天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月07日 19時55分12秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 宗学講述態度

 茲(ここ)に寺門(じもん)の宗学を講述(こうじゆつ)するに當(あた)つて、一家教学研究(いちけけうがくけんきう)の困難性を指摘しよう。第一に気付くのは、寺門天台(じもんてんだい)は一般の天台史と消長(ぜうてう)を共にしたのであつて時代により説明なり組織に甚(はなは)だしい変遷(へんせん)があつて、名目三年(めいもくさんねん)といはれる如くそれに患(わづら)はされ全般を捕捉(ほそく)するは容易ではない。第二に先哲(せんてつ)の違著(ゐちよ)を通観(つうかん)するに、分科法門(ぶんかはふもん)の一々個々の学として宗学研鑽(しうがくけんさん)の資(し)とするのは多いのであるが、未(いま)だ宗学全体を一つのものとして概説(がいせつ)されたのは殆(ほとん)ど見出(みいだ)すことが出来ない。第三に、圓蜜等(ゑんみつなど)を始め各法門(かくはふもん)を単独に扱ふ為め、同一の語(ご)を説明するにも各法門の立場(たちば)に於いてする故(ゆゑ)、区々雑多(く々ざつた)で然(しか)も確説(かくせつ)がない。これ等(ら)は宗学(しうがく)がその組成(そせい)に於いて多種(たしゆ)の法門があり、その教学方法は帰納的(きのうてき)より演檡的(えんたくてき)であり、自由討究(じいうたうけん)の解釈法(かいしやくほう)を採用した為(ため)であろう。

 故(ゆゑ)に新時代に即応(そくおう)した観点(かんてん)より、宗学全体に亙(わた)る新組織を要望される現下(げんか)に於て、本書(ほんしよ)は過去に於ける教学を顧(かへ)りみて従来(じうらい)の見方はそのまゝとし、清新(せいしん)な独自(どくじ)の見地(けんち)から宗学を眺(なが)め、且(か)つその組織に於ても説明に於ても、必ずしも舊説(ぎうせつ)に拘泥(こうでい)することなく学的立場(がくてきたちば)より取捨選択(しゆしやせんたく)を行(おこな)ひなし得(う)る限り簡明(かんめい)と平易(へいい)を旨(むね)として宗学の大要(たいよう)を会得(えとく)せしむる様に努めたいのであります。

 


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2014年08月06日 07時54分34秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 教学史概観

 その他尚多くの特質を数え得ますと、大体に於(お)いて日本天台はこの様な性格を持つのであります。また日本天台は時代により異なつた意義があるのであつて、広義には日本に於ける天台教学及びそれにより派生(はせい)して独特の教学に改組(かいそ)した各宗(かくしう)のそれ等をも総轄(そうかつ)することが出来るでせう。

 狭義(けうぎ)には二つの意味を含んで居ります。その一つは、三聖二師(さんぜうにしの)古天台(こてんだい)、本学法門(ほんがくほふもん)の中古天台(ちうこてんだい)、或(あるひ)は眞流(しんりゆう)、敬光等(けいこうなど)の復古天台(ふくこてんだい)、等の所謂山家天台(いはゆるさんげてんだい)(皇朝天台(こうてうてんだい)であつて、元禄以後(げんろくいご)の趙宋四明(てうそうしめい)の天台学(兼学派に(けんがくは)対称(たいせう)するのである。第二は、最も純粋な日本的性格を基調とした惠檀両派(ゑだんれうは)の本学思想を指すのですが、本書は第一の山家天台を中心とすることに致します。翻(ひるがへ)つて教学史(けうがくし)を眺めますと、第一期の古天台は最初は法華至上主義(ほつけしせいしゆぎ)であつたが結局密教思想(けつきよくみつけうしそう)が全般に勢を占(し)むることになり有名な四一十門の一大圓教(いちだいゑんけう)の教判(けうはん)が生また訳です。こゝに教理組織(けうりそしき)が完成したので、第二期平安後期より室町末期迄の中古天台(ちうこてんだい)では実践に重きを置く止観中心(しかんちうしん)の本学法門が生れ、百花繚乱(ひやくくわれうらん)の全盛時代となり寺門(じもん)の智寂(ちじやく)・龍淵(りうえん)の二流発生(にりゆうはつせい)もこの時ですが、遂(つひ)に口伝法門(くでんほふもん)の堕落(だらく)に禍(わざは)ひせられ教学の廃頽(はいだい)を招いたのであります。第三期に至つては近世(きんせい)に四明学派(しめいがくは)の真摯(しんし)な学的努力によつて秩序ある教学に再編成(さいへんせい)されたのですが、一面(いちめん)には宗祖開宗(しうそかいしう)の本旨(ほんし)を忘却(ぼうきやく)した点がないでもありません。その反動(はんどう)として復古天台(ふくこてんだい)が法明院敬光師(ほふみよういんけいこうし)を中心に提唱(ていせう)されたが、四明学派の圧倒的勢力は明治の末期に至る迄維持し来(きた)つたのであります。第四期は大正十年の宗祖遠忌以後今日(しうそをんきいごこんにち)に至るのでありますが、全般的に宗内外(しうないがい)の学徒(がくと)によつて山家天台の眞価顕揚(しんかけんやう)に努められてゐるにかゝはらず、寺山両門(じさんれうもん)とも未(いま)だ宗学は舊套(きうとう)を脱し得ないのが状勢(ぜうせい)であります。

 


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2014年08月05日 07時44分44秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

  第一章 序 章

 三学具足

 日本天台は圓(ゑん)の三学を具足(ぐそく)した圓頓三学佛教(ゑんとんさんがくぶつけう)であつて、支那天台の圓定圓惠(ゑんぜうゑんえ)の二学を中心とするのと異つており、こゝに圓戒(ゑんかい)を特に強調するのであります。圓戒の眞生命(しんせいめい)は眞俗一貫(しんぞくいつかん)であり、信入異行(しんにふいげう)の法門である点で、寺門では圓戒為本論(ゑんかいしほんろん)を立てゝこれを総ての基調(きてう)とし最も重視(ぢうし)するのであります。


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2014年08月04日 09時22分14秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 本覚法門

日本天台の性格を一言して盡(つく)せば本覚法門(ほんがくほふもん)で、これは支那天台の始覚法門(しかくほふもん)と相違する。すなはち法よりも人に、理(り)よりも事(じ)に、修(しう)よりも性(せう)を中心とした絶対思想(ぜつたいしそう)であつて、現実的な宗教であります。されば佛教の目的とする最高過程である「成佛(ぜうぶつ)なる名目も、道心(どうしん)の開顕(かいけん)された国宝的人物を意味するのでありまして、この点でも実際的な宗教であることが知られるでせう。その解釈法(かいしやくほふ)も支那天台の如(ごと)く保守的であり帰納的(きのうてき)であり求心的(きうしんてき)であると反対に、大胆な自由進取的(じゆうしんしゆてき)な見方でその法門また遠心的演繹的(ゑんしんてきえんえきてき)となる。これが数多(あまた)の分科法門(ぶんくわほふもん)、分派(ぶんぱ)を生んだ根本理由(こんぽんりゆう)なのである。


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2014年08月03日 07時50分43秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

  第一章 序 章

 総合佛教

 第二に支那天台の単一的に法華圓教(ほつけゑんけう)を宗とするに比し、多元的(たげんてき)な一大総合佛教であります。総合は単なる要素の集まりでなく、絶対一元に発するのであつて一致契合点(いちちけいごうてん)がなくてはならぬ。その一致点とは何ぞ、即ち圓蜜一致(えんみついつち)がこれであつて、こゝに「大日経義檡(だいにちけうぎしやく)」が重視され、支那天台の三大部中心とは自ら面目を異(こと)に致して居ります。


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2014年08月02日 08時23分06秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

 第一章 序 章

 国家観

第一には、日本天台は国家中心を標榜(へうぼう)してゐる点であります。即ち宗教そのものは日本国家の中に活き国体への絶対帰依を前提として、護国の宗教として存在してゐるのです。この宗教を奉ずる者は日本民族としての確乎(かくこ)たる自覚を有せばなりません。これが法華一乗の機と表現され、こゝに圓機淳熟(ゑんきじゆんじゆく)の圓頓大戒(ゑんどんだいかい)が提唱され、三乗共国(さんぜうどうこく)の戒律観より、離脱せねばならぬ所以(ゆえん)であります。


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2014年08月01日 07時52分29秒 | 新編寺門天台宗学読本

 

第一章 序 章

寺門天台所依の聖典

寺門天台は左に列ぬる三部の経典と、六部の論釈を正所依(せいしよえ)の聖典と致します。即ち

妙法蓮華経                       八巻  鳩摩羅什三蔵譯

大毘盧遮那成佛神変加持経(大日経       七巻  善無畏三蔵譯

梵網菩薩戒経                     一巻  鳩摩羅什三蔵譯

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大日経義釋                     十四巻  一行阿闍梨撰

摩訶止観                        十巻  天台智者大師説

顕戒論                         三巻  宗祖大師撰

大日経指帰                      一巻  曩祖大師撰

講演法華儀                      二巻  同上

授決集                         二巻  同上

 

第一章 序 章

日本天台の特色

寺門天台は申す迄もなく日本天台の一分派であります。宗学に入る前に「日本天台」なる概念がわかりますと便利です故少し説明しませう。日本天台は支那天台に対称する語で、宗祖の創始せられた天台法華宗とそれより派生した諸教学を指すので、便宜上支那天台と対比してその特色を数へて見ませう。

 


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2014年04月20日 19時37分24秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

法門の相承

 曩祖大師(のうそだいし)は諱(いみな)を圓珍(えんちん)と申し、智證(ちせう)はその諡号(しごう)で、弘仁五年讃岐国に生まれ玉泉(ぎよくせん)の流れを慕ひて比叡山に登り、宗祖の法資義眞大徳(ほふしぎしんだいとく)の門に入りました。そして圓頓菩薩(ゑんどんぼさつ)の大戒(だいかい)を受けて菩薩僧となり、また達磨一心戒(だるまいちしんかい)を伝へて禅那(ぜんな)の法を相承し給ふた。のち学生式(がくせうしき)の規に則(のつと)つて一期十二年籠山(いちごじうにろうざん)して專ら遮那止観(しやなしかん)の両業(れうごう)を研究せられたのですが、その間金色不動明王(かんこんじきふどうめうおう)より灌頂大法(かんぜうだいほう)を授けられ、また宗祖の密教(みつけう)を徳圓和尚(とくゑんおせう)に稟(う)けられた。承和(せうわ)十一年高祖神変大菩薩(かうそじんべんだいぼさつ)の芳蜀(ほうしよく)を慕ふて大峰葛城(おおみねかつらぎ)に修行せられ高祖十一世の法孫長圓尊師(はふそんてうゑんそんし)に従つて峰中法流(ぶちうはふりゆう)を相承なされ、遂に修験道の法燈(はふとう)を継いで斯道(しだう)を恢興(かいこう)されたのです。更に仁寿三年勅命(にんじゆさんねんちよくめい)を奉じて入唐(にうたう)され、天台の九祖物外並(そもつがいならび)に良諸(れうしよ)の二師を拝して圓教止観(ゑんけうしかん)を、法全阿闍梨(はつせんあじやり)より三部の灌頂(かんてう)を授かり、こゝに五箇法門(ごかのはふもん)を悉く伝承されたのであります。

 立教                                                                                                                                                                                                                          

 かくて天安二年帰朝伏奏(てんあんにねんきてうふくそう)し給ひ、次で、清和天皇(せいわてんのう)は優恩(いうし)を下して曩祖(のうそ)に眞言止観両宗弘伝(しんごんしかんれうしうぐでん)の勅旨(ちよくし)を賜はり、近江國園城寺(あふみのくにをんぜうじ)をして永く大師教弘通(だいしけうほふぐづう)の道場と御定(おんさだ)めになつたのであります。これ実に貞観八年(ぢやうかんはちねん)五月廿九日のことで、寺門法流(じもんほふる)の創始としてこの日こそ法流に浴するものゝ記念すべき日なのであります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年09月06日 19時18分08秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

傳教大師(でんげうだいし)

 日本天台を創(はじ)められ、眞俗一貫(しんぞくいちかん)の菩薩道(ぼだいどう)を提唱(ていせう)しまして、圓(ゑん)の三学の宗教を確立された方は宗祖傳教大師最澄(でんげうだいしさいてう)その人であります。大師は入唐(にふとう)せられて圓(ゑん)・密(みつ)・禅(ぜん)・戒(かい)の四宗(ししう)を比叡山に将来(せうらい)され、延暦廿五年一月廿六日年分度者二人(にちねんぶんどしやふたり)を桓武天皇(かんむてんわう)より賜はりました。この日を以(もつ)て本宗(ほんしう)の開宗記念日(かいしうきねんび)としますが、爾来大師(じらいだいし)は一乗教(いちぜうけう)の宣布(せんぷ)と戒壇建設(かいだんけんせつ)に努められ、遂に弘仁十三年五十六歳を以て示寂(じじやく)された。六月四日はその御命日(ごめいにち)でありますので、山家会(さんげゑ)を虔修(けんしう)して恩徳(おんどく)を鑽仰(さんかう)して居ります。著書「法華秀句(ほつけしうく)」「守護国界章(しゆごこくかいせう)」「顕戒論(けんかいろん)」は一宗の原典(げんてん)で、有名な「山家学生式(さんげがくせうしき)」は一向大乗教団(いちこうだいぜうけうだん)の指導原理と清規(せいき)とを示すものとして非常に尊重されて居ります。

 この様に如来所説(によらいしよせつ)の法華・大日の両経(れいけう)は龍樹菩薩(りうじゆぼさつ)が之を紹隆(せうりう)し、天台・一行(いちげう)の両師(れうし)は能くこれを組織せられたのであります。聖徳太子は日本民族の宗教として採用し給ひ、また神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)は優婆塞菩薩(うばそくぼさつ)の君子(くんし)を主に、宗祖(しうそ)は菩薩僧(ぼさつそう)を中心に圓(ゑん)の三学仏教を建設しましたが、その目的とする所は鎮護国家(ちんごこくか)の一に存するのであります。惟(おも)ふに嚢祖立教(のうそりつけう)の縁由(えんゆう)するところ、聖徳太子の眞俗一貫した国体仏教(こくたいぶつけう)に基き、遠く龍樹・天台・一行・神変等の諸先徳(しよせんどく)の深意(しんい)を窺(うかが)ふて圓密一致(ゑんみついつち)を宗とし、宗祖(しうそ)の眞意を察し給ふて三学一元(さんがくいちげん)の五箇法門(ごかのほうもん)を稟傳(りんでん)されたのであります。されば門末(もんまつ)の吾等(われら)は上記の方々を高祖師(かうそし)として深く帰命(きめい)し、報恩謝徳(ほうおんしやとく)の誠(まこと)を捧(さゝ)げることが肝要(かんよう)であります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年09月05日 19時11分08秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)

 太子の眞精神(しんせいしん)を継承して優婆塞教団即(うばそくけうだんすなは)ち在家(ざいけ)を中心に、惟神(ゆゐしん)の大道(だいどう)を緯(ゐ)とし、阿字実相(あじじつそう)の要諦(えうたい)を経(けい)として、修験道(しゆげんどう)を創(はじ)め給ふたのは神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)であります。菩薩は世傳(よつた)へて役行者(えんのげうじや)といひ 舒明天皇の六年大和(やまと)に生れ、大峰葛城(おほみねかつらぎ)に斗藪(とそう)しまた箕面山(みのもやま)にて龍樹菩薩(りうじゆぼさつ)の霊感に接して峰中法流(ぶちうほふりゆう)を相承(そうせう)されましたが、その教條(けうでう)は無相三密(むそうさんみつ)・十界一如(じうかいいちによ)を基(もと)とし、山岳霊地(さんがくれいち)に修行することにより六根(ろくこん)を浄化(じょうげ)して即身(そくしん)に験徳(けんどく)を得ることを主眼(しゆがん)とするのです。毎年六月七日は菩薩の御忌(おんぎ)に当たりますので、高祖会(こうそえ)を修(しう)して法徳(ほふどく)を偲(しの)び奉(たてまつ)ることになつて居(を)ります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年09月04日 19時45分20秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

聖徳太子(せうとくたいし)

 民族精神に契合(けいがう)した国体宗教(こくたいしうけう)として仏教を採用せられたのは聖徳太子の御卓見(ごたくけん)であります。しかしてその中心をなす指導理念は実に法華経(ほつけけう)を根拠とせられ、太子は法華経こそ如来出世(によらいしゆつせ)の本懐(ほんかい)をつくし萬善同帰(ばんぜんどうき)を宗(しう)とする一大教説(いちだいけうせつ)となし、眞俗一貫(しんぞくいつかん)して実践することにより国民の道心を啓発し、国家なる一大目標に総てを帰納(きのう)させ、以て国家をとこしへに鎮護(ちんご)せんと明示(めいじ)し給ふた。太子の正法普及(せいほうふきふ)による国家理念の具現(ぐげん)こそ、寺門法流の「鎮護国家する」理念と合致するものであり、嚢祖(のうそ)が「かの上宮(ぜうぐう)の義いま天台宗正(まさ)しくこれに依学(えがく)す」と明示され一家の高祖師(こうそし)と仰ぐ所以(ゆえん)であります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年09月03日 19時24分54秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

一行阿闍梨(いちげうあじやり)

 天台大師の滅後百余年、秘密の大教が始めて支那に伝はつて、大日(胎)、金剛界(金)の両経が将来された。一行阿闍梨は両経の将来者であります善無畏(ぜんむい)、金剛智両三蔵(こんがうちれうさんぞう)の大法を受けられ、新来(しんらい)の密教に対して最初に哲学体系を与へその教理を組織された方であつて、唐の開元(かいげん)十五年四十五歳にして示寂(じじやく)せられた。名著「大日経義㚖釈(だいにちけうぎしやく)」十四巻は一字一句悉く珠玉(じゆぎよく)であり実に日本天台の基礎をなす不朽の力作で、その功績は龍樹(りうじゆ)、天台に比肩(ひけん)するものであります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月18日 16時49分08秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

天台大師

 天台の智者大師(ちしやだいし)は法華経(ほつけけう)を宗骨(しうこつ)として、支那天台宗(しなてんだいしう)を創唱(さうせう)せられた方で、五時八教(ごじはちけう)の教判(けうはん)を設けて如来一代教化(によらいいちだいけうげ)の真意は中道実相を説くに存すと徹見(てつけん)せられて、三諦圓融(さんだいゑんゆう)の哲理と三観十乗(さんがんじうぜう)の実践門とを組織せられた。著書に「法華玄義(ほつけげんぎ)」「法華文句(ほつげもんぐ)」があつて天台圓教の指南とせられ、また「摩訶止観(まかしかん)」十巻は一家観心(いちけかんじん)の精髄を示されたものであります。大師は隋(ずい)の開皇(かいこう)十七年春秋六十歳にて示寂(しじやく)されましたが、十一月廿四日はその御命日(ごめいにち)で現今天台会(げんこんてんだいえ)と称し、宗徒(しうと)は報恩(ほうおん)の法要(はふえう)を捧げることになつて居ります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月18日 08時04分34秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

龍樹菩薩

  先ず龍樹菩薩(りうじゆぼさつ)であります。菩薩は西暦三世紀頃南印度(みなみいんど)に生まれた方で、如来(によらい)の正統を継承して大乗仏教(だいぜうぶつけう)を興隆された。その著「大智度論(だいちどろん)と「中観論(ちうかんろん)」は中道実相(ちうどうじつそう)の哲理を大成したもので、天台法華教学(てんだいほつけけうがく)の基礎となるものでありますし、また南天(なんてん)の鉄塔(てつとう)に入つて阿字(あじ)の法門を求め秘密の大教(だいけう)を弘め給ふた。或は神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)は菩薩の霊感に接して修験道を創められた様に、一家の法門に皆菩薩より発するのであります。


修験第百十一号 新編寺門天台宗学読本(1) ―第一編 ―

2013年07月16日 20時23分20秒 | 新編寺門天台宗学読本

第一章 序 章

仏説の究極は法華大日両経に存す

 法門(はふもん)は八萬四千と称せられ、現に数千巻の一切経(いちさいけう)として存在してゐる。かくの如く多数の法門を説示(せつじ)されたことは畢竟人々(ひつけうひとびと)の真理を聞き得る資格(根性)が未完成で、仏の抱懐(ほうかい)せる理念を体得することが出来ない為め、その準備教育として誘引(ゆういん)の教化(けうげ)を垂れ給ふたのであります。斯(か)くて素質の完成するや如来は従来施設(じうらいしせつ)した幾多の教門(はふもん)を統一され、こゝに法華経(ほつけけう)を説き諸法実相(しよほふじつそう)の真理と闡明(せんめい)され化導(けどう)(外用)(げゆう)の目的を遂げ給ふた。その根底となる如来の内證(ないせい)は阿字本不生(あじほんぷせう)の大日経(だいにちけう)であつて、斯くの如く外用内證(げゆうないせう)が完全に表明出来るのは法華・大日両経(ほつけ・だいにちりうけう)に限るのであります故、これを最高指南(さいかうしなん)となし、曩祖大師立教(のうそだいしりつけう)の高判(かうはん)も亦これに基くのであります。

六高祖

 法華・大日の両経が幾多の先哲(せんてつ)を経て曩祖(のうそ)の立教に至る間、特に銘記(めいき)さるべき六師(ろくし)の偉業があつてこそ法を今日に伝へ得るのであつて、これを寺門(じもん)の六高祖と尊称(そんせう)して、その法恩(ほうおん)に感謝せねばなりません。いま列記しますと、