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SIDEWALK TALK

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サウンドストリート21

2005-08-11 09:00:00 | 佐野元春
motoharu_sano31980年代に
『サウンドストリート』
というラジオ番組が NHK-FM で放送されていた。
今なお、伝説的なラジオ・プログラムとして語り継がれている。


ティーンエイジャーだった僕は、
その当時、メディアへの露出がほとんどなかったアーティストたちのアピアランスに興奮し、
夢中になって聴いていた。


1980年代当時の DJ は、
月曜日:佐野元春、火曜日:坂本龍一、水曜日:甲斐よしひろ、木曜日:山下達郎、金曜日:渋谷陽一
というラインアップだった(うろ覚えで自信がない?)。
とくに僕は、佐野さんと渋谷陽一氏(雑誌「ロッキング・オン」社長)がお気に入りだった。


そして今夏、8月13日・14日の2日間、NHK-FM で
『サウンドストリート21 リクエスト・スペシャル』と題して生放送による特別番組がオンエアされ、
14日の生放送では佐野さんが DJ を担当する。
往年の『元春レイディオショー』を彷彿させる番組になることはまちがいない。
今から楽しみだ!


I wanna be with you tonight!


寺町七観音 とうろう祭

2005-08-10 08:34:53 | まち歩き
yukata昨夜は、「寺町七観音 とうろう祭」にでかけました。
寺町付近の城下町の通りや辻々に灯籠をたてて、
夕涼みがてら、まちをそぞろ歩くっていうスローなお祭りです。
JC が灯籠の設置や点灯などのお手伝いをしている関係で、毎年参加してます。
ことしは、僕は JC ラストイヤーのお年寄りということで、準備はパスさせていただいて、
純粋にお祭りをたのしみました。


せっかく風流なお祭りにいくということで、ひさしぶりに浴衣に袖をとおしました。
最近は、和装をするなんてことはほとんどないんですが、
こうみえても僕は学生時代、能楽をたしなんでたことがあり、けっこう着物をもってるんです。


3年ぶりくらいに浴衣を着たんですが、最初はなんとなくシャキッと身がひきしまる思いがした。
だけど熱帯夜のまちはあまりに暑く、裾がまとわりつくし、汗でベトベトになるわで、
すぐに居酒屋さんに避難。
やっぱ、僕は風流とはかけ離れてます。


選挙かぁ…

2005-08-09 09:00:00 | 国際・政治
voteきのうは風邪気味だったんで、門司での「JR 九州お客さま懇談会」をドタキャンして、家で安静にしてました。
TV では日がな一日、参院本会議の郵政法案否決の模様とその後の衆院解散にむけてのドタバタ劇のライヴ中継。ボーッとした頭のなかで、「このクソ暑いのに選挙かよ」って、一瞬、たじろぎました。

たしか以前、このブログにも書きましたが、僕は、僕自身の精神は「ボヘミアン」でありたいって妄想してるところがあり、権力みたいなものとできるだけ距離をおくことを心がけているし、政治には一国民(市民)としてコミットしても、ビジネスや権威のために選挙活動することを忌み嫌ってます。

中津 JC (青年会議所)理事長時代の2003年、中津市長選挙の公開討論会を開催した際、紆余曲折があり、多くの人びとにたすけられて、なんとか完遂できました。そのときかいま見た裏のドロドロさに辟易して、「選挙活動はもうよそう」ってこころに決めてたんです。
が、ボヘミアンになりきれないっていうか、世の中のしがらみっていうか、とにかく選挙活動をすることになりそうです。
  


夏風邪

2005-08-08 09:00:00 | 健康・病気
pandaずーっっっと風邪気味。
いわゆる夏風邪ってヤツかな。
今まで、あんまり夏風邪なんてひいたことはなかったんだけど、
ここ2週間あまり、悪寒がするし、咳もでる。
 
治らない原因はわかってる。
つまりは、毎晩酒をかっ喰らうし、
熱帯夜に負けて、エアコンをつけっぱなしで寝てるんだから、
回復するわけがない。
でも、両方ともやめられません…!?
  


見台の紐通し

2005-08-07 09:00:00 | 悩み
kendaiみなさん、「見台」(けんだい)って知ってますか?
能楽などの謡曲を吟ずるとき、謡本(うたいぼん)をのせる台のことです。
桐箱屋の弊社は、その見台もつくっていまして、全国に発送してます。


昨年、あるお客さまよりご注文があって、
「見台に紐を通して納品してください」(写真参照
というご依頼を受けました。


もちろん、紐をキチンとつけて納品することが基本なんですが、
そのリクエストがあったお客さまはご自身で紐をつけるということで、
プライス的にかなりディスカウントをして納品してました。


ところが、今までにプラス100円で紐までつけて納品
という依頼を不景気も相まって請け負ったのですが、
実際はかなりの手間で、プラス100円なんかじゃ合いません。


で、会社で1番ヒマな?僕が紐通しをすることになったんですが、
生来の不器用も相まって、1台紐をつけるのに10分以上かかってました(てことは10台すれば2時間ちかく)。
でも、慣れってのはあるみたいで、
最近は1時間もあれば、12~15台くらいできるようになりました。


広島原爆の日

2005-08-06 11:00:00 | ニュース
peace広島( HIROSHIMA )はきょう、60回目の原爆忌を迎え、
平和記念式典がおこなわれる。
世界で唯一原爆を投下された国、世界で最初に原爆を投下されたまち、
そこでおこなわれる核兵器廃絶と平和への願いは、なによりも意義深いものだと思う。
このことについては、以前、このブログに
敗戦60年』というタイトルのコラムを書いたので、今回は触れない。


で、ここで「どうなってんのかなぁ?」と思うのが、いま現在のこの国の政治。
今は郵政民営化でハチの巣をつついたような大騒ぎになっているのだけど、
外交では6ヵ国協議や国連安保理常任理事国入り、内政では社保庁や道路公団の談合疑惑の問題など、
より急を要する課題があるように思える。


とにかく原爆の日のきょうは、政治もマスコミも政局でガタガタ騒がずに、
犠牲になった人びとの御霊にしずかに哀悼の誠を捧げ、
唯一の被爆国としてのつよい意志を示すメッセージを世界に発信してほしいと思う


飲み友達

2005-08-05 09:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
saburomaru_senpaiここ1~2年で、飲み友達が爆発的に増えてます。
以前は、むかしの友だちにひさしぶりに再会して、「こんど、飲みにいこうぜ!また、連絡するよ」なんて約束しても、JC (青年会議所)の出ゴトがおおすぎて、その約束を履行することなんてありませんでした。
でも、最近は即決。「こんど、飲みにいこうぜ!」っていわれると、「じゃあ、今夜いこう」って感じで、すぐにいっちゃいます。

先日、銀行の融資の担当者と話してて、「社長、こんど飲みにいきませんか?」っていわれて、即決して飲みにいったんですが、こっちは借金をしてる身、むこうにしてみれば僕はお客さま、ということでイマイチ盛りあがりませんでしたね。
  


ブックカバー

2005-08-04 09:00:00 | 写真
ちょっと汚い?話だけど、僕はトイレで本を読むことにしている。
そうすれば、ほぼ毎日読書することになるし、
オモシロくない本や難しい本でも、意外に最後まで読むことができるからだ。


本をトイレに持ってはいるのが理由かどうかわからないけど、
数年前からワイフがブックカバーをつけてくれいる。
で、今のカバーはコレ ↓


book_cover


「Yonda?(ヨンダ)くん」っていうパンダのキャラがフィーチャー。
新潮文庫かなんかの懸賞でもらったカバーらしい。


以前は「ダヤン」とかいうネコのキャラクターの革製のカバーで、気に入ってたんだけど、
福井にいったとき、電車に本ごと忘れてきてしまった。


デ・リーフデ(慈愛号)

2005-08-03 09:00:00 | うんちく・小ネタ
1600年4月19日、オランダ船隊の1隻
「デ・リーフデ」(慈愛号)が九州豊後(大分県)の臼杵湾に漂着した。
日本とオランダとの交流は、このときを最初とする。
有名なVOC(東インド会社)の初期のころ、
すでにオランダには株式会社の原型のようなものがあって、
ロッテルダム会社という組織が1598年、5隻の船を東洋に派遣した。


5隻の船名は…

デ・ブライデ・ボースハップ(好使命号)
ヘット・ハローフ(信仰号)
ヘット・トラウ(信義号)
デ・ホープ(希望号)
デ・リーフデ(慈愛号)


…といい、なんともレリジアスな船団のようだが、
実際は冒険心とビジネスライクな感覚を兼ねそなえていたと思う。


shipこのまことにめでたい船名とは裏腹に、この船団は不運つづきで、
出向早々に提督が病死したり、南太平洋では暴風にあったりした。

「好使命号」は、この暴風ではるかチリ海岸まで流され、
スペイン人に投降。

「信仰号」は暴風を避け、マゼラン海峡まで引き返したが、
飢えと疲労で乗組員の半数ちかくが死亡し、
オランダにもどってしまった。

「信義号」は乗組員の大多数が死亡し、
インドネシアのモルッカ諸島でポルトガル人に拿捕され、
多くが殺された。

「希望号」と「慈愛号」の2隻はなんとか無事だったが、
両船の船長は、ひとりはスペイン人との交戦で戦死し、
ひとりは病死してしまった。


チリ海岸でのこされた船員たちが協議し、
結局、日本をめざすことになった。
その理由は、積み荷のなかに毛織物があり、
日本ではたかく売れるという噂があったからだそうだ(実際はちがう)。


ともかく2隻は進路をひたすらに北西にとり日本をめざしたが、
途中ふたたび大暴風雨にあい、
「希望号」は行方不明(沈没か?)になり、
「慈愛号」のみがなんとか臼杵湾に漂着した。
日本についたとき、生存者は24人にしかすぎず、
しかも立って歩けるのは、そのうち6人しかいなかったそうだ。
この生存者のなかに、のちに徳川家康の外交顧問になる
ウイリアム・アダムズ(三浦按針)とヤン・ヨーステン(耶揚子)がいた。


くどくどと書き連ねてきたが、
要するに、日本とオランダの交流のスタート地点が、
わが大分県だってこと誇りたかった。
ちなみに「デ・リーフデ」は「De Liefde」で、
英語に訳すと「The Love」となる。
ただの「Love」じゃなくて冠詞がついてるところみると、
肉欲の愛じゃなく、プロテスタント的な「神の愛」ということなんだろうか?
だから、むかしから「慈愛号」と訳されているのだろう。

東九州自動車道早期実現を語る会

2005-08-02 09:15:43 | 日記・エッセイ・コラム
katarukai昨夜、「東九州自動車道早期実現を語る会」なるものに参加してきました。
なぜ僕がその会によばれたのか、皆目見当がつきませんが、参加者の面子をざっと述べると、延岡JC (青年会議所)と中津 JC の OB と現役メンバー、そしてマスコミ(新聞記者)の皆さんです。
この会に参加してた JC の先輩たちは、今から12年前(1993年)、JC 九州地区協議会伝説の事業「九州はひとつマラソンリレー」をおこなった人たちなんです。

「九州はひとつマラソンリレー」事業は、東九州自動車道早期実現をめざして、そのルート(国道10号線)を北九州市と鹿児島市から同時スタートし、中間地点の延岡市をゴールとするマラソンリレーをするといった事業で、ただたんに走るだけじゃなく、各地で行政や市民を巻きこんだ決起大会も実施しました。
なによりもすばらしかったのは、東九州自動車道と直接的に関係のない長崎県や佐賀県、熊本県などの九州すべての JC が参加してくれたことです。

で、昨夜は、先輩たちもかつての JC MIND が復活し、あつく語っておられました。
中津 JC からも半田理事長や細川理事長予定者もきておられて、現在の JC における東九州自動車道早期実現への取り組みについて説明していました。マスコミの皆さんからも貴重なアドバイスやエールをいただき、僕のようななんの取り組みしてこなかったメンバーにとっても意義深い会でした。
ある先輩の「あれから12年たっても、まだできてないとは思わなかった」っていうつぶやきが、おかしくもあり、悲哀も感じました。要するに、現役の僕らがもっとがんばんなきゃってことでしょ!