大峰奥駈七十五靡の名称と道程 宮城信雅
ニ十九 前鬼山(ぜんきざん)
深山(しんせん)より五十町(ちやう)の急阪(きうはん)を下りて前鬼(ぜんき)に達す。前鬼は、先述(せんじゆつ)の通り高祖大士(かうそだいし)に、釈迦嶽(しやかだけ)の霊山(れいざん)、深山の霊場(れいじやう)を守護(しゆご)すべく命(めい)ぜられた、五鬼(き)の子孫(しそん)が、この地(ち)を開拓(かいたく)して永住(えいじう)し今日に及べるものである。以前は森本坊(もりもとぼう)、小仲坊(こなかぼう)、不動坊(ふどうぼう)、行者坊(ぎやうじやぼう)、中の坊(なかのぼう)の五ケ坊あつたが、現今は森本坊、小仲坊のニ坊となつてゐる。歴史上尊重(れきしじやうそんちよう)すべきこのニケ坊があつて、どうか、この霊山のみは俗化(ぞくくわ)しない様に、修行者(しうぎやうしや)の為(た)め、神聖観念(しんせいかんねん)を起(おこ)さす様に、永久保護(えいきうほご)されたいものである。
本山修行には森本坊と小仲坊と隔年(かくねん)に宿泊する。本年は小仲坊に宿泊す。