Positive life & Unfinished dream after 60

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和菓子、京菓子(TT)

2015-04-21 08:27:51 | 生活情報その他
4月20日の芸能史の講義では和菓子について勉強しました。 花びら餅って以前、第一化学さんを正月の初出の際に訪れると必ずお茶を立てていただきましたが、抹茶と一緒に出していただいたのがこのお菓子でした。 裏千家の好み菓子で丸い白餅は男性、ひし形の赤い餅は女性をあらわしているそうです。中にごぼうを2本置くのは、鮎を2匹のせる意味合いがあるそうです。 正月にだけ縁起ものに出される歴史のある意味深いお菓子なんだと思いました。 美味しくて、しかも視覚的にも歴史的にも楽しめる素晴らしいお菓子ですね。

  1. はなびら餅とは、京都でお正月にだけいただく伝統の御菓子の一つで、柔らかいおに京都のお雑煮に見立てた白味噌のあんをごぼうと共に求肥で包んであるお菓子です。 ごぼうを包むのは、一説に、この花びら餅が裏千家初釜の「菱葩(ひしはなびら)」を菓子化したものであるからだと言われています。「 菱葩」は丸く平らにした白に、赤い小豆汁で染めた菱形のを薄く作って上に重ね、柔らかくしたふくさごぼうを二本置いて、押し鮎に見立てたものです(鮎は年魚と書き、年始に用いられ、押年魚は鮨鮎の尾頭を切っ取ったもので、古くは元旦に供えると『土佐日記』にあります)。
日本の季節ごとに和菓子があり春は桜餅、柏餅、ちまき、夏には水無月、秋には月見団子、着せ綿など色んな和菓子があります。
 
 
上の写真は水無月で由来を以下に貼り付けましたが、和菓子には色んな意味合いや歴史があるんですね。
 
6月30日は水無月を食べる日です。京都では1年のちょうど折り返しにあたるこの日に、この半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓(なごしのはらえ)」が行われます。

この「夏越祓」に用いられるのが、6月の和菓子の代表ともいうべき「水無月」です。水無月は白の外郎生地に小豆をのせ、三角形に包丁された菓子ですが、それぞれに意味がこめられています。水無月の上部にある小豆は悪魔払いの意味があり、三角の形は暑気を払う氷を表しているといわれています。旧暦6月1日は「氷の節句」または「氷の朔日」といわれ、室町時代には幕府や宮中で年中行事とされていました。この日になると、御所では「氷室(ひむろ)」の氷を取り寄せ、氷を口にして暑気を払いました。

「氷室」とは冬の氷を夏まで保存しておく所のことで、地下など涼しいところを利用して作られた、昔の冷蔵庫のような場所です。京都の北山には「氷室」という名の場所があり、今でもその氷室の跡が残っています。昔はこの北山の氷室から宮中に氷が献上されたと『延喜式』に記され、宮中では氷室の氷の解け具合によってその年の豊凶を占ったといいます。

当時は氷室の氷を口にすると夏痩せしないと信じられ、臣下にも氷片が振舞われたようです。しかし、庶民にとっては夏の水はとても貴重で、ましてや氷など簡単に食べられるものではありません。そこで、宮中の貴族にならって氷をかたどった菓子が作られるようになりました。これが水無月です。水無月の三角形は氷室の氷片を表したもので、上の小豆は悪魔払いの意味を表しています。

和菓子は節句とも関係が深く、3月3日の上巳の節句には、菱餅、5月5日の端午の節句には、ちまきや柏餅、7月7日(たなばた)には索餅(さくへい)、9月9日の重陽の節句には着せ綿というお菓子が食べられます。 以下、節句についての抜粋です。

  1. 節句は季節の節目に、無病息災、豊作、子孫繁栄などを願い、お供え物をしたり、邪気を祓う行事で「節供(せっく)」ともいいます。 ※「節供」、季節の変り目に神に供えた食物のことです。 人日(じんじつ・1月7日)、上巳(じょうし・3月3日)、端午(たんご・5月5日)、七夕(たなばた・7月7日)、重陽(ちょうよう・9月9日)の5つを五節句といい、中国から伝わりました。 中国の暦法日本の風土や農耕を行う生活の風習が合わさり、宮中行事なったものが「節句」の始まりされています。
最後に京の門前菓子について勉強しました。

みたらし団子(下鴨神社)
あぶり餅(今宮神社)
長五郎餅、栗餅(北野神社)
おせき餅(城南宮)
 
みたらし団子は今ではどこでも買えるほど人気がありますし、あぶり餅は武田金糸さんの近くにある今宮神社の門前菓子で2つの老舗が私どもが元祖だ言いながら販売していることを武田金糸の方から聞いたことがありますし、一度、食べた記憶があります。

京都で京菓子が発展したのには京都に朝廷、宮廷があり高級なお菓子を楽しむ貴族が多く住んでいたことや、茶道、神社、仏閣、そして材料(小豆、寒天、葛、穀類、砂糖)、西陣の一大産業地など多くの要素があったようです。 京菓子は視覚、聴覚、触覚、味覚を満足させるもので皇室を中心とした貴族文化むけに開発された和菓子と言えそうです。
また当時の江戸とは色合いでは京都はやわらかい色合いで抽象的な形、江戸の和菓子は具体的な色合いと形と文化の違いが顕著に反映されているそうです。 以上、私の初回の授業の大事な部分を書かせていただきました。 来週は能を勉強する予定です。



 
コメント (2)
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