  フジ系‥高嶋政伸―古谷一行
  TBS系‥渡瀬恒彦―伊東四郎

  先日フジテレビで高嶋政伸さんの十津川警部を放送していたけど、全然見る気すら起きなかったな。
  高橋英樹さんの十津川も何本か見たことがあるけど、どうもしっくりこないんだよね。
  ドラマ自体は西村作品のトラベルミステリーらしく、列車ダイヤ関連の謎解きで面白く仕上がっているのだけれどね。

  渡瀬さんも年々おでこが禿げあがってきているけど、そんなことは気にせずに、渡瀬―伊東コンビを長く続けて欲しいなぁ~

   ps:そう言えば、以前の十津川警部は天知茂さんの時代もあった。
      チャラ~の音楽とトラベルミステリーらしさを引き継いでいるのは、高橋・十津川なのだけどね。
      1984年かぁ~、あの頃は私も32歳、みんな若かった、仙台駅も新しい駅舎になってたし。

◇午前のリハビリで両手で手摺を掴み足踏みしたけど、感触が非常に好い。
  両足の足の裏の触感(接地感覚)、スネ・ふくらはぎの外側、太腿の外側が、
  マヒ足と良い足とで日に日に、だんだん近づいているのがよく分かる。

  しかしニューロリハビリの観点から、マヒ足に体重をかけた足踏みをできるだけ長く続けたいので、
  試し歩きなどはやる気持ちを抑えて、最低でもあと3年間は修行のつもりで足踏みをしようと思っている。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

介護調査&ヒアリング

2012年09月11日 11時37分15秒 | 脳幹出血
◇昨日午後から介護調査をする人が来て、ヒアリング調査を受けた。
  市役所から委託された男のケアマネさんだった。
  過去は全て女性だったので初めは緊張したけど、むしろ親身に聞いてくれたし、かえって話をし易かった。

  要介護が重い人でも長い年月のうちには介護者に先立たれて、一人の生活を余儀なくされてしまう例もあるので、
  娘の仕事中は一人で生活しているからといって、個々の生活行動が自立していることにはならなくて、
  それはいろいろな事情で不自由しながら生活しているということだから、
  一人でいる時間が長いからといって、決して要介護度が軽くなることはないとか。

  目からウロコが落ち、昨日のヒアリングは非常に有意義だった。

◇今日のはなまるカフェのゲストは、大好きな石川さゆりさんだった。
  今年はデビュー40年で、まだ54歳とのこと、私より6歳下か。
  よしっ、10年後のデビュー50周年には、新宿コマだろうと、名古屋の御園座だろうと、
  杖なし歩きで追っかけて、ナマの石川さゆりさんを観てやると心に誓って、足踏みに汗を流した。

   天城越え
   ウイスキーがお好きでしょ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イッテQ!と清盛

2012年09月10日 11時30分36秒 | 日常
◇昨夜はイッテQと平清盛を両方とも見たかったので、清盛はBS3chで夕方6時から見た。
  こうすると、夜8時からは日テレのイッテQ!が見られる。

  清盛は死の病から蘇ったので、武士を頂点とする世を作るのだと、残りの晩年は一直線に突き進んで行く。
  最強最悪の脳卒中=脳幹出血に倒れた私としては、清盛のその気分がよく分かる気がする。

  『あちきの腹を切っておくんなんし!』
  最近とみに女らしくなってきた鬼やっこ姉さん、昨夜のガチ相撲によると、どうもオトコができたらしい。
  やさぐれ生活ですさんでいた鬼やっこ姉さんも、季節が秋に移ろうにつれ、めでたくも色づいてきた訳だ。
  タイに集結し、天国か地獄かのバトルを繰りひろげた6人の女芸人、昨夜のイッテQ!は大変面白かった。

◇今朝明け方、手のひら(特に指先)、足裏(特に土ふまずとかかと)の皮膚感覚が、驚くくらい強かった。
  期待どおり午前中の足踏みは、先週までの足踏みよりかなり良かった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

温度感覚とメロンパン

2012年09月08日 11時20分54秒 | 体重・血圧
【体重】
  73.0kg  → 先週=72.5kg、2週前=73.5kg、3週前=73.7kg、1月前=71.9kg
           2012年=71.5kg、11年=72.3kg、10年=76.8kg、09年=76.9kg、08年=77.9kg、07年=79.7kg

【血圧(高―低、mmHg)】
  9月=116-63  → 8月=119-71

【特記】
 ◇昨夜入浴した時に、マヒ半身でのお湯の感じかたを観察してみた。
   風呂場は濡れて滑り易いから、オランウータンのように常に両手両足で身体を支えるようにしているし、
   立ったり動いたりする時にも、指差呼称するように1つの手足の動作をゆっくり行っている。

    ・マヒ足へのお湯の温かさは、リアルタイムに感じるようになった。
    ・ただしマヒ半身で感じる温度は実際のお湯より低く、32,33℃のぬるめのお湯にしか感じなかった。
    ・昨夜はシャンプーをしたけど、風呂から上がるまでぬるめの温度感覚は変わらなかった。

   短期間のうちにリアルタイムでお湯を感じるようになったけど、感じる温度が戻るにはもうちょっと長い時間がかかりそうだ。

 ◇今朝も朝食で食べた『ふらのメロン小町
   311サバイバルの経験から、朝食は非常災害用も兼ねてロングライフパンにしているけど、このメロンパンは値段の割には超美味しい。
   朝っぱらからメロンシュークリームを腹一杯食べた気分になるので、先週末から0.5Kg増えたけど、気にしない気にしな~い。

    つぐない
      テレサテンさんも良いけど、桂銀淑さんのハスキーボイスのつぐないも好いなぁ~
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

面白いもの見つけた

2012年09月07日 11時34分38秒 | 日常
◇今朝は寝ていても、めっきり涼しくて秋を感じた。
  夏掛けふとんを腹にかけては、もう終わりなのかも知れない。
  今朝5時のリビングは26℃で、寒がりの私にはエアコンなしで丁度好い温度だ。

  ユーチューブをブラブラ散歩していたら、面白いものを見つけた。
   ♪ 田舎のバスはおんぼろクルマ~、でこぼこ道をガタゴト走るぅ~、
  私が小学生の頃の唄だが、未舗装のでこぼこ道を走る時に、私はよく鼻歌で歌ったものだ。
  この歌は娘達のツボにはまったらしく、私が歌うたびに大喜びしてよく一緒に歌った、まだ娘達が小学生の頃だったけどね。

  鼻歌はサビの短いフレーズの繰り返しだったけど、正調がこんなに長い歌だったとは。

◇ニューロリハビリ文献を読んだり、最近の回復状況をみて思案していることだけど、杖を使って強引に歩くのは止めようかと思う。
  マヒ足での片足立ちが10秒以上できる(杖なし歩行ができる目安)ようになるまで、
  手摺を掴んでの足踏みを続けたほうが、かえって良いのではないかと考え直している。
  最近リハビリで足踏みや手離し歩きをしていて、身体でもそう感じている気がする。 

   追記=歩くときには、少しの間、片足立ちをしている。
        右足を一歩前に踏み出すときは、左足だけに全体重が乗っている。
        同様に、左足を一歩前に踏み出すときは、右足だけに全体中が乗っている。
        つまり歩くことは、左右の足で片足立ちを繰り返していることになる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自宅生活は手摺か車イスか

2012年09月06日 11時22分16秒 | リハビリ・ADL
大学病院に転院してからナースさん達が実地で教えてくれた、
 ・ベッド⇔車イス間の自力移乗
 ・車イストイレの単独使用、移乗
 ・シャワーでの自力洗体、自力洗髪、衣類の自力着脱
 ・着替え、歯磨き、洗面、タオル絞り、車イスでの食膳移動方法など
その後のOT(作業療法)リハビリが不要なくらい実戦的だったし、この時期の激的な回復の原動力だったと思う。

退院後を見据えて、自宅での生活をどうやって送るか。
具体的に言えば、自宅で車イス生活ができるか否か。
Noならば、車イスに代わる代替手段は何か、自宅を改造して生活できるようにすることが急ぎの懸案だった。

病院側は自宅の柱を数本切ってでも、車イス生活できるようにリフォームするべきと主張したけど、
金のなる木がある訳じゃなし、
最終的に私は病院推奨の車イス自宅リフォーム(建て替え?)案を断固拒絶した。
結論を言えば、非現実的な病院側を見限って、手摺を据え付ける自宅改造を業者と相談して実行した。
この業者には脳卒中の人も何人かいて、女房から私の病状を聞き出し、
実に行き届いた手摺の設置を、特急で4月一杯でやってくれた。

これがあっての外泊許可だったし、その後も毎週末には自宅に帰れたし、
お湯の温かさは分からなくても自宅の風呂に入って満足できた。
この手摺伝い歩き生活があったればこそ、今も長期にわたり回復を引き出している原動力になっている。

 ps:おそらく病院側は、退職→生活保護→公営住宅で車イス生活、とでも思っていたのだろう。
   ふん、見くびるな、そうやすやすと降参する私じゃないわい!!
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする