2016年1月28日、茨城県の鹿島神宮に行ってきました。
その後、大洗、水戸を経て戻ってきました。
鹿島神宮の大鳥居前です。朝まだ早かったせいか、人影
がまばらです。鹿島神宮はずうっと前から名前は知って
いたものの、訪れるのは今回初めてでした。
大鳥居から入るとすぐに、前方に楼門が見えてきました。
日本三大楼門の一つに数えられるそうです。
楼門を潜ると、すぐ右手に拝殿がありました。写真右の
櫓状のものは節分の準備で組まれたものでしょうか。
少し裏へ回って本殿を撮りました。厳かな感じです。
この後、楼門から真直ぐ続く道を通って奥宮へ向かい
ました。奥宮への境を入ってすぐに写真の燈籠があり
ました。元和五年(1619)に安藤対馬守より奉納された
と、立札に書いてありました。
奥宮へ向かう奥参道です。森閑とした空間に心が静まり、
歴史の深さが感じられました。伊勢神宮と同様だと感じ
ました。
奥宮です。伊勢神宮とは違って、拝殿とともに直接お参り
できました。
奥宮のさらに奥にある要石を見に行く途中にあった石像。
ナマズに乗って地震を抑えるている神様を現わしているの
でしょうか。
要石です。もっと大きな岩を想像していたのですが、真ん中
が窪んだ30cm足らずの石でした。表面に出ているのは
僅かでも、地中はものすごく大きくて、ナマズの頭を抑えて
いるのだそうです。
もう一度奥宮へ戻り、その前の坂道を下っていくと御手洗池
に行き着きました。静かに水を湛え、池の上には大きな木が
張り出し覆っていました。
奥に回ると、水を注ぎこむ清水の湧き出し口がありました。
池の先を進み振り返って全景を撮りました。
奥参道へ戻って、楼門方向へ歩くと途中鹿園がありました。
神獣として飼育されているのでしょうか。
そのそばにあった「さざれ石」です。君が代に出てきますね。
こちらは、丁度拝殿の真向かいに当たる場所にあった
仮殿です。元和五年(1619)建立みたいです。
仮殿を右折れ、すなわち拝殿から真直ぐの所にあった
社務所と祈祷所です。
その奥は武徳殿でした。剣道場です。塚原卜伝と何か関係
あるのでしょうか。
もう一度楼門を裏から撮って、鹿島神宮を後にしました。
国道51線を大洗へ行き、アクワワールドへ寄ることにしま
した。写真は入館手前で撮った大洗の海、太平洋です。
海なし県に住む者とって、海にはどうしても憧れみたいな
ものかあって、海を見るとなんとなくうれしくなり、思わず
写真を撮ってしまいますね。
中では、大きな水槽で水中ショーをやっていました。
アクアワールドの売りは、このマンボウとサメみたいで
した。丁度お昼どきみたいで、マンボウに餌をやる手が
真ん中辺りに出ているのが分かりますか?
こちらは大きなサメが回遊しているところです。この水槽
だけでなく、たくさんの種類のサメを見ることができました。
施設の中で一番の高所のデッキから、また海を撮ってしま
いました。左が、大洗の買物市場があったりする所です。
最後にイルカとアシカショーを見てきました。
この後水戸へ行くのですが、ひたちなか市に寄って、写真
の常陸那珂反射炉を見ていくことにしました。安政年間に、
鉄製の大砲鋳造を目的に徳川斉昭によって築造されたもの
みたいです。炉の前に大砲が据えられていました。
こちらは炉のレンガを焼くための窯を再現したものです。
水戸は弘道館へやってきました。天保十二年に徳川斉昭
によって創設された藩校だった所です。水戸城の三の丸に
建てられました。昨年日本遺産にも認定されました。写真
はその正門。
その右にあるこの門から中へ入りました。中に見えている
のは事務所。ここでチケットを買いました。
弘道館の正庁・至善堂です。建物内部を見学できました。
正庁の中は撮影禁止と出ていましたが、庭ならいいかな
と思い、梅の咲いている所を撮りました。見学が終わった
処で、撮影禁止は資料室だけだったのが判明しましたが、
後の祭りですね。
弘道館を出て、水戸城址は二の丸跡へ歩いて行くと、水戸
市立第二中学校の前に、水戸藩二代目藩主水戸光圀(義公、
水戸黄門)が大日本史編纂のために建てた彰考館跡の碑が
ありました。隣は、大日本史編纂之地碑です。
さらに進むと、塀際に大シイの木が立っていました。この
城址には、幼稚園から高校までの学校があって、皆昔ながら
の土塀に囲まれていました。最近新しく整備したみたいです。
城址をぐるっと回って下りてきた所に、義公誕生の地が
あって、黄門神社になっていました。
さらに町中へ歩きJR水戸駅前を真直ぐ行くと、東照宮
が出てきました。
こちらがその社殿。葵の紋が見られます。
境内端の方の建屋には安神車が納められていました。
徳川斉昭が考案した戦車で、上の窓から鉄砲を撃った
みたいです。ただ実戦に使われたかは不明。
社殿に相対して、真直ぐ進んだこちらが正規の参道みたい
でした。
町中をさらに進んで三の丸跡、最初の弘道館の後ろ側へ
きました。写真は三の丸の空堀、土塁跡です。
中へ入って行くと見えたのは茨城県三の丸庁舎。何となく
歴史を感じさせてくれました。
左手遠くにドームみたいな丸屋根が見えました。後で傍を
車で通りましたが、低区排水塔だそうです。
庁舎の右側から奥へ歩いて行くと、何やら碑が。種梅記碑
といって、周辺に梅を多く植えた理由を記していました。
こちらは、弘道館記碑が納められた八卦堂。
さらに右奥へ進むと、鹿島神社。鹿島神宮から分祀された
神を祀っているみたいです。
そこから反対側の左へ進むと、弘道館敷地内の裏の
一画に孔子堂が見えました。
その前にあった学生警鐘。学生に時を知らせたものですね。
弘道館の脇道。右に見えているのが孔子堂。ここを歩いて
一番最初の弘道館正門へ戻りました。
最後に偕楽園に寄っていくことにしました。南門先の第2
駐車場に車を止め、エレベータのついた梅桜橋を渡って
歩いて行くと、偕楽園の標識が立っていました。傍には
梅が咲いていました。
梅林へ行く途中にあった好文亭。徳川斉昭が設計、文人・
墨客を集めて宴を催した所みたいです。もう、この頃には
西日が射してきました。
好文亭へ入って行く所の芝前門。
梅林内を歩いて、江南所無という梅の木前で撮りました。
予想通り、梅の花にはまだ早く、殆ど咲いていませんで
した。梅まつりは2月20日からとチラシに書いてありました。
東門近くにきたら、白梅がよく咲いていました。咲いて
いたのは、この木の外数本だけでした。
こちらが一般的な入場門の東門。
東門から千波湖へ向かって下っていく途中の脇道にあった、
大日本史完成之地の碑。
さらに行くと、この日一番の紅梅を見ました。遠くに見えて
いるのが千波湖です。
千波湖に渡る偕楽橋の上から撮りました。
千波湖にも、白鳥やカモ類がたくさん泳いでいました。
こちらはカモメでしょうか、すぐ近くに集まっていました。
最後、駐車場手前にあった護国神社です。
鹿島神社、いつかは行きたいと思っていたのが今回実現
しました。厳かな気分に浸れました。やはり、人の少ない
朝早く訪れるのがいいですね。水戸は、今まで偕楽園だけ
だったのが、今回初めて市中の歴史遺産を見て回れて、
これもよかったです。
その後、大洗、水戸を経て戻ってきました。
鹿島神宮の大鳥居前です。朝まだ早かったせいか、人影
がまばらです。鹿島神宮はずうっと前から名前は知って
いたものの、訪れるのは今回初めてでした。
大鳥居から入るとすぐに、前方に楼門が見えてきました。
日本三大楼門の一つに数えられるそうです。
楼門を潜ると、すぐ右手に拝殿がありました。写真右の
櫓状のものは節分の準備で組まれたものでしょうか。
少し裏へ回って本殿を撮りました。厳かな感じです。
この後、楼門から真直ぐ続く道を通って奥宮へ向かい
ました。奥宮への境を入ってすぐに写真の燈籠があり
ました。元和五年(1619)に安藤対馬守より奉納された
と、立札に書いてありました。
奥宮へ向かう奥参道です。森閑とした空間に心が静まり、
歴史の深さが感じられました。伊勢神宮と同様だと感じ
ました。
奥宮です。伊勢神宮とは違って、拝殿とともに直接お参り
できました。
奥宮のさらに奥にある要石を見に行く途中にあった石像。
ナマズに乗って地震を抑えるている神様を現わしているの
でしょうか。
要石です。もっと大きな岩を想像していたのですが、真ん中
が窪んだ30cm足らずの石でした。表面に出ているのは
僅かでも、地中はものすごく大きくて、ナマズの頭を抑えて
いるのだそうです。
もう一度奥宮へ戻り、その前の坂道を下っていくと御手洗池
に行き着きました。静かに水を湛え、池の上には大きな木が
張り出し覆っていました。
奥に回ると、水を注ぎこむ清水の湧き出し口がありました。
池の先を進み振り返って全景を撮りました。
奥参道へ戻って、楼門方向へ歩くと途中鹿園がありました。
神獣として飼育されているのでしょうか。
そのそばにあった「さざれ石」です。君が代に出てきますね。
こちらは、丁度拝殿の真向かいに当たる場所にあった
仮殿です。元和五年(1619)建立みたいです。
仮殿を右折れ、すなわち拝殿から真直ぐの所にあった
社務所と祈祷所です。
その奥は武徳殿でした。剣道場です。塚原卜伝と何か関係
あるのでしょうか。
もう一度楼門を裏から撮って、鹿島神宮を後にしました。
国道51線を大洗へ行き、アクワワールドへ寄ることにしま
した。写真は入館手前で撮った大洗の海、太平洋です。
海なし県に住む者とって、海にはどうしても憧れみたいな
ものかあって、海を見るとなんとなくうれしくなり、思わず
写真を撮ってしまいますね。
中では、大きな水槽で水中ショーをやっていました。
アクアワールドの売りは、このマンボウとサメみたいで
した。丁度お昼どきみたいで、マンボウに餌をやる手が
真ん中辺りに出ているのが分かりますか?
こちらは大きなサメが回遊しているところです。この水槽
だけでなく、たくさんの種類のサメを見ることができました。
施設の中で一番の高所のデッキから、また海を撮ってしま
いました。左が、大洗の買物市場があったりする所です。
最後にイルカとアシカショーを見てきました。
この後水戸へ行くのですが、ひたちなか市に寄って、写真
の常陸那珂反射炉を見ていくことにしました。安政年間に、
鉄製の大砲鋳造を目的に徳川斉昭によって築造されたもの
みたいです。炉の前に大砲が据えられていました。
こちらは炉のレンガを焼くための窯を再現したものです。
水戸は弘道館へやってきました。天保十二年に徳川斉昭
によって創設された藩校だった所です。水戸城の三の丸に
建てられました。昨年日本遺産にも認定されました。写真
はその正門。
その右にあるこの門から中へ入りました。中に見えている
のは事務所。ここでチケットを買いました。
弘道館の正庁・至善堂です。建物内部を見学できました。
正庁の中は撮影禁止と出ていましたが、庭ならいいかな
と思い、梅の咲いている所を撮りました。見学が終わった
処で、撮影禁止は資料室だけだったのが判明しましたが、
後の祭りですね。
弘道館を出て、水戸城址は二の丸跡へ歩いて行くと、水戸
市立第二中学校の前に、水戸藩二代目藩主水戸光圀(義公、
水戸黄門)が大日本史編纂のために建てた彰考館跡の碑が
ありました。隣は、大日本史編纂之地碑です。
さらに進むと、塀際に大シイの木が立っていました。この
城址には、幼稚園から高校までの学校があって、皆昔ながら
の土塀に囲まれていました。最近新しく整備したみたいです。
城址をぐるっと回って下りてきた所に、義公誕生の地が
あって、黄門神社になっていました。
さらに町中へ歩きJR水戸駅前を真直ぐ行くと、東照宮
が出てきました。
こちらがその社殿。葵の紋が見られます。
境内端の方の建屋には安神車が納められていました。
徳川斉昭が考案した戦車で、上の窓から鉄砲を撃った
みたいです。ただ実戦に使われたかは不明。
社殿に相対して、真直ぐ進んだこちらが正規の参道みたい
でした。
町中をさらに進んで三の丸跡、最初の弘道館の後ろ側へ
きました。写真は三の丸の空堀、土塁跡です。
中へ入って行くと見えたのは茨城県三の丸庁舎。何となく
歴史を感じさせてくれました。
左手遠くにドームみたいな丸屋根が見えました。後で傍を
車で通りましたが、低区排水塔だそうです。
庁舎の右側から奥へ歩いて行くと、何やら碑が。種梅記碑
といって、周辺に梅を多く植えた理由を記していました。
こちらは、弘道館記碑が納められた八卦堂。
さらに右奥へ進むと、鹿島神社。鹿島神宮から分祀された
神を祀っているみたいです。
そこから反対側の左へ進むと、弘道館敷地内の裏の
一画に孔子堂が見えました。
その前にあった学生警鐘。学生に時を知らせたものですね。
弘道館の脇道。右に見えているのが孔子堂。ここを歩いて
一番最初の弘道館正門へ戻りました。
最後に偕楽園に寄っていくことにしました。南門先の第2
駐車場に車を止め、エレベータのついた梅桜橋を渡って
歩いて行くと、偕楽園の標識が立っていました。傍には
梅が咲いていました。
梅林へ行く途中にあった好文亭。徳川斉昭が設計、文人・
墨客を集めて宴を催した所みたいです。もう、この頃には
西日が射してきました。
好文亭へ入って行く所の芝前門。
梅林内を歩いて、江南所無という梅の木前で撮りました。
予想通り、梅の花にはまだ早く、殆ど咲いていませんで
した。梅まつりは2月20日からとチラシに書いてありました。
東門近くにきたら、白梅がよく咲いていました。咲いて
いたのは、この木の外数本だけでした。
こちらが一般的な入場門の東門。
東門から千波湖へ向かって下っていく途中の脇道にあった、
大日本史完成之地の碑。
さらに行くと、この日一番の紅梅を見ました。遠くに見えて
いるのが千波湖です。
千波湖に渡る偕楽橋の上から撮りました。
千波湖にも、白鳥やカモ類がたくさん泳いでいました。
こちらはカモメでしょうか、すぐ近くに集まっていました。
最後、駐車場手前にあった護国神社です。
鹿島神社、いつかは行きたいと思っていたのが今回実現
しました。厳かな気分に浸れました。やはり、人の少ない
朝早く訪れるのがいいですね。水戸は、今まで偕楽園だけ
だったのが、今回初めて市中の歴史遺産を見て回れて、
これもよかったです。
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