ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

『言葉を用いるべきときではなかった。

2008年03月31日 18時22分49秒 | Weblog
みんな、胸いっぱいになっていた。われ知らず、目から喜びの涙が溢れ出てきたことを、はっきり認めよう。やっとのことで長い待ち時間が終わり、救援がやって来たと思うと――アザラシ狩りとも、悪臭を立てる獣脂の煙とも、ソリの旅とも、ブリザードとも、凍傷だらけの手や足ともこれでおさらばできると思うと、あまりにうれしすぎて現実とは思えなかった』

 近づいてくる救援隊の姿を見つけたときの思いを、ロス海支隊の一員だったジャックは日記に、そう記した。
 南極探検といえば、一番乗りを果たしたアムンゼンと、そのアムンゼンから1か月遅れで南極点に達しながら帰路に遭難死したスコットの名前があまりに有名だ。が、近年になって第三の男シャクルトンの存在がクローズアップされるようになった。結局、一度も南極点に到達できなかったにもかかわらずに・・・。2年半の南極海漂流後、探検船エンデュアランス号の乗組員28名を全員無事帰還させた男として。
 しかし、実はそのシャクルトン本体とは別に、本隊支援の食糧基地設営のために南極を本隊から逆に極点に向かった10人の男たちがいたのである。それが、3人の殉職者を出したロス海支隊だった。
 本隊のシャクルトン隊は沈没して、南極大陸横断に出発もできなかったにもかかわらず、支隊の彼らは、本隊が帰還するために必要な食糧基地を次々と建設し続け、約束の期限内に任務を遂行したのだった。本隊の遭難を一切知ることもなく・・・。
 そして、“全員生還”というシャクルトン隊の栄光の影で、彼ら10人の奮闘は歴史の中に埋もれようとしていた。
 それを、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、南極にまで取材し書き上げたケリー・テラー=ルイスという女性作家にまずは拍手を送りたい。『シャクルトンに消された男たち』(文藝春秋)は、そう思わせる1冊であった。
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