ビタミンP

苦心惨憺して書いている作品を少しでも褒めてもらうと、急に元気づく。それをトーマス・マンはビタミンPと呼んだ。

厳格な温度管理が求められるワクチンを途上国にも行き渡らせるのは、ほぼ不可能

2020年11月12日 17時09分53秒 | Weblog

ワクチン、作れても輸送が難しいという大問題

マイナス80度の超低温輸送をどう実現する?

(The New York Times 2020・09・30)

 

 新型コロナウイルスのパンデミックを終息させるには、多くの課題を乗り越えなくてはならない。製薬会社が安全で効果的なワクチンを開発するだけでなく、数十億という人々からワクチン接種に同意を取り付ける必要もある。

 だが、もっと実務的な問題が存在する。ワクチンを入れた小さなガラス容器を、真冬の南極なみの低温を保ったまま数千マイルも離れた場所に輸送しなければならなくなりそうだからだ。

■逃れられない足かせ

 現在開発が進む主なコロナワクチンの多くは、容器詰めされてから患者の腕に注射する準備が整うまでの期間、摂氏マイナス80度という超低温で保存する必要がある。

 これは簡単ではない。ある大陸で製造されたワクチンは別の大陸に出荷されることもある。接種が行われる病院や施設に届けるには、物流拠点を何カ所も経由することになるのだ。

 アメリカではまだ保健当局から承認されたワクチンは存在しないが、大規模接種の準備は着々と進められている。ワクチンの配布には、軍と連邦政府の契約業者が関与する見通しだ。そして多数の関連企業は今、数億回分ものワクチンを超低温保存する方法を見つけ出そうと奔走している。

 航空機、トラック、倉庫には冷凍庫を備え付け、ガラス容器は超低温に耐えられるものとしなければならない。ドライアイスの大量生産も手配する必要がある。

「われわれは輸送面の複雑さを理解し始めたところにすぎない」と、シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のJ・スティーブン・モリソン上級副所長は指摘する。「この問題を避けて通ることはできない。超低温管理の厳しい要求が、ワクチン利用の足かせとなる」。

 トランプ大統領は9月18日、具体的なワクチンの種類に言及しないまま、来年4月までにすべてのアメリカ国民を対象に数億回分のワクチンが利用可能になると主張した。政府の専門家が示しているのよりも野心的なスケジュールだ。アメリカ疾病対策センター(CDC)のロバート・レッドフィールド所長は16日の上院委員会で、来年の半ばより前にワクチンの一般接種が可能になることはないと述べている。

 第3相臨床試験に進んだ3つのワクチンのうち、2つ(1つはモデルナとアメリカ国立衛生研究所が、もう1つはファイザーとドイツのビオンテックが共同開発中)は常に超低温に保たなければならない。そうしなければ構造が壊れる人工遺伝子で作られているためだ。一方、イギリスのアストラゼネカとオックスフォード大学が開発しているもう1つのワクチン候補の場合、冷蔵は必須であるものの冷凍の必要はない。

 医薬品卸大手マッケソンは8月、コロナワクチンの配布で連邦政府と大口契約を結んだ。しかし輸送業務の大半を任されるのは、医療・医薬品業界以外の企業だ。UPSやフェデックスなどアメリカの大手物流会社はすでに冷凍物流のネットワークを有しており、生鮮食品や医療品の輸送に使っている。これらの物流企業は、季節性インフルエンザを含む他の感染症のワクチンを輸送した経験もある。

 ところがコロナのワクチン接種は、過去に類を見ない規模となる可能性が高い。

 UPSは氷点下の温度で数百万回分のワクチンを保管する冷蔵施設の建設を、同社最大の物流拠点ケンタッキー州ルイビルで進めているという。

 一方、フェデックスでワクチン輸送の準備を取り仕切るのは、創業者フレッド・スミス氏の息子リチャード・スミス氏だ。アメリカ大陸で同社の航空貨物事業を統括するリチャード・スミス氏は、2009年の新型インフルエンザH1N1パンデミックの際、ライフサイエンス分野の航空貨物責任者だった。このときフェデックスはアメリカ政府からワクチン輸送で支援要請を受け、世界各地にある冷凍施設の能力を倍増させたと同氏は振り返る。

「幸い、H1N1のパンデミックは想定されたほどではなかった。が、おかげでコールドチェーン(冷凍・冷蔵物流)の基盤を強化することができた」とスミス氏。

■ドライアイスが足りない

 課題はまだある。コロナ禍の思わぬ「副作用」が顕在化し、ドライアイスが世界的に不足しつつあるからだ。

 冷たい煙を発し、科学実験で子どもたちを夢中にさせるドライアイスは、二酸化炭素(炭酸ガス)を原料とする。その炭酸ガスは、エタノール製造時に副産物として生成されるが、エタノールの生産量はガソリン需要に応じて変動する。今年の春に自宅待機令が施行されると、自動車を運転する人が減少した。その結果、エタノール生産は低迷し、これと連動して炭酸ガスの供給量も落ち込んだ。

 UPSとフェデックスは、自力での問題解決に乗り出した。フェデックスはドライアイス製造装置をすでに倉庫に配備、UPSも同様の装置の追加を検討中という。

 加えて両社は、配送員に特別な研修を行うほか、冷凍荷物を扱うための手袋など、さまざまな装備も用意しなくてはならない。

 ファイザーは待望のワクチン輸送用に専用の箱を設計した。大型クーラーボックスほどの大きさで、それぞれに10~20回分のワクチンを入れたガラス容器を数百個収納することができる。GPS対応の温度センサーを搭載し、ファイザーが箱の位置や冷却状態を把握できるようにした(温度が上昇した場合、作業員がドライアイスを追加できるようにするためだ)。

■ガラス容器も割れる

 しかし、ここまでしても一件落着とはならない。超低温下では、ガラス容器にひびが入ることが珍しくないからだ。

 今年初め、ニューヨーク州西部を本拠とする創業169年のガラス大手コーニングは保健福祉省に対し、ワクチンに対応できる耐寒性のガラス容器が足りなくなると注意を促した。これは同社で製薬関連技術の責任者を務めるブレンダン・モッシャー氏の指摘である。

 コーニングはある解決策を売り込んだ。医薬品用途の基準を満たし、超低温にも耐えられる新しいタイプのガラスを用いた容器をコーニングが大量生産する案だ。アメリカ政府は6月、この特殊なガラス容器の生産で同社と2億400万ドルの契約を結んだ。新しいガラスは原料にホウ素を使用していない。ホウ素は一般的なガラスでは広く用いられているが、容器内の物質を汚染するリスクがある。

 モッシャー氏によると、コーニングは連邦政府から得た資金でニューヨーク州ビッグフラッツの工場生産能力を4倍に増強するとともに、ニュージャージー州のガラス炉とノースカロライナ州の工場建設を加速させている。新たに300人の従業員を募集し、来年には数億個のガラス容器の生産を開始する予定だ。

 ドライアイスと冷凍庫、そして頑丈なガラス容器が十分に確保できたとしても、各地の薬局にはワクチンを在庫しておくのに必要な超低温の保管施設がない。ただ、ファイザーによるクーラーボックスサイズの専用箱を手元に置くことができれば、薬局でもワクチンを保管できるようになるかもしれない。さらにモデルナのワクチンは、接種前の数日間ならそこまで超低温でなくても保存が利く。

 CDCの感染症専門家キャスリーン・ドゥーリング氏は8月、ホワイトハウスの新型コロナウイルス対策タスクフォースで報告を行い、コロナワクチンは厳しい温度管理が求められるため「地域の診療所や薬局が保管・投与するのは極めて難しい」と述べた。「適切な設備と高い処理能力を備えた施設で集中的に」ワクチンを投与すべき、という指摘だ。ただ、どこがそのような施設となるのかは明らかになっていない。

 アメリカでさえ、これだけの課題があるのだ。ここまで厳格な温度管理が求められるワクチンを途上国にも行き渡らせるのは、ほぼ不可能といってよい。国際流通大手DHLとコンサルティング大手マッキンゼーによる最近の調査では、冷凍保管が必要なワクチンに対応できるのは25カ国、接種可能な人口はおよそ25億人にとどまると試算される。超低温冷凍庫の少ないアフリカや南米、アジアの大部分が取り残される計算だ。

「その結果、ごく一握りの豊かな強国との格差がさらに強まる」と、CSISのモリソン氏は指摘する。

(執筆:David Gelles記者)(C)2020 The New York Times News Services

 

 

 


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