ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

情熱の強度について

2009年09月15日 12時44分20秒 | Weblog
 2009年9月13日(米現地時間)、ついに9年連続200本安打を達成したイチローを支えているものは何だろう?とずっと思っていたのだが・・・、
これかもしれないと思えたのが、“情熱の強度”という言葉だった。

この言葉は、ツヴァイクが『ジョゼフ・フーシェ』の中で、バルザックに触れて書いている部分で、次のように使われている。
「バルザックは、いわゆる英雄的情熱でも、いわゆる低劣と思われる情熱でも、情熱と名のつくものはすべて、彼のいう感情の化学からすれば、完全に等価値の元素だと見なす習慣があったから、・・・(中略)・・・道徳的であるか、非道徳的であるか、などと決して区別しないで、いつも、人間の意志の価値と、人間の情熱の強度だけを測っていた」

 そして、ツヴァイクは、このバルザックの指摘から霊感を得て、バルザックが偉大だと見なした男・フーシェについて筆を執った。それが、『ジョゼフ・フーシェ』(みすず書房)だった。

 ツヴァイクには『人類の星の時間』という作品があって、彼はそこで、歴史の中には、崇高な、忘れがたい瞬間というものが稀ではあるけれど存在すると言っている。そして、そうした事が起こるのには一人の天才が現れ出ることが必要であって、「坦々たる時間が流れ去るからこそ、やがて本当に歴史的な、人類の星の時間というべきひとときが現れ出るのである」と書いている。
 前人未到の“世界でたった一人の記録”、9年連続200本安打を成し遂げたイチローが、いつも強調するのは、1本1本と積み上げていくことの大切さとそのための入念な準備。その“坦々たる時間”の積み重ねこそが、偉大な記録へのいちばんの近道だといつも言外に語っている。
 ツヴァイクは、この『人類の星の時間』の中で、ナポレオンやゲーテ、南極探検家スコットなどの成した運命的な瞬間を描いているのだが、2009年9月13日という日のイチローも、そんな“人類の星の時間”の中にいたのではないだろうか?

 さて、イチローのことはさておきフーシェだが、この男にも“人類の星の時間”ともいうべき瞬間は訪れたのだろうか?
 ツヴァイクはみずから、「まったく無道徳な人間の伝記」だとして、この書を書いている。
 フーシェはフランス革命真っ只中のパリ、『人権宣言』が発せられるこの革命の激動の中で、ロベスピエールとともに恐怖政治の推進者となって、“リヨンの虐殺者”として名を知られるようになった男である。ロベスピエールさえ不可侵とした私有財産に対して戦いを挑み、自らが総督を勤める州において、教会と私有財産に対する戦いを挑んだ。その精神の支柱となった「リヨンの訓令書」は、マルクスの共産党宣言に先立つ近代における最初の共産党宣言だとツヴァイクは書いている。かつては自らが物理教師として在籍した教会を破壊し、資産家には財産の供出を強い、反対する者は粛清し、“首切り役人”、“吸血鬼”と呼ばれた。「仮借なく徴発し、教会を略奪し、財産を搾取し、あらゆる抵抗をひねりつぶした」とされている。
 ところが、パリでは数百人単位で連日銃殺刑が行われ(ギロチンでは非効率だとして)、ナントでは容疑者が数百人ずつロアール河に沈められていたころ、フーシェの州では一度も政治犯の処刑が行われてはいなかったのである。

 それにしても、この急進社会主義者が最後はオトラント公爵として億万長者へとのし上がっていく過程は何と表現したらいいのだろう。
盟友ロベスピエールと対立してその粛清の犠牲者になるかと思えば逆で相手を断頭台に送り込む。王党派に属しながらも時代の空気を察すればルイ16世の処刑に賛成の票を投じる。革命が終焉しナポレオンが総統となると警視総監として全権を振るい、ナポレオン以上に権力を振るう。皇帝となったナポレオンが失脚すれば今度は王政復古の中を生き延び、ルイ18世がパリに戻ってくると知れば、先頭に立って凱旋の事前工作を進め国王復権の立役者となってしまうのだ。
 それゆえに、後世の歴史家はもとより、ライバルであった者たちの回想録の中でも、“天性の裏切り者”、“いじましい策謀家”、“爬虫類”、“職業的な変節漢”、“下劣なイヌ根性”、“みじめな背徳者”と軽蔑をこめた悪口が浴びせられている。

 そんな男がなぜ、フランス革命という世界の大転換期の中で、あらゆる党派に属し、彼らを引きずりまわしながらも、結局そうした党派の名だたる人物たちが次々と消えていく中でただ一人生き残ったのか? ツヴァイクはその歴史を淡々と描いていく。
 そこにはイチローと共通するひとつのことが描かれている(のだと思う)。

 つまり、フーシェはどんな風聞にも耳を貸さず、誰一人として知られることなく、こつこつと努力した。政治の舞台に現れる人間や政敵、出来事や、かけひきを、黙々としてコツコツと集め、それに没頭し、研究していたのだった。
それゆえに、同志ではあっても決して気を許しはしなかったロベスピエールも、内心では軽蔑していたナポレオンも、兄ルイ16世を断頭台に送られたルイ18世も、そばに置かざるをえなかった。なぜなら、彼のほうが秘密を知り抜いていたからだ。有用な助言を与えるし、そのための貴重な情報を持っているし、いつも次代を予感させる出来事を的中させるという透徹した眼力をそなえていたからである。

 しかし、そんな男にも最後の時はやってくる。
「トリエステの市民は」と、ツヴァイクは書いている。
「ときどき、一人の病み衰えた老人が、思い足を曳きずりながらミサに出かけ、両手を組み合わせて、祭壇の前でひざまずく姿を見た」
 四半世紀前に、自分の手で祭壇の十字架を叩き壊した男が、白髪の頭をうなだれて、自ら“笑うべき迷信の標識”と罵倒したものの前でひざまずいていたのである。
どのように強度の高い情熱も一生は続かない・・・。
ツヴァイクはそう言いたかったのだろうか?

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