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天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2012年03月01日 21時34分53秒 | 大峰奥駈

   大峰奥駈七十五靡の名称と道程     宮城信雅  

   十五  菊ケ池(きくがいけ)

   四阿宿(しあしゆく)より菊ケ池(きくがいけ)に至(いた)る間(あひだ)に、地蔵岳(ぢざうだけ)あり前、鬼以来(ぜんきいらい)の険阻(けんそ)にて、

  窟中(いはやちう)に地蔵菩薩小像(せいざうありと。

   


修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2011年11月07日 13時12分17秒 | 大峰奥駈

  大峰奥駈七十五靡の名称と道程        宮城信雅  

  十八  笠捨(かさすて)(仙ケ岳(せんげだけ)

 現今本山(げんこんほんざん)の入峯には、前鬼裏行場(ぜんきうらぎやうば)を修行し、其日北山村(そのひきたやまむら)に出(い)で、浦向(うらむき)に一泊(ぱく)し、翌日笠捨(よくじつかさすて)を超(こ)へて十津川村上葛川(とつかはむらかみくずかは)に出(い)づ、笠捨より怒田宿等(ぬたしゆくとう)を遥拝勤行(えうはいごんぎやう)す。


修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2011年11月06日 19時04分45秒 | 大峰奥駈

  大峰奥駈七十五靡の名称と道程        宮城信雅  

  ニ十八  三重瀧(さんぢうたき)

  前鬼山裏行場(ぜんきざんうらぎやうば)にあり、馬頭(ばとう)、千手(せんじゆ)、不動(ふどう)の三瀧(さんたき)なり、馬頭は六十間(けん)、千手は八十間、不動は百二十間あり、三重籠(さんぢうこも)りとて、千手瀧横(せんぢうたきよこ)なる両界(りようかい)の岩屋(いはや)に籠(こも)り、三重の瀧に修行せしもの多(おほ)し、絶景(ぜつけい)なり實(じつ)に峯中(ほうちう)の霊場修行場(れいじやうしうぎやうじやう)である、この外(ほか)、垢離取の行場、屏風の横駈二十八宿の鎖等(とう)の行場あり、中就(なかんづく)二十八宿(しゆく)の鎖(くさり)は中々(なかゝ)の難行(なんぎやう)である。

 前鬼山より廿五町(ちやう)と云(い)へど、往復(わうふく)三時間を要(えう)す、人数多(にんずうおほ)ければ行場に更(さら)に時間を費(つひや)やすことを注意せねばなるぬ。

 現今(げんこん)はこれより、吹越(ふきごゑ)までの間(あひだ)仙ケ嶽(せんがだけ)(笠捨(かさすて))と玉置山(たまきざん)の外登(ほかのぼ)らないが、名称(めいしやう)あげる事(こと)とする。