ヤナギと名乗る後輩はビールを2つ注文した。渋々連れて来られたヤナギの恋人も
店の雰囲気で怒りが落ち着いたようだった。ワタシは自己紹介を兼ねて、彼らに店の
名刺を渡した。名刺を見たヤナギは何度もうなづきながら、昔を思い出している。
彼の友人がワタシのファンだったらしく、よく名前を言っていたのを思い出したの
である。なるほど。道理で違う専攻で後輩なのに、ワタシの事を憶えていたわけだ。
「その友人がよくね、「今日のアキコさんはスタイリッシュだった」とか「今日の
アキコさんは疲れていた」とか、余計なコメントしてたの思い出すなあ。」
ワタシは久々に関西のノリでツッコミを入れる。最近、はしゃぐ事を忘れていたので
久しぶりに楽しくなった。彼らはまた店に来てくれると約束してくれて、夜中の3時
頃に帰って行った。先ほどまでいた常連客も帰り、ワタシとマスターだけになった。
「アキちゃん、俺、ちょっとフラフラしてきたんで、先に帰っていいかな?」
風邪をひいて微熱があるマスターを先に帰らせて、閉店の5時までワタシ1人で頑張る
事になった。給料日前なので、お客さんはもう来ないだろう。ワタシはヤナギが置いて
いった彼の名刺に書かれている電話番号とメールアドレスを携帯電話に登録する事にした。
登録後、受信履歴を確かめる。キヨのメールを着信拒否してからと言うものの、受信
メールをセンター問い合わせする事が日課となっている。彼女の事が恐いのか、ただ
気にしているだけなのかはわからない。昨日はなかった……今日もなかった……明日は
どうなんだろうか……。ジャズが静かに流れる店内が一瞬暗くなった。それと同時に
早送りされるジャズのメロディ。有線放送のジャズ専門チャンネルが早送りするなんて
ありえなかった。ワタシは携帯電話をカウンターに置いて、専用受信機とアンプがある
トイレの方へ向かった。アンプの前まで来た時に、図ったように正常に戻るジャズの
BGM。ため息をつく暇もなく、カウンターに置いてあった携帯電話が、メール受信時の
バイブ機能で少し動いた。夜が明けそうなこの時間にメールをよこす者は誰なんだろう。
自分の記憶は確かかどうかわからない。 ボスヒコ



