天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號(昭和十年三月一日発行) ― 修験道座談会 ―

2012年08月10日 09時03分42秒 | 修験道座談会

十二月五日聖護院門跡に於いて

葛城は本山独特

藤田

大峰と葛城とをもつて金剛胎蔵に形どり顕蜜二つに分けられたのでせう。

藤井

葛城は法華経中心の道場で法華経二十八品を埋められてゐます。友ケ島には序品を納めた序品窟があります。

宮城

当院では往古から大峰と共に葛城を重大視して参りましたが醍醐の方は葛城修行はやらないやうです。

藤井

明治維新直前にも葛城で夷敵退壌の祈祷が行はれたやうですね。何とかして葛城修行を盛んにするわけにはゆきませんかね。

宮城

峰中が平凡て大峰山上に相当する中心がないものですから・・・・

岩井

葛城は古くから女人に解放されてゐたのでせうか。

宮城

文献はありませんが葛城は顕の山ですから恐らく許されてゐたものでせう。

草分

大体聖護院では春は葛城修行、秋は大峰修行をすることになつてゐます。

岩井

葛城は加茂民族の根拠地だから役行者とは密接な関係があるわけだ。

中村

雄略天皇が葛城へ猟にゆかれた時長人に出会されたとか蓬仙人に逢はれたとかいふが、いはゆる長人や蓬仙人は富士の御来迎のやうなものだつたのではないかね。

岩井

雄略天皇と役行者とは時代が違ふからその話は修験道に何の関係もないではないか。

藤井

長人とか蓬仙とかいふのは道教思想から来たものでないですか。

中村

さうかも知れぬね。


修験第二十號(昭和十年三月一日発行) ― 修験道座談会 ―

2012年08月10日 08時28分35秒 | 修験道座談会

十二月五日聖護院門跡に於いて

大峰中心主義

草分

修験道で大峰山を尊重せねばならぬことは申すまでもありませんが、といつて大峰山に登らなければ修験道の信仰ができないやうに考へることは誤りだと思ひます。

藤井

それはお説の通りです。実際においてあまりに大峰中心主義に陥つてゐる感がある。現に近畿地方に住んでゐるものは毎年一回でも二度でも気の向いた時に入峰が出来るが、遠隔の地方にゐる人は一生に一度の入峰も思ひにまかさぬ人が少くない。それらの人でもやはり修験道の信仰者となることはできるのだから、大峰山を離れても修験道は成立するといふことをはつきり認識させるべきだと思ひます。

宮城

元来修験道は真理に立脚してゐるのだから世界的宗教でなくてはならない、われゝは修験道成立の過程において民族的色彩が濃厚なところから国民的宗教だといつてゐるが、それは中外に施してもとらない国民教であるのである、如何に大峰山が根本道場だからといつて大峰山」を中心とする近畿地方の民間信仰と観ることは大なる誤りです。

藤井

修験道の本山が大峰山にあつて全国各地に末寺とか教会とが分布してゐると都合がいゝのですが・・・・丁度高野山のやうにね。

草分

ところが大峰山と本山とが別ですから修験道の発展を期するには非常に都合が悪いのです。末寺といつてもそれぞれ独立の立場で信者をもつてゐるのですから現在の修験道は教団的にいふと末寺とは没交的の感があります。高野山の大師教会のやうに末寺を中心に結社ができてゐて本山が統括してゐるのだと都合がいゝのですが・・・・

藤井

末寺に対して神変教会の支部とか講中とかを結成さしてはどうです。

草分

理想としては結構ですが実際問題としてはさう簡単にはゆかんでせう。