ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

高橋みゆき選手のイタリア挑戦

2005年08月25日 00時44分21秒 | Weblog
 日本の女子バレーボール界に久々の明るいニュース。女子日本代表のエースでNEC・レッドロケッツに所属する高橋みゆき選手が、イタリア・プロリーグでプレーすることになり、練習を始めたというニュースを見た。
 有名なサッカーのセリエAを範として始められたバレーボールのセリエAは、上位リーグのA1と下位リーグのA2に分かれているが、高橋選手が所属するビチェンツァは、12チームで争われるA1で昨シーズンは8位だった。まだ一度も優勝争いに絡んだことはないチームだが、若手をていねいに育てることには定評がある。2002年の世界選手権で優勝したイタリアのエースでMVPを獲得したトグット選手も、2003年ワールドカップで得点王となったグリンカ選手(近年躍進著しいポーランドのエース)も、このチームで育った。昨年(2004年)夏、アテネ・オリンピックを前にした日本代表のヨーロッパ遠征時に、栗原恵選手(当時NECで、現在はパイオニア)と木村沙織選手(東レ)に接触を試み、入団の話を持ちかけたのも、このチームだった。彼らは何度も「彼女たちを育てたい」と言った。オーナーが大の日本びいきで、スポーツ分野担当の秘書に日本人を雇っているほどだから、高橋選手も大事に扱ってもらえるだろう。
 ただ、そのヨーロッパ遠征の折、イタリア、ブラジル、ポーランドと戦う当時の日本代表チームのプレーを特別席で観戦していたイタリアのリーグ監督たちが、口をそろえたように、「この中で、イタリアのリーグで使えるのは、13番(大友愛選手)だけだ」と言っていたことを覚えている者からすると、複雑な気持でもある。
 身長が170cmで、ジャンプの最高到達点も3mに届かない(295cm)高橋選手は、2005年日本代表のメンバー表に名を連ねたときも、誰も注目しなかった。「アテネで終わった」と思われていたし、「せいぜい北京への橋渡し役」、「若い大山、栗原が育つまでのつなぎ」と思われていた。それが、サブキャプテンとして、チームをまとめただけではなく、世界上位12ヵ国で争われたワールドグランプリ大会の決勝ラウンドで、世界の強打者を差し置いて、最多得点を記録し、まさに世界を驚かせた。
 世界からトップ選手が集まるセリエA1の中で、170cmの高橋選手は、ひときわ小さなエースアタッカーだ。180cm台が普通の世界の中で、どうやって活路を見いだすか? “北京を諦めない”ために挑んだはずの高橋選手の挑戦を、今シーズンは見詰めてみたい。[セリエA1女子開幕:2005年10月9日]

●今日のビタミンP:「われわれは、望もうと望むまいと、すべてが疑問に包まれているときに決断しなければならない」(ウォルター・リップマン=米・政治評論家)


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