八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

脳幹出血後の経過(半年)

2012年09月05日 07時02分35秒 | はじめに
1998年
1月14日、脳幹(橋)出血 → 2月2日まで昏睡(意識なし)
2月3日、意識回復、両手両足完全マヒ、非常に寒さを感じ、靴下手袋着けるもダメ。
2月中旬、背骨がフニャフニャ、ベッドの背凭れで女房に歯磨きをして貰うも、ただ口が半開きできたのみ。
2月20日、病床で両手両腕のリハ体操を開始。
2月下旬、PT室でのリハ開始、背骨首骨が依然ぐにゃぐにゃで両足のヒザが笑った状態。→立位訓練は苦しかった。  
     導尿チューブは取れたが、点滴・経管チューブは付けたままリハビリした。
3月上旬、飲食は厳禁だったけど、内緒でミルクたっぷりのコーヒーゼリーをパクリ 
      → この世のモノと思えぬ甘さ・美味しさを感じ、生き延びてもっと美味しいものを食べ尽くしたい意欲に火が点いた。
3月第1週、洗面所で実習生の指導のもと、車イスで片手の歯磨きをする。
3月第2週、東京→仙台(東北大学病院)に転院。
3月中は検査検査で明けくれたけど、ナースさん達のトイレ・シャワーなどの実地指導が最高のリハビリになった。
3月末、流動食からおかゆ食へ。またリハビリパンツを卒業して、布のおパンツになった。
4月からは、ナース見守りでシャワー&&洗体。
4月GW前、初外泊許可 → この時にマヒ足首内側血管に、『もわ~』っとした最初の血流刺激を感じた。
5月末、主治医と衝突。→ 松葉杖での歩行リハビリを主張した私と、
                  将来も歩行は無理だから車イスリハビリせよと主張した主治医との衝突。
6月下旬、宮城病院へ転院。

大学病院では4月から本格的なリハビリが始まったが、組織トップの教授にに逆らう訳には行かなかったのだろう。
そんな中にあっても、ベテランナースさんの一人は陰ながら応援してくれたけどね。
この時期に宮城病院のリハビリのように、アグレッシッブにPTをやっていたならと思うと非常に残念。
しかし、さすが大学病院。
ナースさん達のADL実地指導のお陰で、激的な改善をみたことに深く感謝している。
コメント (8)
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