第二章 宗学の組織
第二節 教観二門
教観の関係
要するに教理門(げうりもん)と観行門(くぁんげうもん)は、教なる知識(ちしき)が行動の根底(こんてい)となつて本當(ほんたう)の価値が生じ、観なる実践的行動は必ず正當(せいたう)なる知識に基くことを要します故、教の反面は即(すなは)ち観であり、観の存するところ必ず教に依(よ)るのであつて、両者は別箇(べつこ)に存在することは許されないのであります。教は目の能(よ)く物を見て善悪美醜(ぜんさくびしゆう)を知る如(ごと)く、観は目の視(み)る所に基いて親(した)しく足を運ぶ様なもので、、一方にのみ偏(へん)するは甚(はなは)だ不可(ふか)なることであります。古人(こじん)が教或(けうあるひ)は観の一方に偏執(へんしゆう)するは文字の法師(ほつし)、暗證(あんせう)の禅師(ぜんじ)と斥(しりぞ)け、智行一致(ちげういつち)し教観雙(けうくわんなら)べ備へ、解行相資(げぎうあひたす)へよと示(しめ)されましたことは今家宗学(こんげんしゆうがく)の肝要(かんえう)とする所であり、宗徒(しゆうと)の深く銘記(めいき)せねばならぬ点であります。この教観二門(けうくわんにもん)は宗旨(しゆうし)の理論実践(りろんじつせん)の総(すべ)てを包轄(ほうくわつ)して居(を)りますので、こそを宗議(しゆうぎ)といひ、学することを宗学(しゆうがく)または宗乗(しゆうぜう)とも称(せう)します。
(紙数の関係上極ゝ大要のみ掲載いたしました。次号は「五箇法門と三道」「統一原理の諸問題」に就て)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます